岸田総理の裏金問題「無罪放免」は明確な「ダブスタ&保身」…政治家以前に人として許せない最低な悪行である。

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岸田総理の裏金問題「無罪放免」は明確な「ダブスタ&保身」…政治家以前に人として許せない最低な悪行である。

自分だけ助かろうとするやり方!

極めて不当な判断

「裏金問題」を巡って、自民党は39名の処分を決定したが、筆者が今回の処分で最も注目していたのが、岸田総理自身が処分対象として含まれるのかどうか、という一点であった。岸田総理も自らの派閥で裏金問題が発覚し、立件者すら出ている状況があり、したがって、当然、処分の対象になるべきだと様々に指摘されていたからである。

ところが、最終的に岸田氏はお咎め無しの裁定となった。そして今、この「岸田氏は処分無し」の裁定について、国民世論のみならず、自民党内からも、批判が巻き起こっている。

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言うまでもなく、それは至極当然の反応だ。裁定の内容を丁寧に分析すれば、岸田氏の処分無しは極めて不当な判断であり、今回の自民党の処分には何ら正当性、信頼性がないということを明らかにするような極めて不当な判定であったという実態が浮かび上がってきてしまうからだ。

そもそも岸田氏には、「岸田派のリーダー」として、岸田派の裏金問題についての責任が明確に存在する。岸田派で裏金づくりが行われた時の岸田派会計責任者が立件されているわけだが、その会計責任者の上司である派閥リーダーの岸田氏にも当然、その責任があるのだ。

裏金問題があった派閥は、安倍派、二階派、岸田派の三つ。安倍派の幹部6人(塩谷・世耕・下村・西村・高木・松野)は離党勧告や党員資格停止、1年間の党の役職停止、二階派の(事務総長等の経験者である)幹部3人(竹田・林・平沢)も1年間の党の役職停止という処分となった。

これらの処分はいずれも、彼等自身の裏金問題についての責任に加えて、裏金問題があった「派閥幹部」としての責任を加味されたものだ。したがってその処分は、自身の裏金問題についての責任を問われた他の議員達よりもより重くなったのである。

なお、二階氏は、衆議院選挙に立候補しない考えを表明したことを踏まえ、処分の対象とはならなかったのだが、それも含めて考えれば、裏金問題があり関係者が立件された安倍派、二階派、岸田派の内、安倍派、二階派は、その派閥としての責任を取る形で幹部が処罰されたのだが、岸田派の裏金問題の責任に関しては、誰も処分されていないのである。

これは完全なダブルスタンダードだ。もちろん、今回の処分は「議員個人に裏金問題があった者に限る」という線引きがなされているようではあるが、それならば、上述のような「派閥幹部としての責任」の有無によって、処分の大きさが変わってしまっていけないはずだ。

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ところが自民党は安倍派と二階派については「派閥幹部としての責任」の有無によって処分の重さが異なっている。つまりそれは、「派閥幹部としての責任」も処罰対象となっていることを明確に示している。にもかかわらず、「岸田派」の裏金問題についての派閥幹部としての責任「だけ」が処分対象とならなかったのである。

これこそ、安倍派・二階派については派閥幹部の責任を問い、岸田派については問わない、というダブルスタンダードが適用された事を明確に示している。

それにもかかわらず、表面上、ダブルスタンダードでないかのように見せかけるために、今回の処罰対象を「個人に裏金問題があったものだけ」に限定する体裁をとり、岸田氏は「巧妙」に(バレバレなのだが)、処罰対象から外れる恰好となったのだ。

では誰が「岸田氏だけを処罰対象から外す」という不適切な処罰基準を考えたのかと言えば、それは岸田氏本人と考える他ない。

形式上は党紀委員会が決定したことになっているが、岸田総理を中心とした党幹部が基準を決定し党紀委員会はその決定をなぞっている、という実態が報道されている。この報道が正しければ、岸田氏は、自らの「保身」を前提として、「適当な基準」をつくって処分を決定したと断定せざるを得ない。

