ミナミのライト らいとライフ「さくやさん:所有と共有の違いについて」
ミナミさん:ちょっと真面目な話
今日はちょっと真面目な話を
させていただきたいと思います。
(いつも真面目なんですけど・・)
最近、ミナミAアシュタールが発信
しております、ブログ、動画、本
などを転載されているユーチューブ
などが結構見受けられます。
本をそのままご自分で読まれたり
動画やブログを切り張りして
ユーチューブでアップされていたり・・
本をそのままご自分の声並びに
機械音で流すことは完全に著作権違反に
なります事をご理解ください。
また、ブログの最後に書かせて
頂いておりますが、切り張りは
もちろんの事、そのままの文章で
あっても転載はお断りしております。
2017年5月までは転載もご自由に
どうぞ・・としておりましたが、
どんどん酷い使われ方をするように
なってしまい、転載禁止という事に
ならざる得なかった経緯があります。
今、それと同じような事が起きていると
危惧しております。
私たちミナミAアシュタールは
じょうもんの麓を創りたいと思う一心で
ブログも超次元ライブもオンラインサロンも
やっております。
きっと転載してくださっている方も
アシュタールやさくやさんのメッセージを
もっと広げて、沢山の方に知ってもらいたい
というご厚意からの事と信じております。
でも、二次使用、三次使用となってくると
違う考えの方も出て来るという事を
ご理解いただきたいと思っています。
なぜ、私たちがこのような思い、お願いを
しているのかをご説明するために
それに至った経緯を過去記事でお伝え
したいと思います。
ミナミAアシュタールからの大切なお願いです!
ミナミAアシュタールからのお知らせです。
ミナミAアシュタールは細かい事を
いちいち言ってくる・・
と思われることもあると存じて
おります。
でも、はじめて創ろうとしている
じょうもんの麓プロジェクト!
何としてもやり遂げたいという強い
思いから、このように細かい事まで
共有させていただいた方が良いと
思いました。
絶対に何が何でも転載はダメと
いう訳ではなく、
もし、記事を転載したいと思われる時は
記事を転載する前に一度私たちに
お声がけいただければと思います。
どのようにお使いになりたいのか
お伺いして上で一緒に考えていきたいと
思いますのでどうぞよろしく
お願いいたします。
では、2017年の過去記事より
さくやさんからのメッセージを再掲載
させていただきます。
<ここから>
先日からお伝えしております
転載禁止の件について、
たくさんのご意見をメールで
いただき、ありがとうございます^0^
私たちもいろんなご意見があるのは、
わかってました^^
転載禁止にするって・・
それって所有の概念じゃないですか?
自分のものだから
(著作権があるんだから)使うな
っていうのは高次元的な考え方からして
どうなんでしょうか?
禁止とかするんじゃなくて
みんなで共有する方向へ
考えられませんか?・・
というご意見。などなど。
こういうご意見があることも
分かった上で、私たちがどうしたいのか
ということで決めました。
この件に関して、さくやさんが
わかりやすく話してくれるそう
ですのでお伝えしますね^^
「所有と共有の違いについて」by さくやさん
共有しあう社会、
提供しあう個の時代へ向かっている
あなた達にとってとても大切な
ことだと思うから、
ちょっと話をさせてもらうわね。
所有の概念と、
大切にするという気持ちは違うのよね。
そこをごっちゃにして考えてしまうと
わからなくなってしまうの。
たとえばね、今回の件をカバンに
置き換えてみればわかりやすく
なるんじゃないかしら?
あなたがエネルギーをこめて
作ったカバンがあるとする。
そのカバンが気にいってて、
とても好きで、いつも良いカバンが
出来たなぁ~~って愛おしく
思って持っているカバン。
それを見た人が・・
そのカバン、ステキね、
ちょっと貸してもらっていい?・・
って言ってきた。
あなたは、良いわよ。。
って貸してあげた。
そして、かえって来たカバンを見ると、
色が変えられてたり、
形が変えられてたり、
なんかボロボロになってたり、
もとの大好きなカバンの姿では
なくなってた。
それを見るとどう?
