破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:離れることも愛」

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離れる アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:離れることも愛」

今日の破・常識!

違うと思えば離れるしかないのです。


離れることを怖がらないでください。


離れることに罪悪感はいらないのです。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「離れることも愛」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。


根本的に考え方、価値観、目指しているところが


違う人たちとは話はかみ合わないのです。ムリなのです。


話し合いをすればわかり合える、何とかなると思っても


ムリなのです。


どちらが悪いとかの判断をしても仕方がありません。


どちらも自分が正しいと思っているのですから。


話は平行線になるだけです。

 


あなた達のいまの社会を創っている人達たちと


あなた達庶民の考え方はまるで違うのです。


あなた達庶民の感情を理解できない(しようとしない)


人たちなのです。


彼らの”正しい”は支配することなのです。


庶民を管理しコントロールし搾取することなのです。


あなた達の幸せなどみじんも考えていません。


どうやってあなた達の思考を操作し、自分たちに都合よく


動かすことが出来るかだけを考えているのです。


根本的に違うのです。


最近、あなた達もそれに気が付きはじめました。


あなた達庶民の波動が軽くなってきたので


何か感覚的におかしいと思えるようになって来たのです。


だから、この騒ぎを起こしたのです。


恐怖で縛り付けることで、あなた達の波動を重くし


彼らの作った檻にもう一度しっかりと閉じ込めよう


としているのです。


庶民のハートは気が付いています。


ハートは違う、何かがおかしいと叫んでいるのですが


思考操作されたマインドがそれを阻止して


ハートとマインドがバラバラになってしまい


混乱を起こしてしまったのです。


自分が何を望み、どうしたいのかがわからなくなり


また思考を停止するということになっているのです。


価値観が違う、常識が違う、感情の動きが違う、


何かが変だと思うならばそこから立ち去るのが一番なのです。


そこで何とかしようとあがいてもムリなのです。

根本的に違うのですから、何ともなりません。


彼らが創った社会です。


彼らの都合よく創られているのは火を見るよりもあきらかです。


彼らの創ったルールの中で自分たちの意見を主張しても


何も変わらないのです。


どうか私たちの意見を聞いてくださいと


いくら頼んでも彼らは聞く耳を持ちません。


反対に力で押さえつけられるだけなのです。


自分たちに反抗するものは押さえつける・・


それが彼らの考え方であり、ルールなのです。


集団になってデモをしてもムリだという理由はこういうことです。


そこにいる限り、彼らの創ったルールの方が強いのです。


ならばそっと離れるしかないのです。


どうやって離れればいいのですか?と


よくご質問をいただきますが簡単です。


何度も何度もお伝えしていますが、もうイヤですと


言えばいいだけのことです。


従いません・・と宣言すればいいだけのことです。


でも、そんなことをしたら食べていけません、


生きていけません・・というご意見もいただきますが


本当にそうでしょうか?


冷静に考えてみてください。


生活するために、生きるために必要なものはすべて


あなた達庶民が作っているのです。


あなた達がいれば何も困ることはないのです。


困ると思わされているだけです。


そこでも強く深く思考の操作が行われているのです。

いまたくさんの人が混乱の中にいます。


矛盾ばかりを見せつけられどうしていいか


何をどう考えていいかわからなくなっています。


矛盾をたくさん突きつけられると思考がストップしてしまうのです。


ゴー!ステイ!を同時に言われたらどっちに従えばいいか分からず


ただ混乱するだけになってしまいます。


それはわかりますね。


いま、起こされているのはそういう状態を創ることなのです。


矛盾する政策をどんどん打ち出しているのは


あなた達を混乱させ思考停止に持っていくためにしている


という側面もあることを理解してください。


どうしてこんなに矛盾なことばかり言い出すのでしょう?


と思ったらこのことを思い出してください。


そして、またやっていますねと冷静に見てください。


感情だけで受け取ってしまうと冷静に見ることが


出来なくなってしまいます。


手品のタネとして見てください。


彼らの意図が透けて見えてきます。

話がそれましたので戻しますが、根本的に考え方の違う


他人とはわかり合おうとしてもムリなのです。


どちらが良い悪い、正義、悪ではなく


どちらもお互いの言い分が違うだけなのです。


だから、違うと思えば離れるしかないのです。


離れることを怖がらないでください。


離れることに罪悪感はいらないのです。


お互いの意見、考え、価値観を尊重するために離れるのですから


気持ちよく離れてください。


離れることも”愛”だということです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

 

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

離れることに罪悪感を感じる方がいるとしたら、それは誰かと別れ別れになり疎遠に

なってしまうようなイメージを持つからかもしれません。

離れると言っても考え方や思考を変えるだけのことなので誰かと離れるというような

ことではありません。

それは自ら関与しないということです。

彼らはいろんな策を練って私たちを扇動しようとしますがそれに乗らないということです。

そうすれば彼らには何もできないので自然と離れていきます。

日常生活の中でもテレビでは毎日世界の出来事を報道していますが、そんなテレビを

見なければそれだけで彼らは自分の視界に入ってこないのです。

私も一日のうちテレビを見るのは正味30分から1時間です。

それはほぼ夕食の時間にテレビを見ながら食べているので自然と見ることになるのですが

それ以外はテレビを見ていません。

いつか書いたようにテレビと言うのはとても受動的で見たくない番組や報道内容であっても

自然と入ってきます。自分で見たくなければチャンネルを回して変えればいいだけのこと

ですが、多くの人はそのまま流し見してしまうでしょう。

それが本当は一番いけないのです。

朝から晩までテレビが報道しているのは以前はコロナ一辺倒だったのに今が違いますね。

内容が違っても同じです。朝から晩まで流し続けています。どのチャンネルをひねっても

同じです。

これを流し見で何時間も見ていると見てないようでもその内容は頭の中に残ります。

そしてどこどこが悪いという一貫した主張なので私たちはそれ以上考えようとはしません。

もう、どこどこが悪いという思考になってしまい、それ以外の考えは退けてしまいます。

それが本当はテレビの最大の狙いなのですが気付かないでしょう。

だから、離れるためにはテレビを見ないことです。

その半面ネットの情報は自分で取捨選択できます。それがテレビとの大きな違いです。

もし、そっと離れたければ自分の信じる情報をネットで集めて考え自らの判断で決めて

行動するようにすればそっと離れることができます。


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