自宅で「老衰」を迎えられる人が増えた…財政破綻の夕張市で予想外に起きた「医療の敗北」を報告する
病院がなくなっても医療崩壊は起きなかった。むしろ訪問治療が増え、自宅で亡くなる人が増えた。
なぜ財政破綻した夕張市は医療崩壊しなかったのか
2007年、北海道夕張市は財政破綻し、日本中の大ニュースとなりました。
この財政破綻にともない、市内に一つしかなかった病院である「夕張市立総合病院」が閉院となりました。
具体的には、市が破綻して財政再建団体になったことで、171床を持つ市立総合病院が、19床の有床診療所と老健(介護老人保健施設)に縮小されました。
簡単に言えば、夕張市が提供できる医療は「町のお医者さん」的なイメージの医療だけになったのです。
心臓の急病や事故による大怪我があればドクターヘリで札幌まで飛びます。
疾患によってはヘリでなく救急車でも札幌まで走ります。
救急車が病院に到着するまでの時間も延びました。
以前は市内の病院で救急車を受けていたので、平均38.7分で病院に到着していましたが、病院閉鎖後は隣の市や札幌まで搬送しなければならなくなったので、ほぼ2倍の67.2分にまでなってしまいました。
また、市の財政破綻に伴い、診療所の運営は実質的に民営化しました。看板は「市立診療所」なのですが、運営は民間が受け持つことになったのです。いわゆる公設民営です。
病院閉鎖は地元の人にとって、まさに「医療崩壊」を意味していました。
こんなにわかりやすい医療崩壊の例は、日本ではおそらくないでしょう。
しかし実際には「崩壊」しなかったという事実が、以下に示す複数のデータに結果として出ています。
医療崩壊しても死亡率は増えなかった
財政破綻を機に、夕張市の医療でどういうことが起こったのか。以下、データで確認していきましょう。
まずは死亡率の変化です。
医療崩壊の前後で死亡率を比較したとき、普通に考えれば「死亡率は上がる」と予想されます。私もそう思っていました。
ところが図表1のデータによれば、男女ともに死因2位の「がん」は、医療崩壊前後で大きな変化がなく、死因1位の心疾患と3位の肺炎は、逆に下がってしまいました。
死亡率をトータルで見ると、男性が下がり、女性が少し上がり、ほぼ変わりありません(図表2)。死亡者数を見ても、ほぼ横ばいです(図表3)。
医療崩壊したからといって、死亡者が増えたということはまったくなかった、ということです。
しかし、よく考えると計算が合いません。いま挙げた死因上位の三つの疾患だけでも、死亡率の相当の割合を占めるはずです。
それらが下がっているのに総死亡率が横ばいならば、ほかの何かによる死亡率が増えていないと数が合わないのです。
何による死亡率が増えたかと言うと、それは「老衰」です。
「夕張市で老衰が急増」の謎
老衰は病気ではなく、自然に枯れていく「状態」です。
国で定められた死亡診断書の「死因の種類」の1番には、「病死及び自然死」と書かれています。老衰は自然死ですから、立派な死因の1つなのです。
これまでは日本人の死因のかなり下位に位置していましたが、近年は上位に上がり、いまは3位にまでなっています。
しかし夕張の場合は、増え方が違いました。図表4をご覧ください。
財政破綻で病院がなくなり検査が行き届かないため、きちんとした診断ができずに「老衰」が増えたのでは? と訝る人もいるようです。
しかし検査を受けられる/受けられないは、ほとんど関係ありません。
このグラフには、実はもっと大事なことが隠れています。
老衰の診断をつけるな
それは、「死亡診断書に老衰と書くのは、実は簡単ではない」ということです。
家庭医や、患者の生活にしっかり寄り添う医師でないと、実際に老衰という診断は付けにくいのです。
救急車で運ばれてきた95歳のおじいちゃんがその数時間後に病院で亡くなったとします。
それまで寝たきりだったとしても、その病院の救急治療室で初めて診た救急医にとって「老衰」とは言いにくいものです。
事実、私も若い頃は、先輩医師に「老衰の診断をつけるな」と指導されました。
病院医療、専門医療では、老衰はほぼ「敗北」を意味するからです。
老衰は病気ではないので、ご本人やご家族に受け入れてもらうためには、医療側と患者・家族側との間に信頼関係が必要です。
ご家族にとっても、受け入れるために時間と覚悟が求められます。
長い老いの過程を共有して、ご本人の思いを聞き、ご家族との信頼関係を築く。
そうした過程を経た医師でないと、なかなか「老衰」という診断はできないのです。
