世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ギフテッド?」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ギフテッド?」

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公共教育で苦しむ「ギフテッド」の子どもたち

公教育で苦しむ「ギフテッド」の子どもたち…特異な才能伸ばせない教育現場、どうすれば変わる?
 
・・という記事を読んで、ん~^^;って
 
思っていたらアシュタールからメッセージが来ましたので
 
お伝えしますね^^

「ギフテッドというものは本来ないのです」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
ギフテッド・・ですか・・
 
神さま?などから特別に能力を与えられた人など
 
いないのです。
 
特別な存在などいないのです。
 
 
特別と言うならば、みんなが特別な存在なのです。
 
宇宙には一人として同じ人はいないのです。
 
みんな違う個性なのです。
 
だから、みんな特別な存在なのです。
 
 
特別な天才もいません。
 
みんなが天才なのです。
 
みんながユニークなアイディアを持っている天才なのです。
 
 
あなた達は特別な存在を作りたがる傾向があります。
 
それは何故かというと、セルフイメージを低くされているからです。
 
セルフイメージが元に戻って、自分に自信が出来ると
 
神や支配者的な存在を崇拝しなくなるからです。
 
支配者は人々に特別な存在として崇拝されなければ
 
力を得ることができないのです。
 
だから、特別な存在という立場を作りだすのです。
 
 
そして、人々は特別な存在に憧れます。
 
みんなと同じではイヤだと、他の人から特別な目で見られたいと
 
思うのです。
 
チヤホヤされ持ち上げられたいとおもうのです。
 
大きな特別な存在になる事はできない、でも小さな特別な存在には
 
なれるのではないか・・と思うのです。
 
少しで他の人より有利になりたい、少しでも他の人とは違う
 
存在になりたいと思うのです。
 
特別な存在、神から特別な能力を与えられた存在として
 
他人とは違う自分になりたいと思うのです。
 
 
勉強ができる、スポーツができる、お金をたくさん稼ぐことが
 
できる・・など分野は違ってもその分野で特別になりたいと
 
思うのです。
 
 
親が自分に特別なことができないと思うと、子どもに期待します。
 
子どもも親の期待にこたえたいと一生懸命になるのです。
 
そして、お互い辛い思いをすることになります。
 
 
特別な存在・・そんなものはありません。
 
そこを分かってください。
 
特別に素晴らしい才能を与えられた人はいないのです。
 
みんな特別な素晴らしい才能を持っているのです。
 
 
でも、自分はそんな才能は無いと思い込んでしまっているのです。
 
それは、学校教育のなせる技です。
 
すべてを平均的に、平均以上に出来る人が素晴らしいと
 
されてしまったので、自分の得意とする分野を伸ばすことが
 
できず、自分には何もないと思ってしまうのです。
 
そして、本当に一部の分野だけ伸ばすことができた人を
 
特別な才能を持った天才と呼び、凄い人だと思うのです。
 
その人に関しては平均など関係なく、他のことが人よりも
 
できなくていいと許されるのです。
 
だから、それを含めて、そのような才能を持った人を
 
羨ましいと思うのです。
 
 
子どもを天才にしたいならば、素晴らしい能力を発揮できる
 
ようにしたいならば、好きなようにさせてください。
 
社会の常識や、倫理観、価値観を押し付けず、子どもが
 
したいように自由にさせてください。
 
そうすれば、どの子も素晴らしい能力を発揮します。
 
とてもユニークな素晴らしい存在になります。
 
どの子も特別な能力を持った天才になるのです。
 
 
大人ももちろんそうです。
 
好きに自由にしていれば、みんな特別な素晴らしい存在に
 
なれるのです。
 
 
人と同じようにしなければいけない・・といいつつ、
 
人と違う才能が欲しいと思うのは大きな矛盾です。
 
人と同じようにしなければいけないと思っていると
 
自分の個性を押さえつけることになりますので、
 
