破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:生きることはとてもシンプル」
今日の破・常識!
いまが一番大切なのです。
それってシンプルに考えればわかると思います。
だって、いまを感じているのはいまだけなのですから。
それを、まだ来てもいない未来のために
いまを生きるというのはナンセンスですね。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「生きることはとてもシンプル」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
シンプルなんです。
あなたも子どものようにシンプルになってください。
そうすれば、社会もとてもシンプルになります。
あなたの社会はとても複雑になってしまっています。
複雑になってしまったから、見えなくなってしまったのです。
分業、分業、で、自分自身がいまどこにいて
何をしているのか分からなくなってしまったので
全体像が見えず近視眼的になっているのです。
シンプルに考えることが出来るようになると
根本が見えてきます。
たとえば、何のために生きているのですか??ということです。
シンプルに考えてみてください。
どうですか?
辛い思いをするためですか?苦しい思いをするためですか?
そうではありませんね・・楽しいことをするためです。
楽しいことをして遊ぶため・・子どものように考えてください。
あなたは苦しい思い、辛い思い、と楽しいこととどちらが好きですか?
きっと楽しいほうがいい・・と答える人の方が多いと思います。
好きか嫌いか、楽しいか楽しくないか・・それだけなのです。
とてもシンプルなのです。
そこに、苦しい思いは人を成長させてくれるから
受け入れなければいけない。
社会などそんな子どものような考え方では生きていけない。
仕事とは苦しいものだ・・生きるとは大変なんだ。などなど
いろいろ複雑に考えて自分の現実を複雑にしてしまっているのです。
複雑に考えるように、そして、人生を重く考えるように
刷り込まれてしまっているだけなのです。
すべてシンプルなのです。
だって、生きていることだってシンプルでしょ。
起きて、食べて、したいことをして
誰かとおしゃべりを楽しんで眠くなったら寝る・・
それだけでいいんじゃないでしょうか?
他に何が必要なんでしょうか?
お金?・・それは、いまは生きるために
補助的に必要なだけであって
生きることそのものではないですね。
住む家、食べるもの、着るもの・・
それを整えるために必要なだけです。
それを楽しむために必要なだけです。
楽しむために必要なのです・・
なのに苦しみの原因になっていませんか?
それは、生きる意味を忘れてしまっているからです。
そんなにつらい思いをして苦しみながら
手に入れなければいけないこと自体がおかしいのです。
シンプルに考えることが出来れば、
おかしいということに気がつきます。
そして、いまが一番大切なのです。
それってシンプルに考えればわかると思います。
だって、いまを感じているのはいまだけなのですから。
それを、まだ来てもいない未来のために
いまを生きるというのはナンセンスですね。
未来というのは、いまの続きなのです。
ならば、いまが楽しければ次も楽しい
・・とても簡単な考え方です。
そんなシンプルで簡単なことを、そんなに簡単な問題ではない。
未来を心配し、未来のためにいまを備えなければいけない
・・と何もないうちから難しく考えてしまうから
次の現実も心配ばかりのものとなるのです。
でも、よく考えてみてください・・生きているのはいまです。
いましかないのです。
いましかない・・そのシンプルなことがわかれば
いまを楽しむことが出来ます。
複雑に考えられる人が、かしこい人ではありません。
深刻に難しく考えらる人が、頭のいい人ではないのです。
本当に理解している人は、シンプルにわかりやすく
簡単に考えることが出来るのです。
物の本質を見て、シンプルに考えることが出来ることが大切なのです。
シンプルな考え方は、根本の一番大切なことを見るということです。
伝わっていますでしょうか?
木の葉っぱばかり見てしまうと複雑になって
本来の木が見えなくなってしまいます。
木の幹を見ることが出来れば、全体像が見え
葉っぱの数や形などに右往左往しなくてよくなります。
生きることはとてもシンプルなのです。
生きることを複雑にしないでください。
あなたは、楽しむために生きているのです。
イヤな仕事をするために生きているのではありません。
将来のために生きているのではありません。
死後のために生きているのでもありません。
あなた以外の何ものかになるため
成長するために生きているのでもありません。
あなたが生きているのは、いまなのです。
とてもシンプルなのです。
そのシンプルなところを忘れないでくださいね。
子どものように、好きか嫌いか、やりたいかやりたくないか
いま何がしたいのか・・
それだけで充分生きていけるのです。
生きることを楽しんでください。
そのためにあなたはテラに転生して来たのですから・・
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
私はときどき思うんです。
マイホームローンって何なの?
