世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:対立のエネルギーではなく、ふわっとしていてください」

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フランスのデモ アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:対立のエネルギーではなく、ふわっとしていてください」

対立は対立を生むだけで解決に至らない

 
「暴力的な抗議は自由への死の鐘です」
(最後に全文訳を載せておきました)
 
・・・というコラムを読みました^^
 
なかなか考えさせられるものでした。
 
ご興味がある方は是非お読みいただければと
 
思います。
 
 
では、アシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^
 

「対立のエネルギーではなく、ふわっとしていてください」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
波動エネルギーの観点からお話しますね。
 
力、パワーというエネルギーは対象がないと
 
つくれないのです。
 
対立というものがそうです。
 
対立するには相手が必要となります。
 
相手から大きな力を加えられ、その力に対立しようと
 
するから対立関係が出来るのです。
 
そして、一度対立関係が出来ると、後は力の差が問題に
 
なって来ます。
 
力が強い方が有利になります。
 
それは分かりますね?
 
 
力対力になると、力が強い方が勝ちます。
 
そして、勝つともっと力を持つことが出来ます。
 
相手が引くからです。
 
そうなると独壇場になります。
 
やりたい放題出来るようになるのです。
 
 
対立には相手が必要になります。
 
対立するには相手が必要なのです。
 
これは波動エネルギーの事を知らなくても分かりますね。
 
相手がいなければケンカにならないのです。
 
 
だから、力で押さえつけられようとしても
 
対立しなければいいのです。
 
対立すると、相手のエネルギーを受け取ることになります。
 
ケンカを買うという状況になると、相手はエネルギーを
 
投げつける的が出来るのです。
 
的がなければどこに向けてエネルギーを投げて
 
いいか分からなくなります。
 
だから、エネルギーを投げつけてくることもなくなり
 
力で抑えてつけられることもなくなるのです。
 
 
支配者たちはこの事を良く知っています。
 
ですから、あなた達を必要以上に怒らせようとするのです。
 
怒らせれば対立してくれます。
 
 
対立のエネルギーさえ出してくれれば的が出来ます。
 
大きな力を投げつける的を創りたいのです。
 
ですから、意図的に的を創るのです。
 
的が出来れば、簡単に力でねじ伏せることが出来ます。
 
圧倒的に力が強いのは支配者たちなのですから。
 
 
では、力でねじ伏せられないようにするにはどうしたら
 
いいのでしょうか?
 
簡単ですね。
 
的をつくらなければいいのです。
 
あなたが的にならなければいいのです。
 
それには対立のエネルギーを出さず、飄々として
 
いればいいのです。
 
 
何を言われても柳に風・・フワっと彼らの支配を受け
 
流せばいいのです。
 
絶対に従わないぞ・・という強い意志を示すことは
 
対立のエネルギーを出してしまいます。
 
そうなると的になってしまいます。
 
 
そうではなく、従ってもいないし、従うことを拒否も
 
していないという態度ですね。
 
彼らからしてみれば、どういうことでしょうか?と
 
不思議に思います。
 
従っているのか、従っていないのか・・分からない。
 
だから、どうしていいのか分からない。
 
力で押さえつけることも出来ない・・ということです。
 
 
だから、彼らのやり方を知った上で無関心でいて下さい。
 
フワっと無関心でいてください。
 
対立するのでもなく、従順に従うのでもなく
 
何となくフワっといてください。
 
 
でも、そんな器用なことはできません・・という気持ちも
 
出て来ると思いますが・・とても簡単なのです。
 
好きなことにフォーカスしていればいいのです。
 
そして、力で押さえつけようとするところには
 
近づかなければいいのです。
 
 
どんなに強制しようとしても、抜け道は必ずあります。
 
彼らは自分のために必ず抜け道を用意しています。
 
その抜け道を利用すればいいのです。
 
フワっと使わせてもらえばいいのです。
 
対立のエネルギーを出さなければ、
 
彼らには見つかりません。
 
対立のエネルギーを出してしまうから、的になって
 
しまうのです。
 
 
彼らに対してエネルギーを向けなければ、
 
彼らはあなたの存在に気がつかないのです。
 
それが波動領域を変えるということなのです。
 
 
フワっと抜け道を通りながら、彼らから離れて行って
 
ください。
 
そんなフワっとした話をされても、実際どうしたら
 
良いか分かりません・・というエネルギーも感じますが、
 
どうしたらいいかはあなたが考えてください。
 
人それぞれ状況が違います。
 
ですから、具体的にお一人ずつお伝えすることは
 
出来ない事はご理解ください。
 
 
対立せずに、好きなことにフォーカスしていれば
 
抜け道も見つけることが出来ますので的になったり
 
力で押さえつけられることはなくなります。
 
 
彼らが意図的に起こそうとしている騒動に巻き込まれ
 
ないでください。
 
彼らの誘導に惑わされないでください。
 
彼らは自分たちの力を当てる的を求めているのです。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。


日本語訳

Violent Protest Is a Death Knell to Freedom

 

