世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:生きるというのはとてもシンプルなことなのです」

スポンサーリンク
ひとり アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:生きるというのはとてもシンプルなことなのです」

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「生きるというのはとてもシンプルなことなのです」              by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

シンプルに考えてください。

生きるというのはとてもシンプルなことなのです。

複雑に考えてしまうからいろいろ迷子になってしまうのです。


人とのつながりがあれば何も困ることなく

生きて行けるのです。

分かりますか?


あなたの社会は別のもの(お金、地位、立場など)で

動いているように見えますが、どんどんシンプルに考えて

いけば結局人とのつながりだけなのです。

どんなに最先端と言われる仕事であっても結局それを動かして

いるのは人なのです。


人がいなければどんなに素晴らしい機械(AI コンピューター)

であっても何も出来ません。

人が動かすからこそ使えるのです。

AI、コンピューターが人を動かしているのではなく、

人が動かしているのです。

人が主であり、AIなどは人の補佐なのです。


では、最小限のシンプルな生き方に必要なのはなんでしょうか?

そうですね、食べること、寝ること、人と関わること(性的なこと

を含めて)です。

その中で身体だけでなく精神的に必要なのが人と関わるという

ことです。

どんなに素晴らしい食事が用意されていても、どんなに素晴らしい

大きな家に住んでいても、誰とも話すこともなく生活する

というのは人にとっては苦痛なのです。


身体とこころが健やかになるためには人とのつながりなのです。

それがあれば何も困りません。

人とつながっていれば食べ物も提供しあうことが出来ます。

寝るところも提供しあうことが出来ます。

服も得意な人が作ればいいのです。

いまもそうですね・・得意な人が家を建て食べ物を作り

服も作っているのです。

手を貸しあえば何も困らないのです。

生活するには何も困らないのです。

お金という概念も必要なくなります。


いまのあなた達の社会はお金という媒体を通して

それ(衣食住)をしているのです。

だから、お金がないと生きていけないと思い込んでしまって

いるだけです。

お金という媒体がなくても、シンプルに提供しあうことが

出来れば何も困ることなくそのままの生活をすることが

出来るのです。


お金という概念を使ってあなた達は支配されています。

(宗教的な概念も一緒に支配に使われていますが・・)


そして、とても複雑に考えるようにされてしまっているのです。

比較するという習慣をつけられているのもそのためです。

どちらがたくさんお金を持っているか、派手な生活(大きな

家、たくさんの宝石、高価な食事、高価な衣服など)が

出来るか、社会的な地位があるかという比較(勝ち負けの

考え)をさせることで分断させるのです。

分断させておくと協力せず、提供しあうことがなくなる

からです。

孤立するような政策ばかりをするのは庶民が手を取り合わない、

協力し合わないようにするためです。


人とつながるのはめんどくさくてイヤです・・と思う

方もいらっしゃるかもしれませんが、それはそのような概念

(比較)という概念を持たされてしまっているからです。


人とつながるのは(上下関係なく平等な関係でいれば)

とても気持ちの良いものなのです。

いまの社会のような常に一緒にいることが仲が良いのではなく

必要なときにだけ手を貸し合う、普段は自由にしているという

関係であれば面倒なことも一切ありません。


エネルギーでつながっているということも分かっていれば

物理的に一緒にいなくてもつながっているという安心感が

ありますので、孤独などを感じることもないのです。

何かあれば手を貸し合うことが出来ると信じることが

出来れば常に安心して好きなことが出来るのです。


これが軽い波動の社会なのです。

横並びの丸い社会なのです。

その社会はとてもシンプルです。

みんなが好きなことをして、好きなことをすることで

お互い手を貸し合うことになるのです。

お互い好きなことを提供し合えば、何も困ることなく

シンプルに楽しくご機嫌さんで生きることが出来ます。

すべて必要なものは循環していますので失うという

不安もありません。


シンプルに考えてみてください。

社会は人とのつながりで成り立っているのです。

人とのつながりが基礎なのです。

それを分断させられているから怖れや不安ばかりになって

しまうのです。

では具体的にどうしたらいいのでしょうか?という質問が

あると思いますが、それはまた少しずつお話しして

行きたいと思います。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」

ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

人は何のために生きているのか?

という問いに対するこたえのひとつが「多くの体験をすること」と答えた

とします。

そうすると、もし、生まれても誰もそこにいなければ、生きることはできません。

赤ん坊がすぐに立ち上がり自分で食を得ることは不可能なことです。

そう考えると、最初から何かの体験をするためには「人の手」や「人の助け」は

必ず必要なものです。

第一、誰も居なければ自分自身が生まれてくることは絶対ありません。

一人が良いというのは生まれて人の手を借りなくなって初めて思うものです。

それ以前に多くの人との交流があったはずです。

ということは、この世界は最初から誰かと一緒でないと生きていけない世界

だということです。

だから、必ず嫌でも人との交流があるということです。

それじゃ~、人ではなく犬や猫などのペットと一緒の方が良いと言っても

生まれたての赤ん坊を犬や猫が育てられるはずはありません。

野生化した犬や狼に育てられた人間は過去にいましたが、残念ながら

この世界には最後にまで適応できませんでした。

結局は一人では生きられないということです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました