ミナミのライト らいとライフ「アシュタール:提供し合える環境を創る」
超次元ライブ429「地球の上から人間が消えたら?」の動画に・・
老齢になり死を迎える迄に
働けなくなりお金が尽きた時を
人は考えるのだと思います。
死への恐怖というよりそれ迄の
過程に不安を感じてしまう。
その為、今を必死に働き
楽しむより疲れてしまう。
すいません。正直な気持ちです。
・・というコメントを頂きました^^;
では、アシュタールからの
メッセージをお伝えしますね^^
「提供し合える環境を創る」by アシュタール
「こんにちは
こうしてお話できることに感謝します。
お金が無いと生きていけないという
考えを大きく刷り込まれてしまって
いるのです。
老齢になって働けなくなったり
病気をして働けなくなった時に
どうしたらいいのか?という不安に
かられるのです。
その不安はよくわかります。
そういう不安を持つようにミスリード
されているのですから。
その上、人々を孤立させるような
政策ばかりをしているのです。
人々を分断し、孤立させ、不安に
させるのです。
そして、支配者に依存させるのです。
権力者、支配者の命令を素直に
従うようにミスリードして
いるのです。
人と集えばいいのです。
人と集い合い、お互い出来ることを
提供し合えば何も困ることは
ありません。
お金を使わなくても、十分生活する
環境を創ることが出来るのです。
人々が集えば何でも出来ます。
ただ、依存の考えで集わないで
くださいね。
人のいる所にいけば、誰かが自分の
面倒をみてくれる・・という考えは
依存です。
自分は積極的に何かをしなくても
誰かが世話をしてくれる・・
と思わないでください。
提供し合うというのは、自分も出来る
事を人に提供するという事です。
そこにいる人に世話を焼いて欲しいと
思って集わないでください。
みんながそのような考えで集って
しまうと何も出来ません。
それは分かりますね。
どこかのホームのように、
何もせずとも自分の世話をして
もらえると思わないでください。
老齢の人だけではなく、
生活するのが辛いと思って
誰かと一緒にいたい、という
考えでは、じょうもんのような
提供し合う社会は出来ません。
みんなで提供し合うのです。
年齢は関係ありません。
人には必ず提供できることが
あります。
体力的に難しくても、知識を提供
することも出来るのです。
誰かに何かをしてもらおうと思って
人々と繋がろうと思わないでください。
それでは、いまの社会と変わりません。
結局、自分の世話をしてくれる
人がいなくなったらどうしましょう・・
という不安にさいなまれることになります。
提供しあう社会は、自立した人の
集まりなのです。
自分のことは自分で出来る人の
集まりでなくては、提供し合う社会は
出来ないのです。
ただ、何から何まで自分ひとり
でするのが自立ではありません。
出来ない所を補い合うということです。
補い合うというのは依存し合うのとは
違います。
お互い得意なことを持ち寄り
不得意な所は得意な人に
お任せするだけです。
あなたもあなたが得意とする
事を提供するのです。
誰かの得意なことを享受するだけ
ではエネルギーが循環しません。
エネルギーを循環させるからこそ
丸い社会、提供し合う社会が
出来るのです。
自分が苦しいからと言って
依存の考えで人と集おうと思わない
でくださいね。
自分で自分のことを考え、行動
出来る、自立した人たちで集って
ください。
自分の得意を気持ちよく
提供し合える
環境を創ってください。
それが丸い社会であり、波動領域を
移行出来るカギなのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
こうしてお話できることに感謝します。
お金が無いと生きていけないという
考えを大きく刷り込まれてしまって
いるのです。
老齢になって働けなくなったり
病気をして働けなくなった時に
どうしたらいいのか?という不安に
かられるのです。
その不安はよくわかります。
そういう不安を持つようにミスリード
されているのですから。
その上、人々を孤立させるような
政策ばかりをしているのです。
人々を分断し、孤立させ、不安に
させるのです。
そして、支配者に依存させるのです。
権力者、支配者の命令を素直に
従うようにミスリードして
いるのです。
人と集えばいいのです。
人と集い合い、お互い出来ることを
提供し合えば何も困ることは
ありません。
お金を使わなくても、十分生活する
環境を創ることが出来るのです。
人々が集えば何でも出来ます。
ただ、依存の考えで集わないで
くださいね。
人のいる所にいけば、誰かが自分の
面倒をみてくれる・・という考えは
依存です。
自分は積極的に何かをしなくても
誰かが世話をしてくれる・・
と思わないでください。
提供し合うというのは、自分も出来る
事を人に提供するという事です。
そこにいる人に世話を焼いて欲しいと
思って集わないでください。
みんながそのような考えで集って
しまうと何も出来ません。
それは分かりますね。
どこかのホームのように、
何もせずとも自分の世話をして
もらえると思わないでください。
老齢の人だけではなく、
生活するのが辛いと思って
誰かと一緒にいたい、という
考えでは、じょうもんのような
提供し合う社会は出来ません。
みんなで提供し合うのです。
年齢は関係ありません。
人には必ず提供できることが
あります。
体力的に難しくても、知識を提供
することも出来るのです。
誰かに何かをしてもらおうと思って
人々と繋がろうと思わないでください。
それでは、いまの社会と変わりません。
結局、自分の世話をしてくれる
人がいなくなったらどうしましょう・・
という不安にさいなまれることになります。
提供しあう社会は、自立した人の
集まりなのです。
自分のことは自分で出来る人の
集まりでなくては、提供し合う社会は
出来ないのです。
ただ、何から何まで自分ひとり
でするのが自立ではありません。
出来ない所を補い合うということです。
補い合うというのは依存し合うのとは
違います。
お互い得意なことを持ち寄り
不得意な所は得意な人に
お任せするだけです。
あなたもあなたが得意とする
事を提供するのです。
誰かの得意なことを享受するだけ
ではエネルギーが循環しません。
エネルギーを循環させるからこそ
丸い社会、提供し合う社会が
出来るのです。
自分が苦しいからと言って
依存の考えで人と集おうと思わない
でくださいね。
自分で自分のことを考え、行動
出来る、自立した人たちで集って
ください。
自分の得意を気持ちよく
提供し合える
環境を創ってください。
それが丸い社会であり、波動領域を
移行出来るカギなのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
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