横田基地は横田めぐみ基地なのか?

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横田滋さん 政治・経済

横田基地は横田めぐみ基地なのか?

日米北は裏でつながっている

福生市にあるのに何で横田なん?

と思っていたら、これが出てきて、


https://twitter.com/P9ZVXzYvJPxsM4P/status/1664827163538001920

ホンマかいな?

こちらも、

 


そういえば横田基地はなぜ「横田」というんですか? 2020-06-07
横田めぐみが拉致されたのが1977年。
日本政府が米軍に対して思いやり予算を計上するようになったのが、
その翌年の1978年。

横田基地を横田めぐみ飛行場とする使用料、及び口止め料として、
思いやり予算が計上されるようになった可能性大。​
ーーーー

 横田基地の名前の由来は、もしや横田めぐみから?
横田基地の名前の由来は、今でもよく分からないらしい。
横田めぐみ専用の飛行場として、
暗黙のうちに名前が定着した可能性がある。 

​およよ、​

​Wiki見ると、

​「太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年10月15日には、飛行実験部は拡充改編され陸軍航空審査部となり審査業務を行いつつ、末期の本土空襲時には部員と器材を使用し臨時防空飛行部隊(通称・福生飛行隊)を編成し戦果をあげた。戦中、アメリカ軍は偵察機から従来把握していなかった日本軍飛行場の報告を受け、その基地を横田飛行場と名づけたため、また横田基地と呼ばれるようになった。」​​

名称の由来:

「多摩飛行場の敷地大部分が当時の西多摩郡福生町(現在の福生市)にあったことから、地元や陸軍航空審査部では福生飛行場(ふっさひこうじょう)と呼ばれていた。

この多摩飛行場・福生飛行場を、アメリカ軍が戦中より「YOKOTA」と呼称したのは、アメリカ陸軍地図サービスが1944年に作成した地図資料『JAPANESE AIRFIELDS』では、北多摩郡村山町(現在の武蔵村山市)の大字名であった「Yokota」が、「Fussa」や「Hakonegasaki」より飛行場近くに記載されていたためと考えられており、地名としての「横田」は現在では消滅したものの、「武蔵村山市役所」の西隣のバス停名称として残っている。」

​福生市資料では、


もっと知りたい 福生の歴史(5)PDF

​フムフム、
さすがに横田さん由来ではなさソー、

1944年に(現)武蔵村山市の字の地名からYokotaを採用と、

しかし、ピョンヤンと横田には定期便があったりして、
イロイロ憶測が飛び交うんだよね、​

マイコメント

横田さんとその関連団体が毎回行っている拉致問題の講演や活動資金はいったいどこから出て
いるのだろうといつも思ってます。

あれだけの講演をこなしているとはいえ有料であるはずはなく全部無料だと思います。
その会場費用や関連機器の使用料、交通費(飛行機代は高い)、宿泊費などは開催地の自治体
が負担しているんだろうか?あるいは政府か?

これまでの講演回数はあるHPに2020年の段階で千数百回を超えたとありましたが、これだけの
講演数をこなすにはそれなりのお金がかかるし、毎日移動していたら生活費を稼ぐような状況に
ないはずなのでどこからか活動資金が出ているはずです。
そのこと自体がおかしいのです。もしかしたら政府から依頼されて北朝鮮拉致問題を講演して
回って欲しいと言われているのでは?

謎の多い活動です。
そもそもどう考えても拉致被害者は戻ってくるはずもありません。
それでも活動を続けている。
横田早千江さんが亡くなった後は誰かが引き継ぎ続けられるでしょう。



コメント

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