世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:学校が揺れている?」

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ソーシャルディスタンス アセンション

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:学校が揺れている?」

ミナミさん:学校のソーシャルディスタンスの方針が・・・

最近の教育機関(学校)での???な話題を目にする

ことが多いです^^


ソーシャルディスタンスを保つために傘をさして

登校するようにとか(傘をさしていれば肩を組んだり手を

つないだり出来ないから??)、歌は声を出さずに心の中で

歌いましょうとか、後ろの席の人に振り返って話をしては

行けませんとか(どうやってプリントを配って行くのかな?)

いろいろ面白い話を見たり聞いたりします^0^


文部省からの新しい生活様式をしっかりと子ども達に教える

ようにとの通達もきているとか・・・

それを従順に受け入れようとする学校に対して

保護者が意見を述べその意見によって方針が変わることも

あるそうで・・

学校も二転三転しているみたいです。


学校が揺れてる??

では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

 


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

習ったことが次のタイムラインを選ぶ基準になります。

特に子どもたちはそうです。

大人や特に先生と呼ばれる人たちから教わったことが

その子の次のタイムライン(未来)を選ぶ基準になるのです。

分かりますか?


何を習ったか?どういう知識を得たか?によって次に選ぶ

未来が変わってくるのです。

タイムラインは自分で決めています・・

でも、それを決めるのは自分の考え方、価値観などの思考

なのです。

そして、その価値観や考え方、道徳観、倫理観、常識は

まわりの大人たちに大きく影響されます。



だから、支配者たちは教育を大切にします。

自分達の都合のよい考え方、価値観を身につけさせるための

教育に力を入れるのです。

教育さえできれば何もしなくても彼らの支配下に入って

自ら彼らの支配をよろこんで受けるようになるからです。


たとえば占領された国ではまず子どもたちを親から引き離します。

支配者たちの作った学校に入れ、支配者の意図通りに動く大人と

寝食を共にさせ自分たちの都合よく子どもたちを教育して

いくのです。

いままでの先祖や親たちの文化を否定し、彼らの文化を尊敬

するように教育していくのです。

江戸時代から明治維新が起きたときに行われたことも同じです。

6歳になったら学校へ行かせるのも早くから親と離すためです。

親を忙しくさせて0歳から保育所に預けなければ

いけないようにするのも子ども達を親から引き話し支配者たちの

都合よく教育するためなのです。


結局、子ども達に何を教え込んでいるかというと

従順に権力者に都合よく動くような考え方、価値観、道徳観

倫理観、常識なのです。

知識と言われるものも同じです。

歴史などは特に支配者にとって都合よく捻じ曲げられたものを

教えて行くのです。


他の国を悪い国だと思わせ、その国に嫌悪感を抱かせるように

教育すれば大人になってもその国に対して悪感情が残ります。

国だけではなく国民に対しても嫌悪感をいだくようになります。

お互いの国を敵対しあうようにするのはとても簡単なのです。

教育でお互いに悪感情を持つように刷り込んでいけばいいだけ

のことなのです。


どうしてそんなお互いに悪感情を持たせるようなことをする

のでしょうか?お互いいがみ合っても何のメリットも

ありませんよね・・という疑問が出て来るかと思いますが、

庶民にはまったくメリットはありません、メリットどころか

デメリットしかありませんが、支配者たちにとってはとても

好都合なのです。


あちこちで紛争や戦争を起こすためには庶民たちのお互いに

対する悪感情が必要なのです。

悪感情がなければ支配者たちがどんなに煽っても庶民たちは

戦争をしようとは思いません。

でも小さな頃から悪感情を植え付けられていけば、ちょっと

した刺激でもその悪感情が燃え上がり理性的に考えることが

出来なくなり、戦争さえも厭わないと思うようになるからです。

お互いにいがみ合ったり、悪感情を持ちあったりしている国が

世界にいくつもあると思います。

それは意図的に支配者によって植え付けられたものなのです。

もちろん考え方の違いはありますが、それを敵対的に考えるように

されているのも教育の成果なのです。


教育で、お互い考え方は違うところはあるけれど、それはお互い

尊重し合えば仲良くすることは出来ますと教えれば何も問題は

起きないのです。

お互いの違いを尊重し合い、自由への介入をしないで

おきましょうという考え方が出来れば何も問題は起きないのです。

それはわざと意図して教えません。

ただいがみ合うような思考だけを刷り込むのです。

それが彼らの教育なのです。



話しが逸れましたが・・

教育によってどのような思考でも刷り込むことが出来るのです。

教育とはとても大切なことなのです。


まわりの大人たちの考えが子どもたちのタイムラインに

大きく影響するのです。

だから、子ども達にどういう生き方(タイムライン、未来)を