ということです。
私たちはりっぱできれいな家に住むことを求められます。
社会に出て数年もすれば誰彼ともなく友人だったり、親だたり、親戚だったり
あるいは職場の上司だったり、結婚する直前やその後になって言われるのは
「新しいマイホームを手に入れては?」という問いかけです。
「生まれて来る子供のためにも・・・」という尾びれが付きます。
そして、より良い家やマンションを手に入れるために実力以上の物件に手を出し
めでたく、想定外の価格の家やマンションを手に入れることになります。
問題はその後ですね。
最初の予定では収入に見合った物件をと考えていたのが、あれこれ条件をつけると
結構な値段になるので収入をオーバーする予算を組むことは珍しくありません。
銀行や国のローンを利用するのですが、最終的に支払う合計額は購入した家の
約1.5倍から2.0倍になります。
しかし、問題はそれだけでなく、家のローンの他に毎年払う固定資産税、もしか
のためにかける生命保険、火災保険、修繕費などが予想外の出費となって一家の
台所を支える夫に降りかかります。
そこで初めて、「こんなはずではなかった」と思うのです。
確かに立派な家を手に入れ、幸せに見えた生活がその日から地獄の毎日になります。
夫は家のローン以外の生活費や生まれてくる子供の養育費や教育費なども賄うために
それこそ身を粉にして朝から深夜まで働く毎日が始まります。
妻も夫の収入だけでは賄いきれないので仕事に出る人も多いでしょう。
そうなると何のために生きているのか?ということになります。
仕事は仕事ではなくお金を稼ぐことが目的になります。
そして、家のローンを滞納すると競売にかけられ家屋を失う不安と闘いながら
毎日を過ごすことになります。
公務員の様な安定した収入が得られるひとであればいいのですが、一般の会社員
ならば、社内での転勤なども考えないといけないし、それ以外にも会社の倒産など
による失業、あるいは業績不振による降格などもあります。
そうなれば今の収入を維持することが出来ずにローンを払えずせっかく買った
家やローンを手放すことが出てきます。
今回のコロナ騒動では全国各地でそのような事例が多く発生したことでしょう。
このように考えて来ると新しい家やマンションを手に入れるために失うものが
多く、結局は何のために生きているのかという問題点に行きつきます。
そして、同時に今のローン制度は適性なのかという疑問も生じます。
それはこの自由主義経済における利子制度の在り方です。
なぜ利息を払わないといけないのか?という疑問です。
資本主義社会の基本だから払うのが当然という見方もできますが、この利子制度は
誰かによって作られたものです。最初は無かったものです。
マンションや家を購入するのに5千万円借りてそれを毎月均等返済するならそれほど
大きな負担にならず余裕を持った資金計画を立てられます。
現行の支払いは最初から最後まで元金と利子が均等ということはあり得ず、最初は
約90%が利子(利息)に充てられ、返済の最後になるにつれて元金が90%になる
ようになっているので、最初の10年程度で家やローンを手放してしまうと莫大な
借金だけが残る銀行に有利な制度になっています。
いわゆる銀行だけがぼろもうけという制度です。
こうした制度は結局は人々をお金の奴隷にしておくことが目的として作られて
いることがわかります。
新居を手に入れれば幸せな生活を送れるという人参をぶら下げ、食べた人には
相応の罰が待っているという制度です。
家やマンションのローンは一例にすぎませんが、現行の資本主義社会は単純に
考えてもわかるように富めるものが富めないものを支配する制度です。
そうでなければ貧富の差は最初から存在しません。
話がだいぶそれてしまいましたが、結局は何を選ぶかということです。
本来ならいろいろなことを楽しめる人生を重荷を背負うことで放棄するのか
あるいは重荷を放棄して楽しい人生を送るかという選択です。
だから、軽い荷物を選び楽しい人生を送るということも選択できるということです。
あるいは逆に多くの富を手に入れるかですね。
しかし、それもまたお金の奴隷になる可能性があるので考え方次第ですね。
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