アメリカがビビる日本の核武装…「話せばわかる」では通用しない世界の現実
真の独立国になるためには核武装が必要なのか?
平和実現への道は甘くない
日本人の平和を求める感覚は「他人の善意に対する期待」が相当部分を占めている。それを実感させたのは、広島で開かれた平和記念式典だった。広島市長は「他人を思いやる気持ち」の重要性を強調した。だが、それで平和が実現するほど、世界の現実は甘くない。
松井一実市長は8月6日の式典で、平和宣言を発表した。以下のようだ。
はたして「他者を思いやる気持ち」をもって対話し「信頼の輪」を育めば、人々の争いや戦争は防げるのか。残念ながら、現実は、そんな美しい理想にほど遠い。
日本人は中東の現実を見るべき
昨年10月27日に配信したコラムで紹介したが、イスラム過激派、ハマスは彼らの憲法ともいうべき「ハマス憲章(The Hamas Covenant)で、彼らの原則を次のように定めている。
「被抑圧者=ムスタダファン(mustad’afun)」という言葉は、1979年にイラン革命を成し遂げた宗教指導者であるアヤトラ・ホメイニ師が広めた概念だ。「地球のすべての被抑圧者をイスラム革命によって解放する」のが、イランの最終目標なのだ。イランが米国と対立する根本的理由は、ここにある。
一方、イスラエルもそんなハマスやイランの意図を十分に理解していて、国内には「パレスチナ人をイスラエルから地中海に叩き落とす、あるいは他国に追放する」という過激な主張を唱える勢力もいる。ベンヤミン・ネタニヤフ政権は、そんな勢力の支持を受けている。
ハマスもネタニヤフ政権も、米国のジョー・バイデン政権や日本の岸田文雄政権が唱える「2国家解決案(パレスチナとイスラエルの平和共存案)」を拒否している。「他者を思いやる気持ち」で「信頼の輪」ができれば、解決できるなどというのは、甘すぎるどころか、私には、現実を見ない日本人の「思い上がり」のように聞こえてしまう。
「リベラリズムの暴走」が招いたウクライナ侵攻
ロシアによるウクライナ侵攻はどうか。
こちらは、たしかに「疑心暗鬼」が招いた側面はある。北大西洋条約機構(NATO)が東方に拡大を続け、遂にはロシアと国境をはさんだ隣国のウクライナまで加盟しそうになった。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は「国家の生存に関わる脅威」ととらえ、2014年のクリミア侵攻に続いて22年2月、先制攻撃に踏み切った。
このあたりの事情をシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は、8月7日に発表した「誰がウクライナ戦争を引き起こしたのか」と題した論文で、こう指摘している。
NATOが東方拡大を進めた背景には「自由と民主主義を世界に広める」という大義名分もあった。米国や欧州にとっては、彼らの自由と民主主義こそが世界の規範であるべきであって、ロシアの独裁政権は容認できなかった。この「リベラリズムの暴走」が戦争につながったのである。
日本で「お花畑思考」が続く理由
対立は、国家間の衝突だけにとどまらない。市民社会も同じだ。
広島県の湯崎英彦知事は挨拶で「核兵器維持増強の10分の1の1・4兆円や数千人の専門家を投入すれば、核廃絶も具体的に大きく前進する」と語った。だが、世界が核抑止に依存しているのは、核廃絶に資金や技術の制約があるからではない。相手に核を使わせないために、相手を完全に破壊できるだけの反撃能力を備えているのだ。
日本のマスコミは、これらの宣言やあいさつを大々的に全文報道した。こうした報道ぶりが、日本で「お花畑思考」が続く大きな理由だろう。ついでに言えば、彼らのお花畑思考は「話せば分かる」といった単なる思い込みに基づく願望であり「欧米が信奉するリベラリズムですらない」と、私は思っている。
米国がビビる日本の核武装
故ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官は昨年5月、英エコノミスト誌のインタビューで「日本は5年以内に核保有する」と、次のように語った。
後段の部分は「米国にとって不利益になっても、日本は核武装に向かうのではないか」という可能性を示唆している。米国とすれば、それこそが最大の関心事だろう。いつまでも日本は安全保障を米国に頼っていてくれたほうが、米国には好都合だからだ。
このキッシンジャー発言を機に、米国では、日本の核武装問題が真剣に議論されるようになった。
だが、日本では相変わらず、岸田首相は非核3原則の堅持を訴え、広島の首長たちは願望に基づいた「平和論」を唱えている。これで「日本の平和が維持できる」とは、私には到底、思えない。いったい、いつになったら、日本は覚醒するのか。
日本人は8月を、安全保障を現実的に見直す季節にしなければならない。
マイコメント
戦争を起こしてはならない。
これは二度の核兵器攻撃を受けた日本の真の願いでもある。
しかし、第二次世界大戦後の日本はアメリカの実質的な支配を受け真の独立国とは
なっていない。
日米合同委員会の存在も徐々に明らかになってきてはいるが、その不平等な体制を
改善できる目途はたっておらず、依然として日米合同委員会による支配を受け戦後
マッカーサー元帥による米国の植民地支配と実質的に変わらないような状況です。
いつの日か日本が真の独立国になり対等にものが言える日が来るかもしれない。
しかし、今はそういう日が来るのははるか先の未来の話だと思えるのです。
それはひとえに他国の軍事的圧力が国内に存在する歴然とした事実です。
日本各地に駐留する米国軍は日本を守るためではなく、日本を監視するために
存在しているのであって、それが日本の一挙一動を把握し日本が独立するような
動きを見せる不測の事態に備えているのです。
そのことはほとんどの日本人は知らない。
もし、そこで日本が核武装できれば・・・。
という考えがないわけでもない。
現実のこの世界は平和と言うスローガンからはるかに遠いミリタリーバランスの
上に立って存在しています。
そのため、核を持つという選択肢も検討課題になるかもしれない。
コメント