破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:もったいない時間」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:もったいない時間」

今日の破・常識!

あなたは死ぬためにテラに生まれて来たのではなく


楽しむために生まれて来たのです。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「もったいない時間」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。


死ぬときは死にます。


死なない時は死なないのです。


死なない時は驚くような事故にあっても死にません。


死ぬときは軽く転んだだけでも死ぬのです。

(それは最初から死ぬ時を決めてきたとか


誰かに決められたとかではありません。


死ぬときはそのときのあなたが自分で決めるのです)


死ぬことを怖がって、生きることを怖がらないでください。


分かりますか?

 


死ぬことを怖がって死から目をそらそうとすると


生きることにも目をそらしてしまうことになるのです。


生きることに目をそらしてしまうと


いまを生きることができなくなってしまいます。


あなたは”いま”生きているのです。


”いま”しか生きていないのです。


あなたは”いま”だけ存在しているのです。


過去も存在していましたと思うかもしれませんが


確かに過去も存在していましたが


それはいまのあなたとは関係のないことなのです。

 

過去はあなたの中の記憶にすぎません。


過去のあなたといまのあなたは別のあなたなのです。


過去のあなたと同じだと思ってしまうから


過去といまは同じだと思ってしまうのです。

 


それはとてももったいないことだと思います。


”いま”は”いま”しかないのです。


一度しかない時間なのです。


あなた達は時間という概念を創り出し


限りのある(と思っている)時間の中で

どうやって遊びつくすかを楽しむために


物質世界のテラに生まれて来たのです。


一度しかない時間・・それの連続があなたの人生なのです。


毎瞬、毎時間、毎日同じようなことの繰り返しで


何も変化がないと思ってしまうから一度しかない時間を


大切にすることが出来なくなってしまうのです。


”いま”は一度しかありません。


5歳の時は一度しかないのです。


何度も5歳のあなたを経験することはできません。


今のこの瞬間のあなたもいましか経験出来ない時間なのです。


それを大切にして下さい。


一度しかない時間として認識することが出来れば


”いまこのとき”がとても愛おしく感じられると思います。


”いま”のあなたがとても愛おしく


大切な自分だと思えるようになります。


あなたの”いま”の時間を大切にすることが出来れば


とても濃厚な素晴らしい体験をすることが出来るのです。


あなた自身を最高に愛することが出来るのです。


いまの自分を最高に愛し大切にすることが出来れば


ずっと大切に生き続けることが出来ます。


この大切な一度しかない時間を我慢しようなどとは


思わなくなります。


軽く考えることは出来なくなります。


誰かのために生きようとは思わなくなります。


誰かに従って生きようなどとは思わなくなります。


それはとてももったいない時間だと思えるように なるのです。

 


死ぬことを怖がって、生きている”いま”から


目を背けないでください。


しっかりと生きているあなた、生きている時間と


向き合い精一杯楽しんでください。


生きているこの瞬間を楽しんでいれば


すべてはスムーズにいきます。


いまを楽しむことが出来れば、心配や不安に


目を向けることもなくなりますので


そのまま精一杯楽しむ時間が続くのです。


死ぬことも怖くなくなります。


こんなに楽しんだのだから死ぬときも


何も思い残すことはないと思えるのです。

 

死ぬときは死にます。


死ぬことよりも生きている”いま”としっかりと向き合い


”いま”をどうやって100%楽しもうかと考えてください。


あなたは死ぬためにテラに生まれて来たのではなく


楽しむために生まれて来たのです。


生きることを楽しむために生まれて来たことを


忘れないでくださいね。

 

 

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

 

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

先日、高校時代の仲間と久しぶりにさしみがおいしいと同級生の言う某居酒屋で飲み会を

したのですが、話し込んでいくうちに同窓会をやろうという話題になり、そのときに

同級生が「僕は古希になったら終活を始めようと思う」と言ってました。

その話を聞いて一瞬耳を疑いましたが友人は本気のようでした。

私にはそういう考えはさらさらなくて古希だろうが金寿だろうが今生きているという

うちは若いという意識がありましたので意外だったのです。

それって、もう数年後にはいつ死んでもいいということになるのですが、それは今生きて

いる楽しみを味わい尽くすためなのか、それともあきらめなのか?

確かに彼は土地や家屋の面積も普通の人に比べれば多く財産もありそうなので遺産相続で

もめないためだろうと思いました。

私にはそういう終活という考えは毛頭なく今があればそれで十分で死んだ後のことは

残された人が考えればいいだけのことです。

今から自分の人生にピリオドをする予定を決めておくようで嫌でしたね。

コメント

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