By: ゲイリー・D・バーネット

“私が暴力に反対するのは、暴力が善をなすように見えても、その善は一時的なものに過ぎず、暴力がなす悪は永久的なものだからです。”


~ マハトマ・ガンディー、The Essential Gandhi: ガンジーの人生、仕事、思想に関する著作を集めたアンソロジー。

しかし、現実には、権威主義的な支配や政府に抗議する場合、最良かつ最も正当な反応は、国家を否定し、遵守を否定することです。言い換えれば、完全に不服従で、あらゆる機会で国家の支配や命令のあらゆる側面を無視することです。この方法は、実際、敵の抑圧者と同じ悪になることなく、抑圧と専制を阻止する唯一の正当な方法である。自己防衛はまた別の問題で、物理的に直面したとき、または自己、家族、または他の罪のない人々への大きな危害が積極的に存在するとき、脅威を阻止するために同等またはそれ以上の力が必要になることがあります。

矛盾、無関心、不道徳、そして演劇に飲み込まれた今日の世界では、抗議は多くの場合、ショーが目的であり、実際に国家の脅威を鎮圧するためのものではありません。通常、街頭での集団的なデモは、もちろん一時的に、有名になり、群衆に受け入れられ、1日か2日のパーティーのようなイベントを得ることを目的としています。ほとんどの人は、群衆に囲まれない限り、そこにいることさえしない。そうすることで、自分たちの実際の臆病さを隠すための身体という保護シールドを得たと偽証するためである。カメラが去ると同時に、群衆が散り始めると同時に、偽装がなくなると同時に、彼らは皆、自分の「普通(異常)の存在」に逃げ込む。マスクを外し、看板を捨て、怒りや正当な怒りに震えることもなく、自由という価値ある大義を追求することもない。彼らはまた傍観者として、自分たちが許す暴虐から救済を与えてくれる救世主を待っているのである。それは、一日の終わりの映画のセットのように、すべての俳優が家に帰り、次のカーテンコールを待っているようなものである。それは単に演技された無価値な見世物であり、通常、明らかな出演者は、自分たちの進歩や利益のために聴衆を求め、羊の群れを利用して人気を高めている。

このようなイベントが手に負えなくなると、それはよくあることで、多くの場合、スピーカーや扇動者の要請で、暴力が噴出し、実際の抗議は、これらの偽の抗議者の頭の中にある最後のことです。暴力的な攻撃が中心になる前でさえ、これらの集まりのやり方や範囲によって、多くの罪のない人々やその財産が傷つけられたかもしれない。しかし、彼らの権利や自由は、いわゆる「より大きな善」という愚かな名のもとに、たいてい無視される。このような動きは、世界中で証明されており、この国の多くの状況でも同様である。偽の「コビト」時代に起こったことをすべて考えてみてください。狂気の演出されたトランプの抗議行動を考えてみてください、そこでは、脳なしの間抜けな群衆が、誘惑され許可されたとおりに、暴走していたのです。国家は、デモ参加者を逮捕して刑務所に入れ、そのうちの一人を殺すことさえも計画した。BLMやAntifaと名乗る恐ろしいゴミどもは、憎しみと暴力を意図的に煽り、分裂させることを目的とした支配者集団によって社会に放たれた。もちろん、これらすべては、あらゆる立場の人々を含む、偽の抗議活動に関与した人々の質の低さによって、容易になった。まるで、監督たちが台本通りに行動し、多くの人々は単なるエキストラに過ぎず、言われたことを何の疑問もなくこなしているようなものです。実に哀れな光景である。

この種の「抗議」が達成するのは、国家の政治的クズや警察や軍隊と呼ばれる強制的な凶悪犯に弾薬を与え、自国の市民に対する極端な力の行使を偽りなく正当化することだけである。それは、より多くの監視、より多くの政府スパイ、より多くの検閲、そして非常に多くの新しい制限的なルール(義務や「法律」)を可能にし、物言わぬプロレタリアートに向けられる。要するに、国家の専制と全体主義的な政策を強化し、全住民がより多くの虐待と支配を受けるように仕向けるのである。なぜなら、政府は自分たちの救世主であると教えられ(教え込まれ)ているからである。しかし、実際には、すべての政府は永遠に、そして常に人民の致命的な敵である。