きちんと「老衰」と言ってあげられる医療に変わった
図表4の「老衰の割合」のグラフをもう一度見てください。ここにはさらに重要な現実が隠れています。
病院閉鎖前の時代は、「老衰」が0.9%、つまりほぼゼロです。
実はこのほうがむしろ問題なのです。要介護状態になり、寝たきりになっていく過程は、それこそ老衰ですから、高齢化率の高い夕張市でゼロに近い数字が出るほうがおかしいのです。
つまり、病院の閉鎖によって、きちんと「老衰」と言ってあげられるような医療に変わったことを、このグラフは示しています。
実はかつての死因の中にも老衰が多く隠れていたけれど、心疾患や肺炎の病名がついていたわけです。
それが素直に老衰と診断できるような医療、「治すことを目指す医療」から「生活を支える医療」にシフトしていったため、死因としての心疾患も肺炎も下がったように見えるのです。
結局、心疾患や肺炎の数が減ったということではなく、医療の中身がシフトしていったということです。
そして、それでも死亡率がほぼ変わらなかったこと。これが夕張の医療を俯瞰して見えてきた驚愕の事実なのです。
おじいちゃん・おばあちゃんは家にいたい
さらに面白いデータがあります。訪問診療の患者数の推移です。
病院閉鎖までは、訪問診療はまったくなされていませんでした。
「何かあったら病院に来なさい」
「救急車でもタクシーでもいいから、とにかく病院に来てくれたら治療をします」
という体制でした。
ある意味これはこれで市民にとっては大きな安全・安心なのかもしれませんが、中小規模の病院ではすべての高度救命医療をおこなうのは難しい実情もあります。
山間の病院でどこまでやるか、これは地域によってケースバイケースになるでしょう。
実際には、おじいちゃん・おばあちゃんは、家にいたいと言う人が多いのです。
入院すれば食事の時間も決まっていて、テレビも消灯時間以降は見られないでしょう。
せっかくの残りの人生がその分だけ制限されてしまいます。
「入院してもいいし、家にいてもいいよ。どちらにしても治療は変わらないから」と医師が言えれば、患者さんの多くは「家にいたい」と言うものです。
そのような対応をしていたら、訪問診療の数がどんどん増えたのです。
住民のニーズに合わせてフレキシブルに訪問診療・訪問看護が提供できる体制になった。
つまり医療の質が変わったということが、このデータから一目でわかるわけです。
病院閉鎖で救急車の出動件数も減った
全国の救急車の出動件数は右肩上がりに増えています。
これにはわかりやすく明確な理由があります。高齢者の数が増えているからです。
自治体によっても違いますが、救急搬送される人の6割ほどは高齢者なのです
これは全国平均値ですので、高齢化率の高い地域に行けばその割合はもっと高くなるでしょう。
したがって高齢者の数が増えれば、救急車の出動件数は増えて当然です。
ちなみに夕張市の場合、財政破綻により人口は激減しましたが、高齢者の数は増えました。にもかかわらず、救急車の出動件数が最終的に、病院閉鎖前のほぼ半分にまで減ったのです。
実際、熱中症や誤嚥性肺炎などは、家で点滴をしても病院で点滴をしても、治療効果は変わりません。
するとほとんどの人が「家にいたい」と言うのです。
結果的に、救急車による「搬送」でなく、医師が緊急で家に行って診察・治療する「往診」、定期的に訪問する「訪問診療」の体制に徐々に変わっていきました。
高齢者が増えたのに救急車の出動件数が減ったのは、こういう背景があります。
こうした現象がわかりやすく起きたのは、日本ではおそらく夕張が初めてだと思います。
マイコメント
いかに今の医療の在り方が間違っていたかを示す良い実例です。
病院に行ってもらう薬漬けが結局は健康を損なう最大の原因であり、入院することが生きる
意味と希望を失わせてしまうので死期を早める結果にもなります。
自宅療養の最大の利点は自由に生活できることです。
そのため、亡くなるときも苦しまずに老衰で死にゆくことができるのです。
病院に入院してしまうとその風景が一変します。
死に際に近くなるほど大量の点滴、薬の投与、人工呼吸器など身体の自由を奪うことが続き
本人を苦しませます。
アシュタールの語るように死にゆくことには自分自身の放出する脳内ホルモンが働き安らかに
あの世に旅立てるのです。
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