共通しているのは通貨発行権をめぐる金融資本家との戦いだった。半ば勝利を治めたジョン・F・ケネディも暗殺された。
ドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ大統領に就任した際、就任式の当日、就任演説で以下のような発言をしている。
「ワシントンの小さなグループが政府の恩恵にあずかる一方で、アメリカ国民がその代償を払ってきました」
「ワシントンの小さなグループ」は、米国を支配する1%のエスタブリッシュメント層のことで、グローバリズムの果実を独占し、その一方で一般の国民はどんどん貧しくなっていることを指摘したもの」と解説されている。
このエスタブリッシュメントは、昨今DS(deep state)などと呼称され、その世界支配の構造を多くの人々が知るとこととなった。
第45代大統領トランプ氏のオーヴァルオフィスの写真。リンカーン大統領、トマス・ジェファーソン大統領の他、第7代アンドリュージャクソン大統領の肖像画(中央の絵)が飾ってあった。
アンドリュー・ジャクソン大統領は実は「米国大統領として最初に暗殺されそうになった人物」なのであるが、
歴代の米国大統領の内、在任中に暗殺された米国大統領は
第16代:エイブラハム・リンカーン
第20代:ジェームズ・ガーフィールド
第25代:ウィリアム・マッキンリー
第35代:ジョン・F・ケネディ
の4名で、
暗殺されかけた米国大統領としては
第7代:アンドリュー・ジャクソン
第40代:ロナルド・レーガン
などが有名。
第45代:ドナルド・トランプ大統領(注)も元CIA工作員によれば、大統領候補に浮上したときから既に水面下で「暗殺計画」が進行していたという証言がある。
彼の暗殺は今のところ実行されていないが、2期目の大統領就任が前代未聞の不正選挙によって奪われた形となった。
実は暗殺された大統領、暗殺されかけた大統領には共通点があると指摘されている。
それは、自国通貨発行において、国立銀行でのドル発行を試みたり、金本位制を国際基準にしようとするなど、通貨の発行などで国際金融支配を行っているDSと戦った大統領であったという点。
■独立戦争後の米国が直面した問題
独立戦争後、連合13州はばらばらな状態で、諸州が1781年に承認した「連合規約」というものがあるにはあったが、大陸会議(注)の力は非常に弱く、大陸会議が諸州に課税しよう としても各州の反対にあってしまう。
13州は独立前には英国ポンドやスペインペセタを使用しており、独立会議は通貨発行という問題に直面。
そのとき、建国の父と呼ばれるベンジャミン・フランクリンは13州で使える大陸通貨(大陸紙幣) (Continental Currency) を印刷発行。
しかし大陸会議が発行した紙幣は金や銀の裏付けがなかく硬貨に替えることができず、この紙幣はすぐに価値のないものとなってしまう。
「一文の値打ちもない」という意味で「大陸紙幣の価値もない((isn’t worth a Continental)という表現が今でも残っているらしい。
(注)大陸会議(英: Continental Congress)
英本国の高圧的な植民地経営に対して北米大陸の13州の自治意識が高まり、1774年から開催された各植民地代表による会議。
■第一、第二合衆国銀行という民間の中央銀行システムによる支配
米国の独立後も英国は巧妙で、米国独立後15年目に第一合衆国銀行という合衆国議会公認の民間の銀行をつくり、ドルを発行する特許権を独占した。
特許の20年という期限が切れ、銀行の公認は1811年ジェームズ・マディソン大統領のときに一旦失効。しかし、1816年にマディソンは5年後に再び第二合衆国銀行を公認し、米国政府ではなく民間の中央銀行がドル発行権を相変わらず牛耳ることとなる。
第7代アンドリュー・ジャクソン大統領
■国際金融資本家と戦ったアンドリュー・ジャクソン(任期:1823~1825年)
第二合衆国銀行の20年期限が切れる直前、これを継続しようとする国際銀行家グループと真っ向から戦ったのが第7代大統領アンドリュー・ジャクソンだった。
アンドリュージャクソン大統領は第二合衆国銀行が州独自財政を奪う庶民の利益に沿わないものであると敵視し、自らの政治生命をかけて廃止を目指し、連邦議会が認めた第二合衆国銀行の特許更新に拒否権を発動。
第二合衆国銀行は連邦の保証を失い、窮地に追いやられ、その後のアンドリュー・ジャクソンの政策によって破産に追い込まれたとされる(第二合衆国銀行の本部と資産は1845年にリッグス銀行に引き継がれた)。
■アンドリュー・ジャクソン大統領の暗殺未遂事件
アンドリュー・ジャクソン大統領は銃弾を2発撃ち込まれ暗殺されかけたものの、幸い弾が外れて未遂に終わっている。
20ドル紙幣の顔はアンドリュー・ジャクソン大統領
■「国立銀行システム」
合衆国の経済は、南部・西部・東部でそれぞれの州の急速な発展が進む中、増大する資金需要を賄うためには、数多くの州銀行が設立される必要があった。
当時のウォール街はその役割にはまだ不十分で、「新南部」の州銀行の多くが放漫経営・州債依存・準備金の不足などにより支払い停止・倒産に追い込まれるという混乱が生じた。
南北戦争(1861年4月12日~1865年4月9日)が起こり、戦争の資金調達を支援する手段として、1863年に「国立銀行のシステム」が国の通貨法によって制定。
第16代リンカーン大統領
■「グリーンバックス」を発行したリンカーン大統領(1847年3月4日~1849年3月4日)
