ミナミのライト らいとライフ「さくさやさん:子供を邪魔だって思う社会って・・・」
「子供を邪魔だって思う社会って・・・」by さくやさん
今日はさくやさんからのメッセージを
お伝えしますね^^
風景が普通だったの。
親のお店や会社にも
子どもの姿があった。
小さな子どもは近所の子たちが
面倒みていたり、
ちょっと大きな子は親の店を
手伝ったりしてた。
職と家が近かったから、
仕事と生活が密着してたのね。
何時間もかけて職場にいくということも
ほとんどなかった。
生活と仕事が密着していたから、
家族もいつも一緒にいたわね。
会社に子どもが来ても
誰も何も言わないし、会社の人も
お客さんも気楽に声をかけていたし、
子どもたちも仕事の
邪魔にならないように
大人の仕事を見ていたりした。
いつからかしらね、
仕事と生活が切り離されて、
子どもと大人の生きる場所が
離れていったのは。
だから、子どもに対してとても
厳しい社会になってしまったの。
子どもは邪魔・・
という風潮が出来てしまった。
仕事をするには子どもは邪魔・・
ってね。
だから、子どもがいる人は
預ける場所を探さなければ
いけなくて、預けたら子どもと
一緒にいることができない。
さみしいよね・・子どもも親も。
そして、子どもがいない人は、
近くに子どもがいないから
子どもとはどういう存在かを
肌で感じることができない。
だから、自分と違う世界の存在
だと思ってしまう。
電車に乗って子どもが泣いたりしたら、
煩いとしか思えなくなってしまうのね。
子どもを目る目に余裕がないの。
子どもを小さな大人だと思って、
大人のルールを押し付け
ようとしてしまうから、
子どもは邪魔だと思ってしまう。
近くにいつも子どもがいる環境ならば、
子どもとは小さな大人じゃなくて、
子どもにも個性があることが
わかるのにね。
自分に子どもがいなくて、
近所に子どもがいて顔見知りに
なれば、話しかけたり、
話しかけられたりして交流が出来
信頼関係ができ、楽しい生活が出来るの。
子どもが邪魔だなんて思わないわ。
いまのあなた達の社会は
効率、効率、効率、
少しでも無駄を省いて合理的に
することばかり。
そんな考えだと、
子どもは邪魔だとしか思えなくなる。
あからさまに邪魔だなんて
言葉は使わないけど(そんな
言葉を使うと人間性を
疑われると思ってしまうから)
でも、行動を見ていると
邪魔に感じているとしか思えない
人たちが多い。
効率、合理性、早く、早くって
思ってしまうと、
子どもも促成栽培のような
育て方になってしまう。
早く育つ子、すぐに出来る子、
成長の早い子を求めて
子どもの個性は無視することになる。
それは子どもにとって
とても辛いことよね。
いまの社会がイヤだと思うならば、
生活を仕事を分けないで
密着させていけばいいのよ。
仕事と生活が密着していけば、
近所との関りも深くなっていく。
仕事と生活(住居)が近くなれば
時間にも気持ちにも余裕が
出来て、大きなスーパーで
何もしゃべらず黙々と買い物するよりも
商店で話をしながら買い物する方が
楽しいと思えるようになる。
話をするようになれば、
人と人という感覚が戻って来る。
いまの社会では人と人という
感覚がなくなって来ているの。
どんどん流れて来るお寿司を
次から次へとお店の誰とも
しゃべらずただ食べるだけ・・
最近では料理をロボットが
運んで来て、機械で自分で
会計するお店もある。
人と人との会話を楽しむ事も
無駄なことだと思い込んでしまうと、
本当に無味乾燥な世界になるわ。
家族ともしゃべらない、
家に帰っても疲れ果ててちゃっちゃと
シャワーを浴びて明日のために
寝なければとすぐに寝る。
本当に無味乾燥な世界・・
何のために生きているか分からなく
なっていくのもうなずけるわよね。
人との会話がなければ、
何かあった時に愚痴ることもできない。
一人きりで孤独でどこにも吐き出す
ことができなくて苦しくて仕方がない。
だから、匿名でネットで
吐き出すってことになるのね。
いまの社会から離れたいと思うならば、
まず職と生活を分けない環境に
するほうがいいと思う。
好きな人と一緒にいられる環境を
創っていけば?
