世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:コントロールするための詭弁」
ミナミAアシュタールRadio463
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vol.948 「テレビの中はテレビの中」
人の心を壊しているもの
「コントロールするための詭弁」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
我慢や努力を美化しておけば支配、コントロール
しやすいのです。
我慢することで人間として成長するという言葉で
我慢を強いることが出来るのです。
でも、成長の概念を宗教家も学者も教育者も誰も
はっきりと示しません。
何が成長した姿なのか、誰も示しません。
何となく、雰囲気だけの言葉なのです。
砂漠の蜃気楼のような曖昧な概念で人々を誘導して
行くのです。
我慢することが良い事、我慢できる人が偉い人、
我慢するからこそ良い人生が送れる・・など、
あり得ません。
我慢はエネルギーを枯渇させるだけです。
我慢することで人生が豊かになる事はありません。
我慢すればするほど、もっと我慢しなければいけない
状況を作り出してしまうのです。
そして、我慢し、エネルギーが枯渇すれば、成長どころか
エネルギーバンパイアになってしまいます。
例えば、成長すれば、人に優しくなれる、いつもニコニコ
穏やかでいられる、精神的に豊かにいられるというのが
成長した姿であるとするならば、エネルギーバンパイアは
その反対です。
エネルギーパンバイアは人からエネルギーを搾取することで
満足するのです。
自分でエネルギーをチャージすることが出来ませんので
人からチャージするしかないのです。
自分のエネルギーが枯渇している人は、人にエネルギーを
あげることなどできません。
そうですね・・自分が不足しているのに、人にエネルギーを
差し上げることなどできません。
エネルギーの搾取の方法はいろいろありますが・・
どんな方法にしろ、搾取される方はエネルギーをバンパイア
されるわけですから、豊かにはなりませんし、幸せにも
なれないのです。
まわりの人からエネルギーをバンパイアする人のまわりには
同じようにエネルギーが枯渇して他の人からバンパイアする
人が集まります。
エネルギーの取り合いになってしまうのです。
殺伐とした環境になります。
反対に我慢せずに、自分に正直に生きている人、楽しく生きている
人は自分のエネルギーも満タンに出来ます。
だから、人から搾取する必要はないのです。
そして、エネルギーが満タンですからいつもご機嫌でいることが
できますので、同じようにご機嫌な人が集まってきます。
エネルギー満タンの人が集まると、エネルギーの共振が起きて
楽しく過ごすことが出来ます。
とてもシンプルな話です。
我慢していると豊かさは感じられません。
楽しくありませんので、幸せだとも思えないのです。
我慢や忍耐を美化するのは、支配者が支配しやすくするためです。
自分たちがどんなに酷いことをしても、人々が進んで我慢
してくれれば、支配者たちは何でも好きにすることが出来る
からです。
我慢させることでコントロールしやすくなるからです。
我慢しているとこころが疲弊します。
苦労もいりません。
努力もいらないのです。
忍耐など意味ないのです。
好きなことをして楽しんでいれば努力など必要なくなります。
努力はイヤなことをするから努力になるのです。
同じような事をしていても、楽しんでいれば努力ではなくなります。
楽しい遊びになるのです。
汗も涙も努力も修行もいりません。
我慢も必要ないのです。
楽しんでいれば、いままで汗と涙の修行、努力などと
思われていたことが遊びだと分かります。
努力だ、修行だ、我慢だ・・と言われ深刻になっていると
こころはカチコチになってしまい、どんどん疲弊していきます。
アイディアも何も浮かんでこなくなり、また、それも努力が
足りないからだと自分を責めることになるのです。
枯渇したこころをもっと絞ってしまい、苦しくなるだけです。
こころがカチコチの状態だとアイディアなどは浮かんで
来ません。
楽しんで遊んでいるとこころが柔らかくなり、楽しいアイディアも
どんどん湧いてくるようになるのです。
話がそれましたが、苦労や努力などを美化するのは
支配者側の都合だという事をお伝えしたいと思います。
支配者が都合よく人々をコントロールするための詭弁だと
いう事を理解してください。
それを真に受けてしまうと、こころが疲弊してしまいます。
豊かな人生を送ることができなくなってしまいます。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
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