悲しくなるでしょ?
そして、もうその人には貸したくない
って思うでしょ。
だから、また貸してねって言われても、
ごめんね、もう貸すのは勘弁してね・・
ってことになる。
大切に使ってくれるなら、
いくらでも一緒に使ってもらって
いいんだけど・・ってことになる。
そういうことなのよ。
共有するっていうのは、
ただ一緒に使う・・
ってことだけじゃないの。
一緒に使えば共有したことになる・・
そんなことではないの。
じょうもんの頃のような共有する社会を
創るときには、感謝と尊敬、尊重の気持ちが
一番大切だっていうのはそういうことなの。
自分の得意なことを提供しあう社会・・
すべての物を共有しあう社会・・
その根底には愛(感謝、尊敬)が
必要だってこと。
カバンをみんなで一緒に使いましょう・・
それには、一緒に使っている人たち
への愛が必要なの。
わかるでしょ?
そのカバンを大切に思う気持ちが
なければ、他の人とそれを共有出来ない。
誰のものでなくて、
みんなのものなんだから
自分も好きに使っていいでしょ・・
っていうのは共有の概念から
大きく離れてしまう考え方なの。
提供してくれている人の気持ちを
大切に出来なければ、
提供しあう社会は創れない。
それぞれの思いに感謝し、
その思いを尊重し、大切にする・・
だから、提供しあう横並びの
個の時代が成り立つの。
提供したもの(自分が思い込めて作ったもの)が、
粗末に扱われてしまったらどうかしら?
もう提供するのはやめよう
って思わない?
そんな使い方をされるなら、
もう提供しないで自分だけで
使おうって思うよね。
人には感情がある・・
もちろんじょうもんの子たちにだって
感情があったわ。
じょうもんの子たちが、
いわゆる聖人君子で、精神性が高く、
何があっても許し、受け入れたから、
あんなに平和で調和に満ちた社会が
何万年も続いたわけじゃない。
そこには、お互いに対する感謝と尊敬と、
大切にするという気持ちがあったから
平和で調和に満ちた社会が続いたの。
テラにもらった?ものは、
すべてみんなの共有・・
だから大切にする。
自然を自分達の都合のいいように
コントロール?制御する?んじゃなくて、
そこに寄り添う文明。
提供とプレゼントは違うのよ。
プレゼントは所有権の移譲。
プレゼントするということは、
所有権が移ったってことだから。
所有権が移ったってことは、
もうその人のものだということだから、
何をしてもいいの。
プレゼントされたものは、
もうその人のものだから
どう使ってもいいの。
カバンをあげるわ・・
ということはプレゼント。
だからそのカバンをどんな形にしても、
色を変えてもそれは構わない。
でも、提供するというのは
プレゼントじゃないの。
提供するのは、所有権の移譲ではないの。
そこがごっちゃになってしまうから
訳が分からなくなってしまうのよね。
じょうもんの頃のような
所有という概念がない、
横並びの個の時代を作りたいと
思っているなら、
そこのところの考え方を
少し整理したほうがいいと思うわ。
あなた達をこころから愛してるわ~~」
ありがとう さくやさん!
コメント
ロシアウクライナの戦争が始まって、欧米では第三次世界大戦が核戦争が起きるのではないかと危機感を持ってます。アセンションの旅立ちの日さんはその危機感を持つ事が引き寄せてしまうとありました。日本は戦後80年戦争に巻き込まれる事はありませんでした。米軍基地があるので、中国、他国侵略されてません。3年前日本は改憲される寸前だった。安倍元首相の暗殺でされなかったと知りました。去年は岸田前首相の任期終了までに改憲の予定でしたが回避されてます。SNSで改憲反対してる人達の思いが、回避されるタイムラインになったのでしょうか?核戦争が起きるかもしれないと恐れる欧米の人達。日本だけ危機感ゼロですが、危機感を持つ事が引き寄せてしまうとしたら、日本人は戦争なんて起こるはずないという能天気、危機感ゼロが回避されるタイムラインになっているのでしょうか?