子どももいつも一緒にいられる環境。
仕事と子どもを分けずに、
大人たちの仕事を見せるの。
そうしたら、子どももいろいろ
面白いアイディアを出してくれるわ。
そして、子どもたちも楽しくなる。
自分が何がしたいのか、
どんな仕事をしたいのかを考える
ようになる。
子どもによってしたい仕事は違うの。
だから、いろんな仕事につく子がいて、
社会は丸く循環していくの。
子どもを楽しく育てることが
できない社会が異常なの。
子どもを邪魔だと思う社会って
長続きしない。
子どもを大事にしない社会は、
大人も大事にしない。
大人もただの労働力としか
見られていないということ。
だから、年をとって労働力、戦力に
ならない人たちは無駄だから排除
しようとする風潮になってるのは
分かるわよね。
これはあなた達の支配者が
考えていることなの。
無駄な人間はいらない・・ってね。
本当に失礼この上ない話よね。
支配者にとって、あなたたちは
労働力としてしか見られていないのよ。
そんなところに居ても幸せにはなれない・・
それは分かるでしょ?
ならば、簡単なところからはじめて、
少しずつでもいいから
そこから離れていけばいい。
それには、仕事と生活を分けないことね。
仕事も生活の一部だということを
忘れないでね。
昭和の生活には、丸い社会に
繋がるヒントがたくさんある。
ただの古い時代よねって
笑って見るんじゃなくて
そこにヒントを探してみてね。
たくさんあるから。
あなた達をこころから愛してるわ~」
ありがとう、さくやさん!
マイコメント
今日のさくやさんのメッセージには考えさせられましたね。
いかに異常な社会になってしまっているのかと・・・。
子どもを大事にしない社会に変貌してしまっていることには気づいていましたが
そこにある原因が仕事と家庭の距離による分断が働いていたことに改めて気付く
ことが出来ました。
私が子供の頃には親の仕事場と言っても歩いて5分くらいのところにあり、
私も良く親の職場に行って遊んでいました。
職場の人からは特にうるさがれることはありませんでした。
当時の小学校では私が妹を連れて行くことも時々あり、時には飼い犬の
マリとい雑種犬を連れて行ったりしましたが、一緒に授業を受けて帰って
来ました。
当時は子どもがすることにおおらかで手厳しいことも言われなかったと思います。
子供だからということで大目に見てもらえた時代でした。
やはり、それは地域において子供も共同体の仲間だという意識があったからです。
それを考えると今の社会は子どもに対して厳しすぎる時代です。
子供だからという言い訳が許されない時代です。
保育園や幼稚園と隣接する住宅街では「子供の声がうるさい」という苦情が
止まず、園の周囲に高い塀を作ったり、校庭では甲高い声を出さないように
指導しているところもあるようです。
どんどん子供らしさが失われる時代です。
私の子どもの頃は子どもがうるさいのは当たり前で誰も気にしませんでした。
むしろ、元気があってよろしいと思う位でした。
大人の働く職場と言えば時間に厳しく、遅刻をしようものなら退職を勧められる
くらいでしょう。おまけに勤務中の休憩時間はほとんどなく、休み時間もゆっくり
出来ないような職場も多いでしょう。
いかに短時間に多くの仕事量をこなし、いかに生産性を上げるかということが
最優先で、ついていけない人は除外されていきます。
そして、そういう仕事環境の中では子供の立ちいる余地はゼロです。
私たちはいつになったら、昭和の頃のような余裕を取り戻せるのでしょうか?
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