アメリカがビビる日本の核武装…「話せばわかる」では通用しない世界の現実

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日本と世界 戦争

アメリカがビビる日本の核武装…「話せばわかる」では通用しない世界の現実

真の独立国になるためには核武装が必要なのか?

平和実現への道は甘くない

日本人の平和を求める感覚は「他人の善意に対する期待」が相当部分を占めている。それを実感させたのは、広島で開かれた平和記念式典だった。広島市長は「他人を思いやる気持ち」の重要性を強調した。だが、それで平和が実現するほど、世界の現実は甘くない。

松井一実市長は8月6日の式典で、平和宣言を発表した。以下のようだ。

〈ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか〉

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〈争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう〉

はたして「他者を思いやる気持ち」をもって対話し「信頼の輪」を育めば、人々の争いや戦争は防げるのか。残念ながら、現実は、そんな美しい理想にほど遠い。

日本人は中東の現実を見るべき

昨年10月27日に配信したコラムで紹介したが、イスラム過激派、ハマスは彼らの憲法ともいうべき「ハマス憲章(The Hamas Covenant)で、彼らの原則を次のように定めている

〈イスラエルは、イスラム教がそれを消滅させるまで、存在し続ける。パレスチナはイスラムの土地だ。パレスチナ解放とジハード(聖戦)は、すべてのイスラム教徒の義務である。平和的解決策や国際会議は、イスラム抵抗運動の原則と矛盾する。国際会議は時間の無駄だ。イスラム教がユダヤ人と戦って殺すまで、審判の日は来ない。ハマスは世界のシオニズム(注・イスラエルに故郷を再建しようとするユダヤ人の運動)に対する闘争の先鋒である〉

彼らの背後にいる親分ともいうべきイランも憲法で、国家の目標を「イラン革命のイスラム内容に十分な注意を払って、国内外の革命の継続を確実にするために必要な基礎を提供する」「地球上の被抑圧者(mustad’afun)による政府を実現する」と定めている

 

「被抑圧者=ムスタダファン(mustad’afun)」という言葉は、1979年にイラン革命を成し遂げた宗教指導者であるアヤトラ・ホメイニ師が広めた概念だ。「地球のすべての被抑圧者をイスラム革命によって解放する」のが、イランの最終目標なのだ。イランが米国と対立する根本的理由は、ここにある。

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一方、イスラエルもそんなハマスやイランの意図を十分に理解していて、国内には「パレスチナ人をイスラエルから地中海に叩き落とす、あるいは他国に追放する」という過激な主張を唱える勢力もいる。ベンヤミン・ネタニヤフ政権は、そんな勢力の支持を受けている。

ハマスもネタニヤフ政権も、米国のジョー・バイデン政権や日本の岸田文雄政権が唱える「2国家解決案(パレスチナとイスラエルの平和共存案)」を拒否している。「他者を思いやる気持ち」で「信頼の輪」ができれば、解決できるなどというのは、甘すぎるどころか、私には、現実を見ない日本人の「思い上がり」のように聞こえてしまう。

「リベラリズムの暴走」が招いたウクライナ侵攻

ロシアによるウクライナ侵攻はどうか。

こちらは、たしかに「疑心暗鬼」が招いた側面はある。北大西洋条約機構(NATO)が東方に拡大を続け、遂にはロシアと国境をはさんだ隣国のウクライナまで加盟しそうになった。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は「国家の生存に関わる脅威」ととらえ、2014年のクリミア侵攻に続いて22年2月、先制攻撃に踏み切った。

このあたりの事情をシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は、8月7日に発表した「誰がウクライナ戦争を引き起こしたのか」と題した論文で、こう指摘している

〈西側の常識では、ウクライナ戦争を引き起こした責任はプーチンにある。だが、私を含めて少数派の見解は、米国とその同盟国が戦争を引き起こしたということだ。もちろん、ロシアがウクライナに侵攻して戦争を始めたことを否定はしない。だが、紛争の主な原因は、ウクライナを同盟に引き入れるというNATOの決定であり、それをロシアの指導者は実存的な脅威と見なしていたのだ〉

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〈西側の影響力のある人々は戦前、NATOの拡大、特にウクライナへの拡大がロシアの指導者によって致命的な脅威と見なされ、最終的に災害につながることを認識していた。たとえば、中央情報局(CIA)長官のウィリアム・バーンズは2008年4月のNATO首脳会議で、当時のコンドリーザ・ライス国務長官に「ウクライナのNATOへの加盟は、ロシアのエリートにとって明確な(越えてはならない)レッドラインだ」というメモを書いていた〉

NATOが東方拡大を進めた背景には「自由と民主主義を世界に広める」という大義名分もあった。米国や欧州にとっては、彼らの自由と民主主義こそが世界の規範であるべきであって、ロシアの独裁政権は容認できなかった。この「リベラリズムの暴走」が戦争につながったのである。

