破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:社会の基礎は個人なのです」

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努力義務 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:社会の基礎は個人なのです」

今日の破・常識!

国は個人の集まりです。

個人がいるから国も成り立つのです。

社会の基礎は個人なのです。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「社会の基礎は個人なのです」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

国は個人の集まりです。

個人がいるから国も成り立つのです。

社会の基礎は個人なのです。

国だけじゃなく、これはすべてにおいて言えることです。

会社も家族も同じです。

組織は個人がいるからできるのです。

それを忘れないください。

だから、その組織がイヤだと思うならば

合わないと思うならば、

自分を大切にしてくれないと思うならば

個人としてそこから離れればいいのです。

個人の集まりである組織は

個人がいなくなれば自壊します。

だから、個人がいなくなることが怖いのです。

困るのです。

だから、個人が離れはじめた組織は考えます。

危機感を感じると、組織ありきの考え方から

個人を大切にする方向へ

方向転換せざるを得なくなるのです。

どんなに組織の方が力が強いと大きく見せようとしても

結局は個人の方を向かざるを得なくなるのです。

個人に力があります。

あなたを大切にしない組織にいる必要はないのです。

組織のためにあなたがいる訳ではありません。

組織がなくなってもあなたは困らないのです。

個人が動かすことができるのです。

個人個人がイヤだと表明し、行動していけば、

どんなに大きな組織であっても動かすことができるのです。

個人がいなくなったら組織は立ちいかなくなるのですから。

国は逃げ道を作っています。

国が責任を取らなくても良いように逃げる道などを

しっかりと作っています。

曖昧な言葉を使って逃げる用意をしています。

推奨しているだけです

最終的な判断は個人にお任せします・・

という言葉は逃げるための言葉です。

最終的に責任は取らなくてもいいようにしているのです。

ですから、個人も正直に国に従う必要はないのです。

努力義務といういかにも強制のような

表現に聞こえる言葉でも裏を返せば

最終的にはあなたの判断ですと言っているのですから

あなたも自分で自由にしてもいいのです。

怖い言葉を使っていますが

彼らには責任はかからないように

逃げ道は必ず作っています。

だから、彼らが使う手を

あなたも上手に使えばいいのです。

お互い様です。

彼らの使う言葉の裏を使えば

正面切って対立することなく

従わなくても何も言われないやり方ができます。

彼らも逃げているのです。

逃げ道を作っているのです。

あなた達もその逃げ道を使えばいいのです。

国、組織は個人が集まって出来ているということを

忘れないでください。

個人がいなくなればそれは立ちいかなくなります。

あなたが国という組織を動かす力なのです。

国ではなく、政府でもなく、官僚でもなく、

国を動かしているのは国民一人ひとり

個人だという事を忘れないでください。

忘れてしまうから、彼らの都合の良い言葉に

振り回されてしまうのです。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール!

マイコメント

ワクチン接種については努力義務と言う言葉が使われました。

それはあたかも国民が接種する義務を負っているように見えますが、そうではないのです。

言葉をそのまま読めば接種するよう努力する義務があるということで義務ではありません。

努力と言う言葉には不可・出来ない場合もあると言うことを含みます。

彼らの方からすれば「努力義務」と言う言葉は強制ではなく努力する義務だと言うことです。

従ってその裏には努力しなくともいいという意味も含まれるからです。

そのため、接種を強制されたと彼らが国民から批判を受ければ接種を強制していないと答える

だろうと思います。

最初から逃げ道を作っているのです。

もしこれが接種の義務があるとすれば接種を強制したことになり日本国憲法に違反したことに

なります。

だから、日本では接種の義務化は行えないのです。

嫌なら打つ必要がないのです。



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