世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:その問いはとてもナンセンスです」
混迷を深めるだけの「トロッコ問題」
「その問いはとてもナンセンスです」by アシュタール
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
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アシュタールの洞察力には本当に頭が下がりますね。
私たちは普段からいつもこのような問いをしていると思います。
いわゆる究極の選択というものです。
テレビや雑誌やネットなどでもそうした問いが出てきます。
でも、どの問いも中途半端で問いかけだけで終わっています。
それは結局は読んでいる人や見ている人に混乱をもたらすだけで
何の効果もありません。
アシュタールが語るように「トロッコを何とかする」「両方が助かる
道を考える」というのが正解だと思います。
私たちはややもすると何かを為すには犠牲が必要という考え方を耳に
することが多いだろうと思います。
特に宗教ではそうした問いが出て来て、その中の崇高的な考えは
はっきり言って「他人のために自分を犠牲にする」というものです。
しかし、はっきり言ってそれもおかしな考え方です。
犠牲となって亡くなった人がいたりすればそれはヒーロー扱いされ
多くの人々の称賛の対象となります。
実際にそう言うことは過去に多くありました。
犠牲になった人々はあえて選んだ結果なのでそれ以上言うことはありませんが
もし、これが戦争というテーマだったらどうなのでしょう。
お国のために自分を犠牲にするという考え方につながり、実際そういう事例を
多く出してきたのが戦前に行われた戦争です。
それが結果として何をもたらしたのでしょうか?
日本国民に多大なる悲しみと悲惨な生活をもたらしました。
多くの日本国民が犠牲となって亡くなったのに、そうした犠牲を半ば強要した
戦争を指揮していた人たちはどうだったのでしょうか?
その多くは生き残ったはずです。
中には戦争犯罪で裁かれた人もいますが、逆に助けられた人もいたのです。
その典型は神とあがめられた人たちです。
だから、究極の選択へいざなうような質問はナンセンスであるという
アシュタールの指摘は正しいです。
私たちはその質問の持つ意図と目的に気付くべきでしょう。
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