ある時点で、これらの出来事は信じられないほど極端になり、常に人々自身の不利益になる。この原稿を書いている時点でフランスのパリで起きていることは、抗議を主張する集団的暴徒が行う、バカで非常識で不道徳な行為の嫌らしさを象徴するものであります。何百万人もの人々がパリの街角で、正当な抗議であると主張する狂気の沙汰に狂奔しているのである。彼らが抗議しているのは、政府の年金支給年齢を「投票」なしで2歳引き上げるという悪政の布告である。覚えておいてほしいのは、抗議は自由についてではなく、政府の生活保護費についてである。何百万人もの人々が街頭に立っているが、彼らが自宅を封鎖され、監禁され、バイオ兵器の毒物注射を強制され、マスクをされ、仕事を奪われ、経済を破壊されても、このように抗議することはなかったのである。しかし、彼らは今、車や建物を燃やし、暴動を起こし、火薬や石を投げつけ、街中の民間企業に危害を加え、まるで戦場のような場所で、国の福祉年金を得ようとしているのです。マクロンが一線を越えて、政府年金の受給期間を単独で延長するまでは、すべてが順調であった。

悪のマクロンが2017年に当選し、2022年に再選されて以来、投票によって政権に就き、政権を維持することを許されていることを肝に銘じておいてほしい。これは、2015年に当選し、現在も政権を維持しているカナダの悪のトルドーに似ています。これらの国の人々は、米国と同様に、バカげた絶対的な奴隷の告白である「投票」を続け、これらの嘘つきの腐敗したゴミを権力の座に就け、自分たちで自活する必要はなく、さまざまな手段で盗んだ政府の大金によって隣人の労働で生きていけると思い込んでいます。しかし、人々は同じことを何度も何度も繰り返し、違う結果を期待し、自分たちを支え支配するために存在させている政府を常に信じ続けている。なんと滑稽なことでしょう!

この全体主義的買収は時に複雑なので、起こったことのすべてを国民全体のせいにするのはためらわれるが、このレベルの愚かさには呆れる。確かに支配階級とその手先である政府は恐ろしく邪悪だが、国民の祝福がなければ、そもそも権力の座につくことさえできなかっただろう。

この全体主義的な乗っ取りは、時にかなり複雑なので、起こったことのすべてを国民全体のせいにするのはためらわれますが、このレベルの愚かさにはうんざりさせられます。確かに支配階級とその手先である政府は恐ろしく邪悪だが、国民の祝福がなければ、そもそも権力の座にすら就けなかっただろう。

自分の奴隷化に責任を持つことは難しいが、大多数、あるいは少なくとも多くの少数派が、自分自身が最悪の敵であることを理解し、自分の人生に責任を持つまでは、何も良い方向には向かわないだろう。この専制政治を止めるには、国民がそれを止めればよいのであって、自発的な抗議や革命によるものではありません。また、この致命的な欠陥があり、完全に腐敗した政治システムとその刑事裁判所を利用して自由を取り戻そうとする試みによっても、決して収まることはないでしょう。私たちが直面しているこの恐怖は、個人が一斉に立ち上がり、政府とその重大な不正にノーと言う場合にのみ、食い止め、逆転させることができる。

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

マイコメント

今フランスで年金受給開始年齢を62歳から65歳に引き上げられることに対して超大規模な
デモが行われ10回を迎えるという。

これだけの大規模なデモだというのに未だにフランス政府は国民に対してどうするかを示して
おらず、このままだと65歳に引き上げられるのはもはや時間の問題です。

このデモやカナダで起きたトラック運転手によるデモなどを見ても未だにトルドー政権は退陣
せず安泰です。この対策としてトルドー政権は緊急事態宣言を発令して封じ込めました。

おそらくマクロン大統領も同じようなやり方を行うでしょう。

結局あれだけの国民が抗議運動をしても政権はびくともしないのです。
このまま収まらなければ非常事態宣言の元に軍隊を持ち出して制圧するでしょう。

結局力があるものが最後に勝つのです。

そう考えられればデモは一時的に功を成したかに見ても長期的に見れば不利な状況に追い込ま
れるということです。

ということは力に力に対抗しても意味がないのであれば最初から抗しないことです。



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