破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:宇宙は二元でもあり、非二元でもある」
今日の破・常識!
あなたはその流れをしっかりと感じたくて
物質世界のテラに生まれて来たのです。
宇宙は二元でもあり、非二元でもあるのです。
byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「宇宙は二元でもあり、非二元でもある」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
宇宙には悪という概念も善という概念もありません。
悪、善という概念は、テラの上だけで作られた概念なのです。
悪と善という二つの概念を作り出し、悪とはこういうもの
善とはこういうものと宗教的に教え込んだものなのです。
神という存在を作り、その存在に従うことが善である
その存在が言うことを守ることが善である
としているだけなのです。
善も悪も立場や考え方を変えれば反転するのです。
そうですね。
見る方向を変えればどちらも善になりえるし、
悪にもなりえるのです。
これが悪、これが善という絶対的に確立したものは
ないのです。
闇と光・・これは物質的な宇宙にはあります。
しかし、闇と光は同じものなのです。
あなた達のこのような考えは二元論という概念からきています。
二元論とは相反する二つのものがあるということですね。
善悪、物質と精神(エネルギー)、創造主と創造物、神と悪魔
などの相反するものがあるから世界は成り立つという考え方です。
宇宙には確かにふたつの流れがあります。
絶対無限の存在に近づこうとする流れと
離れようとする流れがあります。
それは良い悪いではないことはご理解いただけると思います。
それは方向性の違いです。
そして、そのふたつの流れがあるから
バランスを取ることが出来るのです。
どちらかひとつの流れだけだと刺激を得ることができません。
刺激とは違う考え方を知るということです。
絶対無限の存在は自分が何者かを知りたくて
たくさんの自分を作り出し
いろいろな体験をしてもらっているのです。
ですから、同じ方向の体験ばかりをしていても
刺激は少なくなります。
同じような考え方ばかりだと新しい事を考えることが
できにくくなってしまいます。
だから、真反対の方向の流れも出来たのです。
真反対の方向の流れがあるから面白い経験もできる
ということになります。
でも、結局はその流れも同じものなのです。
難しいですか?
違う流れであっても、結局はひとつのところからできている
ということです。
結局は絶対無限の存在であるのですから
もとはひとつなのです。
ですから、闇も光も同じものだということです。
だから、見方を変えれば善も悪も同じものなのです。
ワンネスなのです。
分離に見えて実は統合なのです。
矛盾しているように見えますが、結局はひとつなのです。
善と悪のように分離を経験しながら
統合へとつながっているのです。
悪があるから善が分かるのと同時に
善があるから悪もわかるということですね。
(何度も言いますが、善も悪もありません
これが善でこれが悪と決めているのはその人であって
すべての存在に共通に認識されるものではないのです)
良い悪いではなく、二つの大きな流れがあるから
流れを認識することができるのです。
違う考えがあるから、自分の考えを考えることができる
ということもあります。
これは比較ではありません。
比較はどちらが良い悪いという判断です。
自分と違う考え、ものの見方があるということが分かれば
自分が分かるのです。
すべてが同じであれば、自分の考えを知ることができません。
絶対無限の存在は自分を知りたいのです。
そのためにはたくさんの経験をしたいのです。
ですから、同じ方向だけではなく
違う方向の経験もしてみたいと思っているのです。
ですから、闇があるから光が輝く
悪があるから善を知ることが出来るという考えには
そうでもあるし、そうではないということになる
とお伝えしたいと思います。
すべては同じものなのです。
ただ見る角度が違うということです。
そして、見る角度が違うことによっていろいろな事を発見?
見つける?知る?ことができるのです。
どちらも素晴らしいものです。
どちらもなくてはならない流れだということです。
その流れの違いが際立つのが物質世界なのです。
そして、あなたはその流れをしっかりと感じたくて
物質世界のテラに生まれて来たのです。
宇宙は二元でもあり、非二元でもあるのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
初めてアシュタールのこうしたメッセージを聞く方には戸惑いがあるかもしれません。
この世界では善を志向することこそが正しいことだと教えられ、悪は忌み嫌うべきもの
という考えに満ちています。
また、アセンションの世界も同じです。
次元の階段が7段まであった場合、7段に位置する存在は崇高で光で満たされていてこの世の
悪と言う概念が全くないものだと教えられ、そうした世界を求めるように教えられます。
そういう点ではアシュタールのように善悪の概念を覆すような考え方を教える存在はとても
珍しいのです。
おそらく大多数の人が反発するでしょう。
それは善と悪を同列なものとして見ることは許されないという思考です。
もはやそうした考えにどっぷりと浸かった人には理解しにくい概念です。
善と悪がそれぞれ必要なものとして存在するということです。
善悪が存在するからこそ善の尊さが理解でき悪の問題点が理解できるのです。
例えば戦争で人を殺しても罪には問われません。
殺人は一方では許されない行為として処罰されるのに、もう片方ではお咎めなしです。
これだけ極端な例はありません。
つまり、目的が異なれば正当化されるということです。
その目的とは自分のためなのか国のためなのかという違いです。
この問題は深く追及すると迷路にはまり込んでしまうので、このくらいにしましょう。
ともかく物事は表と裏から見る視点が異なるだけで解釈が異なるということです。
従って絶対的な基準はありません。
そういう観点に立てばこの世界の出来事に少しは寛容になれるのではないでしょうか?
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