こちらが恥ずかしくなるほどのあさましさ

岸田氏の「保身」の構造を明らかにするために、ここで少し改めて以上の議論を整理してみよう。

今回処分対象となった行為、および、その行為責任者(=処分対象者)は、以下の二種類だ。

1) 「議員個人」の責任の下での裏金づくりという違反行為。その行為責任者は「議員個人」

2) 「派閥」の責任の下での裏金作づくりという違反行為。その行為責任者は「派閥リーダーおよび幹部」

ただし、処分対象行為は以上の二つに加えて、もう一つある。それは、

3)「党」の責任の下での裏金づくりという違反行為。その行為責任者は「党総裁および党幹部」

である。

この3)の「党による違反行為」が存在していることを主張しているのは、誰あろう岸田文雄総理総裁その人だ。

過日の政倫審に、野党から呼び出されてもいないのに、岸田氏は「総裁」として(のこのこ)出席し、「国民の多くの疑念を招き、政治不信を引き起こしていることに対し自民党総裁として心からおわびを申し上げる」と国民に謝罪している。

 

これは要するに、党内の各派閥や各議員の違法行為の責任は、総裁にあると言明したわけであり、したがって、論理的に言って、この謝罪は、岸田氏が、上記3)の「党による違反行為」が存在していることを言明したものだと解釈せざるを得ない。それなのに今回、岸田氏は処分対象とならなかったのだ。

もちろん、岸田氏には上記1)の議員個人による裏金づくり行為こそ行っていない。しかし彼には、安倍派・二階派においては処分対象とした上記2)の「派閥」の責任の下での裏金作づくりという違反行為の責任が明確に存在していると同時に、上記3)「党」の責任の下での裏金づくりという違反行為についての責任があるのだ。

そうである以上、「派閥」および「党」としての責任を負う彼は、むしろ他の誰よりも重い処分を受けるべき立場にあると言って差し支えないのだ。

それにもかかわらず、岸田氏は総裁という最も強力な権限を使って自分で自分を「お咎め無し」にしたわけだ。これほどあからさまなダブルスタンダートに基づくあさましき保身行動は滅多にお目にかかれない。見ていてこちらが恥ずかしくなる水準にあるあさましさだ。

日本国民の道徳的責務

では、なぜ岸田氏は頑なに、見え見えのダブルスタンダードも厭わず、自分自身を処分対象としなかったのか?

それは偏に、岸田総裁を処分対象とすれば、どんな処分でも総理総裁を辞任せざるを得なくなるからだ。

そもそも戒告にせよ懲戒にせよ、処分者は「総裁」だ。ところが、岸田氏自身は「総裁」なのだから、彼が総裁である限り、原理的に党の処分対象者にはなれない。だから岸田氏を処分するとすれば、その処分内容にかかわらず総裁を辞任せざるを得ない。それ故、党役職停止以上の処罰では言わずもがな、仮にもっと軽い戒告等の処分であっても辞任が必須となるのだ。

つまり岸田氏は、総裁を辞任したくないものだから、見え見えのダブスタ処分を行い、自分自身を自分自身で無罪放免にしたと考えざるを得ないわけだ。

無論、我々国民に彼を即刻処分する権限などない。しかし、少なくとも、この不埒極まりない人物が総理総裁の権限をフル活用した不当なる保身活動を行ったのだということを記憶し続け、しかるべき選挙の際に、彼自身、ならびに彼を総裁に祭り上げ続けている自民党に“鉄槌”を食らわすことが、我々日本国民の道徳的責務だと言わざるを得ない。

 

その道義的責任は今や、野党支持者は言うに及ばず、自民党支持者もまた逃れ得ぬ程に大きなものになりつつあるように思う。

それほどに今回の岸田氏の振る舞いは、政治家として、そして人間として絶対に許してはならない最低最悪の姑息な悪行だと断ぜねばならないものなのである。

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