破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:生活があなたの人生なのです」
今日の破・常識!
生活を楽しんでください。
生活があなたの人生なのです。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「生活があなたの人生なのです」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
まず最初にお伝えしたいのが
生活に関するこまごまとした事をイヤな事だと思う理由です。
こまごまとした事をイヤな事、誰でも出来る事、つまらない事
下の人間がする事という概念を作ってしまったのが
レプティリアンなのです。
彼らは労働がイヤだったのです。
だから自分たちが労働しなくていいように(金を掘り
運搬する作業から解放されるために)人間を創り出したのです。
人間はずっと労働する事を強いられてきました。
人間は、人間の上に君臨し、何もせず、面倒な事は人間に押し付け
命令だけをし遊んで暮らしている支配者(レプティリアン)を
見て憧れました。
(まだレプティリアンが人間の前に姿を現していた頃の話です)
そして自分もあのような生活がしたいと思ったのです。
だから、ピラミッド社会の上に行こうと思ったのです。
ピラミッド社会の中で上に行かなければ
ずっとこまごまとした労働をしなければいけないので
何とかそれから逃れようとピラミッドの上の立場に行くことを
望むようになったのです。
それが社会的な向上と言われてきているのです。
お金持ちになって人を雇い、生活のこまごましたことを
その人たちにまかせ、自分はもっと価値のある
(お金を儲けたり、社会的に上に上がるための)
仕事をすることが人間として良い生き方だと思っているのです。
王族や貴族、お金持ちなどと呼ばれている人の生活を見れば
分かるとおもいます。
人々にかしずかれ、生活に関することは何もせず
人々に命令することが人間として高貴な存在になる事だと
思い込んでいるのです。
だから、王族に憧れ、富み、権力を欲しがるのです。
(自然の中に人工的に作られたリゾート地と呼ばれる場所の中に
建てられた人工的な宮殿のような建物に行き
日常の生活とは離れ、ちょっとした王族のような気分を
味わいたいと思うのもそのような理由からなのです。)
そして、自分よりも力の弱い、社会的立場の低い人たちに
生活のこまごまとした労働を任せようとしてきました。
それがいまも続いているという事です。
会社も家庭もピラミッド社会です。
上に立つものが下のものに自分がしたくない労働を
押し付けるという構図になっているのです。
めんどくさいと思う労働は下のものにさせればいい
自分はもっと素晴らしい仕事をしなければいけないのだから
という思考になっているのです。
これはわかりますね。
お茶くみ、コピー、書類整理、などの細かな作業は新人、部下
”女の子”にさせておけばいい、という風潮があるのは
わかると思います。
女性を低く見る(男尊女卑)に関しては、女性の感性を怖がる
支配者が意図的に創った思想ですが、物質的に力が弱いなどの
理由からも社会的な立場が低くなりこまごまとした労働が
女性に押し付けられるようになっていったのです。
(戦争などの陣地取りが盛んだったころは男性の力の方が優位で
女性の力は劣っていると思われていましたので
女性は男性の従属物のような立場に置かれてしまっていたのです)
押し付けられるという言い方に不満を感じる方も
いらっしゃるかもしれませんが
女性はこまごまとしたことが好きなんだからとか
母性的な観点からそのようなこまごまとした事は得意だから
女性がそのような労働を担うべきだという考えが
あるかもしれませんが、それも宗教や常識、道徳
倫理観などによって刷り込まれた考えだ
という事をお伝えしたいと思います。
生活を楽しむという考えがピラミッド型の社会にはないのです。
生活を楽しむよりも、社会的にもっと上の立場に行くことの方が
重要な事だとされているのです。
何故なら、そのような思考にしておけば支配者たちにとって
都合がいいからです。
もっと働こう、もっと上に上がって行こうと思えば思うほど
自ら過酷な仕事(労働)をしてくれるようになるし
上に行くために上の人の機嫌を取るために
命令をよく聞くようになるからです。
生活そのものを楽しまれると生活に余裕ができ
それぞれの得意なことをするようになり
それを提供し合うようになり
社会的に上を目指そうとか思わなくなり
支配者たちが望むような労働をしてくれなくなります。
生活を楽しむ事でご機嫌さんになり
波動が軽くなってしまうからです。
だから、生活そのもの、生きる事そのものを楽しませないように
上に行くことが生きる目的だと教えるのです。
それが人として正しい生き方だと教えるのです。
上に行けば生活のこまごましたことをする必要もなく
人に命令する優越感も得ることができ
優雅な人生を送れますよと小さな頃から刷り込むのです。
そういう考えをしているから自分のエネルギーが不足するのだ
という根本的な事は教えず、不足したエネルギーを
人から搾取する方法だけを教えるのです。
だから、ピラミッドの下の方の立場の人たちにすべてを押し付け
それをしてくれることに関して感謝の気持ちなど感じなくなります。
感謝どころか優越感さえも感じるのです。
生活を楽しんでください。
生活があなたの人生なのです。
生活の中でこまごまとした作業も楽しもうと思えば
楽しくなってきます。
時間に追われ、早くしなきゃと思ってしまうから
それを楽しめなくなるのです。
楽しめないから誰か他の人にやってもらいたいと思うのです。
(もちろん、得手不得手、向き不向き、好き嫌いがありますので
イヤなことはそれが好き、得意な人にやってもらえばいいのです。
あなたが好きなことを楽しんでください)
じょうもんや江戸の人たちは毎日の生活を楽しんでいました。
社会的に上を目指そうなど思わず
自分の生活をどうやって楽しむかが
彼らにとって重要だったのです。
だから、独特の文化も花開き
ご機嫌さんな社会を創造出来たのです。
毎日のこまごまとした事をイヤな労働だとみるか
楽しいことだと思うかであなたの生活は大きく変わるのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
人はみなそうかもしれませんね。
日常の雑務から解放されのんびりと気ままに生活したいと内心では思っていると思います。
会社なんかはその典型ですね。
嫌な仕事は新人や女性、立場の下の部下の役割であり、それが当然という考えです。
そして、偉くなるにはその丁稚奉公のようなことが大事なんだと教えられます。
会社に入ればそういう下働きが出来て一人前の新人と見られます。
出来ない人はいつまでもそのままです。
楽をしたいと誰もが思うのはそうした下働きという社会的通念があるからです。
しかし、この社会すべてにおいて貴族のようなスタイルで生活できるかと言われれば
そんなことはあり得ません。
多くの一般的な生活には日常的な雑務が伴います。
家事、掃除、洗濯などは生活していく上に置いて避けることはできません。
必ず必要です。
だから、それは生活に必要なものとして受け入れる必要がありますので嫌なこととして
考えるのではなく必要なものとして楽しむ工夫が大事です。
料理も美味しい食事をしたいと思えば苦痛でなくなります。
掃除も快適な生活空間にしたいと思えば気が楽になります。
洗濯は今や自動化されている時代ですので問題ないでしょう。
結局は今の自分の生活そのものが人生体験なのです。
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