選んで欲しいかを大人もしっかりと考えてください。

そして、その生き方を大人もしてください。


支配者たちの都合の良い社会を良しとするならばそれも良いと

思います。

そして、その生き方を子どもたちに教えるのもいいと思います。

子どもたちがその考え方を受け入れ、そのタイムラインを選ぶ

のもその子どもの決めたことになります。


ただ、選択肢は持たせてあげて欲しいと思います。

違う考え方、違う常識、違う価値観があるということを

教えてあげてください。

そして、どれを選ぶかは子どもに任せてください。


コントロールすることが教育ではないのです。

いろいろな価値観、考え方があることを大人が示してください。

そして、その中でどれを選ぶかは子どもの自由だということを

忘れないでください。


コントロールは教育ではありません。

自分で考え、自分で選び、自分で行動することが出来る

自立した人を育てることが教育なのです。


いまのあなた達の教育システムは支配者にとって都合のよい

人間を育てるための没個性の鋳型工場なのです。


思考が次のタイムライン(未来)を決めます。

どのような思考をするかで次の現実が大きく変わるのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

 

マイコメント

コロナによって出てきた様々なソーシャルディスタンスに対するアイデア

(アイデアと言えばいいのか・・・)が学校現場に生かされ様としてますが

そのアイデアを考案するのは主に教師だということです。

教師(今は教諭だったかな)と言うのはつくづく考え方に柔軟性がないと思います。

教師の呼び方が気になったので調べてみると

教諭は、「教育職員免許法による普通免許状を有する、小・中・高等学校、幼稚園、養護・聾(ろう)・盲学校の正教員」をいいます。

教員は、「学校で児童・生徒・学生を教育する職務についている人」を指します。こちらには、非常勤講師や実習助手など教諭とは言わない人々も含まれます。

教師は、「1)学校などで、学業・技芸を教える人。2)宗教上の教化を行う人。」とあり、学校の内外を問わず、教え導く人を指しています。だから、家庭教師とは言っても家庭教員とか家庭教諭とは使いません。

講師は、教諭又は助教諭に準ずる職務に従事する学校職員のことです。常時勤務に服する講師(常勤講師)と常時勤務に服さない講師(非常勤講師)に分けられ、講師は一般的に臨時教員であり、公立学校の講師なら1年を超えない期間の契約で勤務します。

ということで、主に学校で教える人は教諭と呼ぶようです。
なので、以下教諭とします。

学校と言うのは会社より縦割り社会であり、かつ何かあった時に責任を取ろうと

しない集団の様な気がします。つまり、個人の責任より全体責任が重視されるので

教諭個人が責任を伴う発言や立案が少ない、またはしない傾向にあるということです。

逆にしてしまうと個人攻撃される恐れがあるということです。SNSみたいなものです。

そこから出て来るアイデアと言うのは社会的問題を含んでいても、学校内でコンセ

ンサスが得られればそれでいいという考えしか出てこないということになるでしょう。

つまり、そのアイデアで生じるデメリットや不利益・問題点は議論されないという

ことになるのだと思われます。

最初に出てきた「傘をさして登下校する」というのも視点はひとつしかありません。

「距離が保てればいい」という考えです。

登下校する際に、もし子供が低学年であれば車や人あるいは何らかの障害物を傘が

遮ってしまい見えなくなるので事故に遭う確率が高まります。もちろん天気がいい

日ならば、道行く人々の通行の妨げにもなります。また、ミナミさんが指摘されて

いるように生徒同士の会話の機会も減るでしょう(これが目的だと思うのですが)。

メリットは単に距離を確保できるということしかありません。毎日傘を持たせて

通学させるのも子どもにとっては大変なことと思います。もし、傘を忘れたら

どうするんでしょうか?そこに罰則なんかあったりして・・・(笑)。

それは教師自身がロボットみたいなものだということです。

教諭というのは上からの指示には逆らわず従うという考え方になっているものと

思います。それを結局は子どもが学ぶことになるので、将来はそのような考え方

をする人材が社会に出ていくことになります。

ソーシャルディスタンスを教えられた子どもは大人になってもそれをそのまま

行うことでしょう。何の疑問も持たずに・・・。

考えただけでも、日本の数十年後の姿に戦慄します。


私が子どもの頃はまだここまでひどくありませんでした。

自由があったし、よっぽどのワルでない限り大目に見られました。

ワルと言ってもクラスの中の数人です。あとは普通です。

世のなかいくら規則で縛ってもワルは必ず存在します。

ゼロにはなりません。それが自然の法則だからです。

それが自由を束縛するとワルの比率は増加します。

子どもは縛られるのが嫌なので必ず反発するからです。

それがワルへと流れていきます。

だから、子供の人格を尊重し、自由を持たせ、自分で考えて

道を決められるように指導するのがもっともいいだろうと思います。

話がそれてしまいましたが、教育はとても大事なことです。

それをいくらソーシャルディスタンスが重要だからと

それしか選択肢のないやり方でいいのだろうかということです。

それを本来なら教諭自身が考えなければならないものです。






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