全く危機感のかけらもない親族。これが今の日本人の姿。
正月に親族で集まって新年のお祝いをする人は多いと思いますが、我が家も同じです。
私はレプリコンが気になっていて、人口密集地の東京に行くのをためらっていました。でも、年に一回のことですし、今年は大変なことが起きそうということもあって参加することにしました。
レプリコンに関しては、当初の予想より接種する人がだいぶ少ないという噂です。
その原因の一つとして、mRNA型ワクチンを打った医者が、「これはやばいかもしれない……」と気づき始めたという話もあります。
mRNA型ワクチンを打たれた人が、気を失って倒れるという事例がたくさん報告されているのですから、今頃気付くなんて遅いでしょ、と言いたくなります。
さて、正月での親族との会話ですが、私が強く印象に残ったのは、私と親族との世の中に対する認識の差です。
私は親族に、これだけは伝えておきたいというものがありました。
それは、今年、深刻な食糧危機が起きそうだということです。
昨年夏、短い期間ですがスーパーの棚から米が無くなるという現象が起きました(令和の米騒動)。その後、新米の収穫とともに米不足は解消されましたが、値段は高止まりしたままです。
こうした経験をしているのですから、多少の備蓄はしているのだろうと思っていました。
ところが、全く備蓄していないというのです。
私は、心の中で、「ええっ! まじっすか……」と呟いてしまいました。
東日本大震災でスーパーから食料品が消えたという体験をしているうえに、令和の米騒動を経て、備蓄ゼロというのは私にとって信じがたい感覚です。
しかも私の住む長野のド田舎と違って、東京という大都会は災害に非常に脆弱です。
結局のところ、彼らは都会の便利な日常がこれからもずっと続くという発想なのだとわかりました。
私は日本政府自ら、今年は米が足りなくなることを認めていると告げました(「ここみちゃんネル」さんは、2、3月から米不足が表面化してくると言っています)。
さらに、知人から教えてもらったことで、JAに勤めている人からの情報として、JA支部には、A級米はほとんど残っておらず、あるのはB級米だということを伝えました(人が普段食べているのはA級米で、B級米とは、いわいる訳あり品で、加工食品や家畜の餌などに使用します)。
さらに、日本政府は海外に米を輸出すると農家に補助金を出しているといいます。
日本国内で米が足りなくなることがわかっているのに、海外に輸出すると補助金を出すというのですから、明らかに確信犯です。日本政府は意図的に食糧不足を演出しようとしています。
これに対して、私たち一般庶民にできることは、まずは備蓄です。
私は親族に、今年は食糧不足が深刻化するから、今のうちに備蓄しておいた方がいいと力説しました。
しかし、親族の反応は“糠(ぬか)に釘”といった感じで、にぶいものでした。
返ってきた答えは、「じゃあ、カリフォルニア米になるのかなぁ……」でした。
食糧が足りないのなら輸入すればいいという安易な発想なのです。
何か危機が起こっても、どうせなんとかなるという極楽とんぼの発想しかしません。農産物ゆえ天候に左右されて不作のときもあるとか、何らかの有事が起きて輸入がストップするなんて想像の範疇にもないようです。
私も酒が回って、食の話からトランス脂肪酸の話に飛びました。
親族の中で、毎日カップ麺を食べているという人がいたのです。
私は、ここで奥野卓志(たかし)さんのSNSだったかユーチューブで知った話を紹介しました。
奥野さんによると、東アジアのある国でトランス脂肪酸を規制する法律を作ったところ、その翌日にスーパーの棚から日本から輸入されたカップ麺がすべて消えたそうです。
トランス脂肪酸はその危険性ゆえに多くの国で規制されているが、日本では野放し状態だということを話しました。
でも、この話もどこまで親族に届いたのかわかりません。
今も変わらず、毎日カップ麺を食べているのだろうと思います。
食糧危機に関して危機感のない人を、頭がお花畑だと揶揄(やゆ)する人がいます。
私が思うに、お花畑の人々というのは、社会で何が起きているか知ろうとする意欲がないのです。興味がないということでしょうか。
311も令和の米騒動も短期間で収束しました。
平成の米不足もタイ米の緊急輸入で事なきを得ました。
こうした経験から、これからも大事には至らないと高をくくっているのでしょう。もし、社会で何が起きているか真剣に調べてみたら、これからくるであろう危機は半端ないものだと容易に想像がつくはずです。
新型コロナワクチンはその典型例で、真剣に調べないから何度も打つはめになります。
真剣に調べたら、これほど恐ろしいものを自分の身体に入れようとは思わないはずだからです。
自分の頭で考えて解答を得ようとしないから、他人に判断を委ねることになります。その結果、政府やマスコミに簡単に騙されてしまうのです。
やはり経験することに意味があります。
日本で深刻な食糧不足が起こったとき、こうした人々の中でお花畑を脱する人が現れるかもしれません。
私は、並木良和さんの「人の道が別かれていく」という話を思い出しました。
初めのうちは両者の距離は短くても、時間を追うごとに両者の距離は離れ、最後は視界に入らなくなるほど離れるといいます。
新型コロナワクチンを打った8割の人々と、打たなかった2割の人々は、今は同じ空間に一緒に居れても、これからは精神的にはもちろんのこと、物理的(空間的)にも離れていく運命にあるのだろうと思います。
並木良和さんは、その違いを“周波数の違い”と表現しています。
『全宇宙の大転換と人類の未来』(並木良和著、ナチュラルスピリット)から抜粋します。
・・・<『全宇宙の大転換と人類の未来』、p38~p39から抜粋開始>・・・
地球が5次元化するまでは、まだ、周波数が違うと感じる相手が視界に入ってくることもあるでしょう。でも、同じ地球にいるはずなのに、先ほどもお伝えしたように、かたや天国を生き、かたや地獄を生きる、と言えるくらいに、その人生の体験に雲泥の差が出ることになります。
つまり、こういうことです。極端に言えば、隣町で戦争が起きていて、その町に住む皆が戦々恐々と生きる中、自分の町の住人はそれにまったく気づくことなく、「私たちって、何て豊かで幸せな人生を生きているんだろう……有り難いね!」と笑顔で語り合っているような違いを体験し始めるのです。
・・・<抜粋終了>・・・
女性に多いのですが、並木さんの「道が別かれていく」という見解に反発される人もいます。
未接種の人も接種した人も、また周波数の違う人同士でも、皆仲良く生きましょう……、ということに美意識を感じている人です。
たしかに、これまでの時代であれば、それは可能でした。
しかし今は、宇宙が大転換をしている時期で、地球は新たな領域に入ろうとしています。
その新たな領域の地球を選択した人と、これまでの世界を選択した人とでは、周波数が大きく違ってしまうことになり、皆仲良くということは不可能になります。
周波数の違いが生きる世界を別けるというのは、宇宙の法則です。
どちらの道が良い悪いではなく、どちらの道を選んだかということです。
(2025年1月4日)
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