日本で「お花畑思考」が続く理由

対立は、国家間の衝突だけにとどまらない。市民社会も同じだ。

いま世界では「多様性、平等、包摂(diversity, equity and inclusion=DEI)」が叫ばれ、日本にも多くの外国人が流入している。だが、英国では、少女3人が刺殺された事件をきっかけに、各地でイスラム系住民と白人住民の間で暴動が起き、他国にも飛び火しかねない状況だ

欧州各国が2010年ごろから、積極的に進めてきた多文化共生路線の失敗は、いまや明らかと言わねばならない。英国のジャーナリスト、ダグラス・マレー氏が、いち早く著書「西洋の自死」で描いた多様な人々の分裂と対立は、頂点に達しようとしているかに見える

広島県の湯崎英彦知事は挨拶で「核兵器維持増強の10分の1の1・4兆円や数千人の専門家を投入すれば、核廃絶も具体的に大きく前進する」と語った。だが、世界が核抑止に依存しているのは、核廃絶に資金や技術の制約があるからではない。相手に核を使わせないために、相手を完全に破壊できるだけの反撃能力を備えているのだ。

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岸田文雄首相は「非核3原則を堅持して『核兵器のない世界』の実現に向けて努力を着実に積み重ねていく」と力説した。首相は、その原則を打ち出した佐藤栄作首相(当時)でさえ、米政府に宛てた公電で「非核3原則はナンセンス」と認識していたことをご存じなのだろうか。米公文書で明らかになっている史実だ

日本のマスコミは、これらの宣言やあいさつを大々的に全文報道した。こうした報道ぶりが、日本で「お花畑思考」が続く大きな理由だろう。ついでに言えば、彼らのお花畑思考は「話せば分かる」といった単なる思い込みに基づく願望であり「欧米が信奉するリベラリズムですらない」と、私は思っている。

米国がビビる日本の核武装

故ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官は昨年5月、英エコノミスト誌のインタビューで「日本は5年以内に核保有する」と、次のように語った

〈日本は今後5年間のうちに、核保有国に向かっていく明確な見通しを持っている。彼らは、いつも我々の近くにいたいと思っている。ただし、私は、彼らが私たちにとって不都合な取引を行う可能性を除外しない〉

後段の部分は「米国にとって不利益になっても、日本は核武装に向かうのではないか」という可能性を示唆している。米国とすれば、それこそが最大の関心事だろう。いつまでも日本は安全保障を米国に頼っていてくれたほうが、米国には好都合だからだ。

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このキッシンジャー発言を機に、米国では、日本の核武装問題が真剣に議論されるようになった。

たとえば、キッシンジャー氏に関する著書もあるニューヨーク・タイムズの前書評担当編集者、バリー・ジューエン氏は昨年12月8日、外交安全保障専門メディアのナショナル・インタレストで「日本は核武装に向かう運命にある」と主張した

米国の核問題専門家、エマ・クレア・フォーリー氏も1月29日、米シンクタンク、国際問題政策センターへの寄稿で「キッシンジャー氏の指摘は有益だ。世界の高官に比類のないアクセスをもつ彼は、同盟国の間で核が拡散する可能性を、一種の諦めにも似た気持ちで公然と認めている」と指摘した

だが、日本では相変わらず、岸田首相は非核3原則の堅持を訴え、広島の首長たちは願望に基づいた「平和論」を唱えている。これで「日本の平和が維持できる」とは、私には到底、思えない。いったい、いつになったら、日本は覚醒するのか。

日本人は8月を、安全保障を現実的に見直す季節にしなければならない。

マイコメント

戦争を起こしてはならない。
これは二度の核兵器攻撃を受けた日本の真の願いでもある。

しかし、第二次世界大戦後の日本はアメリカの実質的な支配を受け真の独立国とは
なっていない。

日米合同委員会の存在も徐々に明らかになってきてはいるが、その不平等な体制を
改善できる目途はたっておらず、依然として日米合同委員会による支配を受け戦後
マッカーサー元帥による米国の植民地支配と実質的に変わらないような状況です。

いつの日か日本が真の独立国になり対等にものが言える日が来るかもしれない。
しかし、今はそういう日が来るのははるか先の未来の話だと思えるのです。

それはひとえに他国の軍事的圧力が国内に存在する歴然とした事実です。
日本各地に駐留する米国軍は日本を守るためではなく、日本を監視するために
存在しているのであって、それが日本の一挙一動を把握し日本が独立するような
動きを見せる不測の事態に備えているのです。

そのことはほとんどの日本人は知らない。

もし、そこで日本が核武装できれば・・・。
という考えがないわけでもない。

現実のこの世界は平和と言うスローガンからはるかに遠いミリタリーバランスの
上に立って存在しています。

そのため、核を持つという選択肢も検討課題になるかもしれない。

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