表は黒いインクとグリーンのインクで、 裏はグリーン単色で刷られ「グリーンバックス」と呼ばれる法定通貨を初めて発行したのがリンカーン大統領だった。
米国初の法定通貨「グリーンバックス」を発行したのは南北戦争の時代の1862年~1863年において合衆国政府が戦費調達の臨時処置として発行したのが始まりだった。
当時の銀行はそれぞれの銀行が保有する米国債に基づいて標準化された国立銀行券を発行する権限を持っていた。
このシステムは1864年に完全に改正され、後に一般に知られているように「国立銀行法」と呼ばれた。
当時ドルの発行は3回にわたり総額4億5000万ドルが発行されてインフレをひき起こし、その価値は1864年に額面の1/3に低落してしまう。
■リンカーン大統領の暗殺
リンカーン大統領は南北戦争の最末期1865年4月14日の金曜日午後10時頃、ワシントンDCのフォード劇場で妻と観劇中にジョン・ウィルクス・ブースという人物に撃たれ暗殺されている。実行犯は「合衆国政府(北部連邦)の転覆を起こすことが目的であった」と自供。
1873年の貨幣法以来、事実上の金本位制が制定されることとなり、法案は1900年に可決。(3月14日に承認)金は紙幣を償還するための唯一の基準とし、金銀複本制(金と引き換えに銀を許可していた)は止められた。
この法律は、ドルの金の25⁄ 10粒の値を「9テント」に固定(純度90%)、純金の23.22グレイン(1.5046グラム)に相当とするものだった。
1873年の恐慌後はグリーンバックスは第3政党のグリーンバック党による増発の要求もあったが1879年以降は金貨をもって回収された、とある。
第20代ガーフィールド大統領
■ジェームズ・ガーフィールド大統領(1881年3月4日〜1881年9月19日)
中央銀行に反対した直後暗殺されている。暗殺は首都ワシントンD.C.の鉄道駅で発生。就任からわずか4ヶ月のタイミングだった。犯人はチャールズ・J・ギトーという人物で、「神が大統領暗殺を命じた」との理由で暗殺に踏み切ったと語っており、真の動機や背後関係は不明。
第25代マッキンリー大統領
■金本位制を主張したウィリアム・マッキンリー.大統領(1897年3月4日~1901年9月14日)にとって大統領選の争点は貨幣の本位が金であるべきか、金と銀の双方であるべきかであった。それまでの国際通貨は銀で、金保有量が多かった米国の金を国際通貨にして、米国の財力を国際的に上位に持ち上げようという意図をもっていたのがマッキンリー大統領だった。
選挙戦終わると,マッキンリーは英国をはじめとするヨーロッパの主要国に通貨問題を討議する使節団を派遣し、国際協定による複本位制の可能性を追求。
■マッキンリー大統領の暗殺
しかし1901年2期目初年の9月1日、ニューヨーク州バッファローで開かれたパン・アメリカン博覧会の会場で、大統領と握手するために列を作っていた人々に混じったショルゴッシュという人物に撃たれ2日後に死亡。
この暗殺にはエマ・ゴールドマンというフェミニスト活動家でアナーキスト(リトアニア生まれのユダヤ系)の関与も疑われた。実際に彼女は逮捕され短期間拘留されている。結局、暗殺の動機は不明。
■国債発行の増大
国債は、米国財務省債の変動する価値に基づいているため、弾力性がないと見なされていた。国債価格が下落した場合、国立銀行は新規融資を拒否するか、既に行った融資を呼びかけることにより、流通している通貨の量を減らす必要があった。関連する流動性の問題は、主に不動のピラミッド型の準備制度によって引き起こされた。
このシステムでは、全国的にチャーターされた地方/農業ベースの銀行は、連邦準備銀行に準備を確保する必要があり、連邦準備銀行は中央都市銀行に準備をする必要があった。
19世紀末から第二次世界大戦まで戦争に次ぐ戦争が起こり、これによって帝国主義を誇ったヨーロッパの列強は経済的に疲弊していくことになり、米国も疲弊していた。
1907年に特に深刻なパニックが発生する前は、銀行と通貨改革に対する新たな需要の動機があった。 翌年、議会は緊急通貨を規定するおルドリッチ・ヴリーランド法を制定。銀行業と通貨改革を研究するために米国通貨委員会を設立。
1913年に連邦準備制度(FRB)が設立、この組織が現在、世界の基軸通貨であるドルの発行権をもつ唯一の組織であるが彼らは民間団体なのである。
第35代JFケネディ大統領
■第35代JFケネディ大統領(1961年1月20日~63年11月22日)
1961年11月28日、ケネディ大統領は財務省による銀の販売を停止。工業用金属としての銀の需要の増加は、米国政府の固定価格を超える銀の市場価格の上昇につながったため、1961年に政府の過剰な銀の埋蔵量が80%以上減少していた。
ケネディは依然として金に裏打ちされている連邦準備制度の紙幣を支持して銀貨を段階的に廃止するよう議会に求めた。
JFケネディは1963年6月4日に大統領令11110号 (Executive Order 11110) を発令し、政府紙幣の発行に踏み切り、通貨発行権の奪還を図ったとされる。
その後、彼は同年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されてしまい、副大統領のリンドン・ジョンソン氏が直ちに第36代大統領(1963年11月22日~69年1月20日)に昇格。大統領令11110号はジョンソン大統領によってキャンセルされてしまったらしい。
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