男女一緒のプールに生徒ら疑問の声 仙台二高、水泳授業3年ぶり再開
異性の視線が気になる。男女生徒3人が述べる
同校で水泳は各学年の必修授業だが、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2020年度に中断し、球技で代替してきた。宮城県内の感染状況が落ち着きつつあることなどを踏まえ再開を決めた。
県内の高校で唯一、50メートルの競技用プールがあり、女子は全体の3分の1のエリアを使う。女子は更衣室、男子はプールサイドのテントで着替え、準備運動までは男女ともジャージーを着る。水着の指定はない。
声を寄せたのは、20年度に入学した現3年生の男女3人。共通するのは「男女混合の水泳授業はおかしい」という点だ。
女子生徒は「男子の視線が気になり、プールに一緒に入ることに嫌悪感を覚える」と強調。男子生徒も「体形などさまざまな面で、異性だけでなく同性の目も気になる。不快な思いをして授業を受けることに疑問がある」と話す。
入学以来、コロナ対策で学校生活の楽しみを奪われてきた中で、敬遠する生徒もいる水泳授業が再開されることへの割り切れなさもあるようだ。女子生徒は「高校総体の応援練習や岩手山登山など思い出になる活動は中止し、なぜ水泳だけを再開するのか」と嘆く。
同校は生徒の声をどう受け止めるのか。体育担当の早坂馨教諭は「3年になって水泳の授業を初めて経験することに戸惑いがあるのだろう」と指摘。3人は希望者のみか選択制の水泳授業を望むが「他校にはない貴重なプールなので使って卒業してもらいたい。最初の授業で学ぶ『溺れた時の対処法』は大切な経験になる」と理解を求める。
他校の状況も聞いた。水泳の授業を昨年再開した仙台一高(若林区)では体育の授業は男女一緒だが、6~9月は男子が水泳、女子は球技に分かれる。斎藤英明教頭は「共学化の際、更衣室がないという理由で水泳は男子だけになった。今も男子はプールサイドで着替える」と説明する。
今夏、3年ぶりに水泳授業を再開する仙台二華高(同)の体育は男女共修で、水泳はレーンで男女のエリアを区分。仙台二高とほぼ同じ形で実施する。
文部科学省は昨年4月、都道府県教委などに宛てた通知で、水泳授業の実施時は十分な感染対策を講じるとともに「児童生徒や保護者の理解を得ること」を求めた。宮城県教委保健体育安全課は「水泳の授業が不安な際は体育教員や養護教員、スクールカウンセラーに相談してほしい」と呼びかける。
(佐藤素子)
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ついにここまで来たか!
と言う感じですね。
マスクを外すのが恥ずかしいと同じ心理です。
昭和のころは当たり前のように受け止めていたのだが、その背景には当時と違って
男女の発育の程度が違うのかもしれない。
当時は今ほど体型が発達していなかったのであまり気にしてなかったが、今はどうも
目のやり場に困るくらいなのだろうと思います。
しかし、異性同士と言うのは相手を気にしたりすることが当たり前のことであり
それが正常な証でもあります。
それが異常に警戒心を持って見られるというのはどうなのだろう。
高校生の時と言うのは男女とも相手に関する関心が強いときでもあり、それが
恋愛感情へと発達する時期でもあり、それ以前に警戒心が先に立つというのでは
恋愛関係も出来ないだろう。
互いに互いを忌避する傾向が強すぎるのではないのだろうか?
それが20代独身男性4割がデートの経験なしという現状にもつながっている。
そういう社会情勢ならば少子化に突き進んでいると言うのも当然と言えます。
何かがおかしいと感じます。
この世には男女しかいないのに互いの警戒心、特に女性に強いのだが、それが
男女の交際を妨げている一面は否定できないでしょう。
また、今の世代の人々は寛容力がなくなってきていて、ちょっとしたことでも
問題を大きくしてしまう傾向があり、場合によっては軽微なものでも犯罪となって
しまう部分があります。
人が信用できないという社会構造になってしまっています。
昔なら隣の家に柿がなっていれば取って食べても相手の暗黙の了解があれば問題は
なかったのだが、今は相手の了解以前に犯罪になります。
何となく社会全体がいびつな方向に変わりつつあるように感じます。
そして、それを作ってきたのがマスコミだということを認識すべきでしょう。
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