世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:生活は思考の現実化の連続なのです」
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^
「生活は思考の現実化の連続なのです」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
思考は現実化します!
こう言うと、何だか魔法のような、特別なことのような
感じがするかと思いますが、まったくそんなことは
ないのです。
思考が現実化するというのはそのようなことでは
ありません。
あなたが毎日していることなのです。
普段の生活は思考の現実化の連続なのです
あなたは毎日いつも、いつの瞬間でもあなたの思いを
現実にしているのです。
とてもシンプルな例になりますが・・
あなたが食べたいと思う物をあなたは食べていますね。
ラーメンが食べたいと思っているからラーメンを食べる
という現実になります。
ラーメンを食べたいと思いながらカレーは食べないですね。
でも、ラーメンを食べたいと思っていても家に帰ったらカレー
を作ってくれていたからカレーを食べましたということも
ありますね・・という話ですが、それは選択肢を作って
くれた人に渡したということになります。
作ってくれた物を食べます・・という思考なので、自分で
選ぶのではなく作ってもらったものを食べる現実に
なったということです。
自分で選択するという思考ならばラーメン屋さんに行くか
自分で作るのでラーメンを食べる現実になります。
こういうことが多々あるのです。
自分ではなく他の人に任せるという思考ですね。
人に任せてしまうと自分の好きなものは食べられません。
それは仕方がないことです。
あなたがその人に自分の食べるものを任せるという
思考をしたのですから文句は言えません。
他の人に任せることをあなたが決めたのです。
何か自分の好きではない現実になったときに
ちょっとこのことを思い出してみてください。
もしかしたら、自分の選択を人に任せていませんでしたか?
何でもいいですよ、あなたに任せます・・と思考
しませんでしたか?
めんどうだからあなたの良いように決めてください・・と
思いませんでしたか?
人に決めてもらっても、体験するのはあなたです。
ラーメンを食べたいと思いながらカレーを食べる現実を
創ってしまったのもあなたの思考です。
あなたの選択権、あなたの思考を人に任せないでください。
人に任せてしまうとあなたの好きな現実は創れないのです。
何かイヤな現実、おかしいと思う現実を体験している時は
疑問を持ってください。
どうしてこうなったのでしょうか?
誰に自分の選択権、もしくは思考を任せてしまったの
でしょうか?
これを選んだのは本当に私が望んでいるからでしょうか?
誰かの目や思考に忖度して選んでしまったのでは
ないでしょうか?
とちょっと考えてみてください。
ラーメンが食べたいと思っているのに、他の人たちに
カレーを食べましょうよ、みんなと同じものを食べるのが
常識ですよ、大人のマナーですよ、調和ですよ、
人のためですよ、などと言われそれで決めてしまうと
ラーメンは食べられないのです。
ずっと他たちの人の食べたいものを食べ続けいつまでも
ラーメンを食べることが出来ないことになります。
イヤな現実もあなたの思考が創ったものだということです。
思考は現実化します。
楽しい現実でも、イヤな現実でも同じです。
あなたの思考が創っているのです。
魔法でも、特別なことでもありません。
いまあなたが考えていることが現実になるのです。
日常はあなたの思考によって創られているのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール!感謝します。
マイコメント
私たちは毎日ただただ生きているように見えますが、その実、その生活は自分の
思考が働くことで出来上がっているものだということですね。
しかし、なかなかそうは思えないことでしょう。
何しろ、意識するしないに関わらず現実はそこにありますからね。
そして、その現実がとても自分が創り続けているとはとても信じがたい
ことだろうと思います。
毎日見る風景、人との会話、自分の取っている行動などがすべて自分の
思考の産物であり、例外はないとしたら・・・。
それではテレビに映る映像は?
あれは他人が創った現実を映像にしたものを放映しています。
そこにいるのは自分ではなく全くの他人ですから・・・。
それでも、その映像を観ると決めたのは自分ですからニュースとは言っても
自分で決めた映画を見ているようなものだと言って差し支えないでしょう。
つまり、現実は自分が創ったものと他人が創ったものが存在しますが
他人の現実であっても、その現実を体験すると決めるのは自分です。
だから、ニュースを見ないと決めればそこには他人の現実はないという
ことになり、それも自分で決めた現実です。
従って、すべては自分の思考と決定によって選び現実を体験している
ことになると思います。
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