世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:鳥肌が立つくらい怖い」

スポンサーリンク
アセンション

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:鳥肌が立つくらい怖い」

ミナミさん:教育って何なん??

ものすごい違和感・・・

フェイスシールド。

福岡の小中学校での様子だそうで・・

フェイスシールドにマスクって・・

大阪でも市内の小中学校の児童生徒約16万5千人と

教員に顔を覆うフェースシールドを配布するらしい・・

大阪市、児童らにフェースシールド「マスクいらんかも」

市長 フェイスマスク

松井氏は市役所で記者団に「小学生は向き合って

しゃべっちゃだめよと言っても会話してしまう。

小学校からやる必要がある」と述べ、小学生への配布を

優先するとした。

メーカーの生産状況をみながら配布を進めるという。

もし、これを提言している人たち(大人?政治家?)が

本気で真面目にやろうとしているのならば、その方が

ウイルスより怖いわって思う。

例年のインフルよりも患者数も死亡者数も断然少ない

ウイルスのためにこんな大仰なことを考える思考停止

状態の方が怖いわ!

本気でしているなら完全なる思考停止だよね・・

もしかしたら利権が絡んで、無駄なことだと分かってるけど

利益のためにやってるのかもって勘繰る私もいるけど、

でも、本気でこんなことをやろうと思っているより

利権で考えた方がまだマシかもって思うのです。

そして、このあまりにも異常な状況を生徒たちが当たり前だと

思ってしまうことが怖いんですよ、私は・・・

たとえば、ずっとこのフェイスシールド?をつけていなさいと

言われて育ったら、フェイスシールドをつけるのが当たり前に

なってしまって、どうしてそれをつけるのかという理由も

考えることなく、ただつけるのが当たり前ということに

なってしまうのかな?って思うと鳥肌が立つくらい怖い。

そして、理由はわからないけどとにかくつけるのが常識ですって

いう大人になって、また次の子どもたちにもそれを

教えていくんだよね。

これが教育なのか??

いまでも理由はわからないけど、先生のまたその前の先生の

頃から言われていることだから従わなければいけないという

習慣?常識がまかり通っているよね・・それってこれと同じ?

ずっと前から言われていること(指示されている?教えられている?)

から何の疑問も持たないで続ける(続けさせる?)ことが教育??

思考停止の大人が、子ども達を思考停止にさせるために教育

している現状がものすごく怖ろしいと感じたミナミなのです。

フェイスシールドやめてあげてよ(叫)

教育って何なん?(叫)

では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

 

「教育とは自立した生き方を教えること」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

教育とは、教えることです。

何を?・・・生きることを・・です。

教育というのは特別なことではありません。

特別な場所を作り、特別なことを教える必要はないのです。

大人がしていることを見せる・・これが教育なのです。

分かりますか?

ですから学校などというシステムはいらないのです。

大人たちが生きている姿を見せることで、こどもたちは

生きるすべを知るのです。

そして、自分はどう生きようかと考えることが出来るのです。

教育の究極の意味、基本は・・自立する術を教えることです。

自分で生きること、自分の人生に責任を持つこと(責任を

持つというのは何かしたら罰を受けるとかそういうことでは

ありません。自分の人生を自分で決めるということです)

自分の人生を大切に生き、他の人の人生も尊重することが

出来る人が自立した人なのです。

そういう生き方が出来るように教えるのが教育なのです。

ですから、厳しい言い方になりますが、そういう生き方を

していない大人には教えることが出来ないのです。

自分の生き方をしっかりとみていなさい・・と堂々と言える

大人になってください。

自分を見習え・・ではありません。

私はこういう生き方をしています・・もし参考になるならば

参考にしてください、違うと思うならば違う生き方も出来ますと

しっかりと言える大人ということです。

しかし、あなた達の教育の概念はそうではありません。

あなた達の教育の概念はコントロールです。

力の強いものに従うようにコントロールすることが教育に

なってしまっているのです。

思考停止にすることが教育だと思われているのです。

ですから、自分の生き方を見てくださいと言える大人が少なく

ルールを守ることが大人だと思ってしまうのです。

ルールの通りに動いていたら安心です。

誰かの言うとおりに行動していたらみんなに受け入れられ

賞賛されるのです。

だから、そういう生き方をしなさいと子どもたちにも教える

ということになるのです。

自分の生き方を見てください・・ということはとても難しいし

ある意味怖いことです。

だから、ルールを作り安心するのです。

マニュアル通りにしていれば大きく批判を受けることはありません

ので、マニュアルを大切に教育しようと思ってしまうのです。

子どもはよく見ています。

ルールだけ、マニュアルだけで何かを教えようとすると聞きません。

この大人はどのような生き方をしているのか?しっかりと

見ています。

ですから、ルール、マニュアルではなくしっかりと子どもと

向き合って、自分の生き方を見せてください。

それが教育なのです。

先生だけが教育者ではありません。

子どものまわりにいるすべての大人が教育者なのです。

机の上の知識ではなく、生きるということを教えてください。

生きるとはどういうことなのか?自分の人生をどう生きたいのか?

を考えるために、大人の生き方をしっかりとみせてください。

教育をコントロールにしないでくださいね。

あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

ありがとう、アシュタール!感謝します。

マイコメント

ホントに異様な光景です。

しかし、誰もこういうやり方に違和感を持たないんでしょうかね。

ネットを見回しても異論を唱えている人はほとんどいません。

遮蔽板

みなさん大人しいというか、おかしいと思う人がいないのでしょうか?

これは政府や為政者が対人関係を希薄にさせるために行っているものと思います。

間に透明な板があるおかげで、今まで世間話も出来ていたのがほとんどできなく

なります。つまり、人と人との交流の機会は減ることになります。

それは何をもたらすかと言うと、協力し合うという考え方が希薄になります。

政府にとってはそれはそれはとても好都合なものです。何人かが集まって政治的

会話をすることがなくなれば反体制的な動きを抑制できるということです。

つまり人づてに話が伝播するということが減ります。

今いちど考えてみるべきです。


ここ数日体調がすぐれないので、他記事の掲載はお休みします。

ご了承ください。

(おまけ)


コメント

タイトルとURLをコピーしました