あなたにしかできないことをすることができないのです。
 
平均でいようとすれば、特別なことはできません。
 
社会で言われる特別な存在などにはなれないのです。
 
 
誰でも特別な素晴らしい存在です。
 
でも、それが分かるには突き抜けるしかないのです。
 
私も人とは違う特別な能力が欲しいと思うならば
 
人と同じことをするのを止めることです。
 
人と同じことをして、人目につかないように無難に暮らしながら
 
人に注目されるような存在になりたいと思ってもそれは
 
ムリなのはわかりますね。
 
 
すべて人と同じようにしなければいけない、常に平均値、
 
もしくは平均値以上でいなければいけないと思っていたら
 
セルフイメージは低くなる一方です。
 
これは平均値以上だけど、これは平均にも行かないと思うことが
 
出て来るからです。
 
そして、あなた達は平均よりもできることには価値を置かず
 
できない事を平均値までに持っていかなければいけないと
 
思ってしまうので、できない事ばかりにフォーカスします。
 
だから、出来ない私・・というイメージがついてしまい
 
セルフイメージが低くなるのです。
 
 
セルフイメージを元に戻す、自分を好きになるためには
 
出来ることだけを見てください。
 
自分が出来ることだけを楽しんでいると、自分が特別な存在、
 
自分にしかない能力を思い出すことができます。
 
そして、自信がついてきます。
 
だから、他の能力を持っている人に対して、羨ましさや妬ましさ
 
などは感じなくなります。
 
その人はそこに能力があるのですね、私はこれに能力がありますと
 
思うことができ、すべての人に対して尊敬と尊重の気持ちを
 
持つことができるのです。
 
 
とても長くなってしましましたが、私が言いたいのは
 
すべての人が特別な存在であるという事です。
 
すべての人が天才なのです・・ということです。
 
 
一人として同じ人はいません。
 
みんな違うのです。
 
みんなそれぞれ素晴らしい能力を持っているということです。
 
 
自分を信じてください。
 
自分を信じることができるようになれば、
 
特別な存在になりたいとは思わなくなります。
 
特別な存在を作り出し、崇拝し、従おうなど思わなくなります。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

ギフテッドという言葉にあまりなじみがなかったのですが、そうだったんですね。

DVDで洋画ドラマに「ギフテッド」というのがありましたね。私は見ていないので詳細は

わかりませんが、超能力的力を持つ子供たちの物語だったようです。

学校教育と言うのは平均的であることが求められ、突出した能力があっても平均に合わせる

ことを要求される場です。

引用記事の中に書かれていたように「先生の考え方に負うところが多い」という部分には

納得できるものがあります。

文部科学省の学習指導要綱に忠実な先生ほど個々の生徒の能力を認めないということです。

人は千差万別であり、いろんな考え方を持つのでこうした規則に忠実な先生がいても不思議

でもなんでもないのですが、困るのは生徒でしょう。

担任の先生が子供の能力の違いを見てその能力を伸ばせるような環境づくりをするかどうか

はひとえに担任の先生の裁量にかかっています。

それが出来る先生と巡り合えるなら素晴らしいことです。

学校教育の最大の問題点は平均を求められ秀でている部分があっても、平均以下のものが

あるだけで、その特異的能力も否定されてしまうことです。

本来、子供の持つ能力は多様であり、すべてが平均値に収まるものではありません。

英語は得意だけど数学はちょっと!と言う人もいればその逆もいます。

学校教育で学んだ結果の評価はテストで試されますが、その評価が高ければすべててで

秀でているかと言えばそんなことはなく、あくまでも暗記で点数を取っている部分が

あるので、実用的な知識とか知恵においてはダメなことがあります。

話がそれてしまいましたが、ギフテッドと思われるような子供がいるならば本人の

好きなようにさせてあげるのが一番です。

たとえダメな科目があっても何も言わないことです。そうすればその子供はのびのびと

自分の力を発揮できるので、何ら問題なくなるでしょう。



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