マイナンバーカードは新たな「税金」徴収に都合が良い、これが政府がこだわる理由
カードと銀行口座をリンクし現金を使用できなくすればすべてのお金の流れが追え、財務省は税金取り放題になる。
追記事項あり。
働いたら罰金か?
国民の豊かで安全な暮らしを提供する(はずの)政府の運営のために、税金の徴収が必要なことは言われなくてもわかる。また、国民が助け合う社会保障制度の「理念」には大いに賛成だ。
だが、その「徴収する税金や社会保険料の負担が公平か」、「徴収された資金の使い道が妥当か」、「政府などの組織の運営が適正か」などはまったく別問題であり、現実には大きな闇が存在しているように思う。
現在の税金や社会保険料の徴収は、「取りやすい」一般勤労者に偏っているのではないだろうか? 懸命に働く一般労働者の負担感は半端ない。
また、少子化の原因も、子育てをする現役世代の税金・保険料負担が多いことが原因の一つだ。
5月25日NHK「社会保険料への上乗せ 月額最大で470円の試算 少子化対策強化」と報道されているが、少子化対策費用を(子育てを行う)現役世代が主たる担い手となる、社会保険料で負担させるなど本末転倒である。
3月16日公開「日本は高齢者だけのものではない、多数派の横暴は許されるのか?」のような、リンカーン大統領のゲティスバーグ演説ならぬ「高齢者の高齢者による高齢者のための政治」の典型だと考えている。
5月20日公開「7公3民、21世紀のフランス革命は起こるか、そして5公5民の日本では?」で触れた、「パリが燃える」というような事態はまだ東京では起こっていないが、国民の怒りのマグマはかなりの水準まで到達している。
例えば、以前からCOROBUZZ 2019年8月1日「働いたら罰金→所得税(笑)一枚の張り紙に『秀逸』・『すごく納得した』」という「落書」がネットで広がっている。
勤労者の重税感を端的に現わしていると思う。江戸の庶民は、幕府への不満を公然と口にはできなかったため、「落書」でその気持ちを伝えたが、ネット時代でも庶民の気持ちは同じだ。
さらに大きな問題は、これからインフレがやってくると「何もしないと(自然に)増税」になることだ。
1月23日公開「減税で滅んだ国家はない、増税は国家衰退のサインだ」2ページ目「消費税増税など愚の骨頂である」で同じ税率でも納税額が増える理由を述べた。またインフレで見かけ上の収入が増えると、(インフレ分を除いた実質的収入が同じでも)累進課税における税率が上がることは、2021年12月9日公開の「『変動金利』で住宅ローンを組んだ人の末路…インフレで『ローン破綻』の可能性も」3ページ目「巨大な借金の重みを知れ」で述べた。
日本の富の創出を支える「現役(勤労者)世代」は、「生かさぬよう、殺さぬよう」絞りとられるままでいるしかないのだろうか。
無駄遣いが重税の原因だ
もちろん、江戸時代の年貢とは違って、現在の税金や社会保険料は国民に大きな恩恵を与えるという「建前」である。この「建前」どおりに、税金や社会保険料が適正に使われていれば、前述のような「落書」が出回ることは無かったかもしれない。
だが、現役勤労者の「血と汗の結晶」である税金や保険料が、不適切に使われている事例が余りにも多い。
例えば、前述落書の最後に登場していた「生活保護」の問題である。
まず、昨年11月21日公開「健康保険と『国営ねずみ講』の年金を『第2税金化』で維持に必死の日本政府」5ページ目「生活保護よりも少ない年金のためになぜ苦しむ必要が」で述べたように、おおよそ40年間も苦しみながら保険料を支払う老齢基礎年金の月額が6万円を切っており、老齢厚生年金も含めた合計の受給額も15万円を切っている。
これでは、前述落書の「働かなければ賞金=>生活保護」と揶揄する言葉に反論できない。
しかも、生活保護は一種の利権と化し多くの「闇」を抱えている。前記「減税で滅んだ国家はない、増税は国家衰退のサインだ」3ページ目「問題は税金取り立てではなく無駄遣いの抑制」で述べたいわゆる「貧困ビジネス」は、Colaboだけではなく、多くの団体で「疑惑」が蔓延している。
さらに、前記「減税で滅んだ国家はない、増税は国家衰退のサインだ」4ページ目「無駄な補助金も同様だ」で述べた「外国人への生活保護」問題も、2014年に最高裁で判決が出てから9年も経過しているのに一向に解決しない。
日本人の生活の保護が、日本の納税者の資金によって賄われるべきなのと同じように、外国人の生活の保護も外国(本国)の納税者の資金によって賄われるべきなのは当然だ。
しかも、「護られなかった者たちへ」(筆者映画評論)で描かれているように、本来受給を受けるべき日本人でさえ、なかなか生活保護を受けることができないのが現状なのである。
バラマキがブーメランで返ってくる
「独立行政法人労働政策研究・研修機構『国民負担率』」の資料によれば、国民負担率は、2003年度の34.1%から2022年度の47.5%へと上昇している。しかも、厚生労働省「公的年金制度の役割とこれにふさわしい財政方式及び財源等」の「(資料6)国民負担率(租税負担、社会保障負担)の推移」によれば、1970年度の国民負担率はたったの24.3%であった。
つまり、今から半世紀前には「1公3民」という素晴らしい状態であったのだ。そして、バブル崩壊後しばらくの間は「余韻」もあって、概ね「3公7民」という「善政」が何とか維持されていたのだが、現在では概ね「5公5民」の水準まで劣化した。
もちろん、徴収された税金や社会保障費は、冒頭で述べたように国民に還元されるのが「建前」だが、2003年以降のおおよそ20年間で、(少なくとも勤労者世帯が)還元が増えたと感じられないことが、たびたび言及している「落書」の原因だと考える。
よく、「『平均年収400万円』が30年以上変わらない日本。その課題と個人の対策は」などという資料を見かける。しかし、これは誤解を招く。
過去4半世紀以上、日本は長期間にわたるデフレに悩まされてきたのだから、収入が同じであれば暮らし向きは豊かになっているはずである。例えば30年前には、(一般的には)現在のように100円で多種多様な商品を購入したりできなかった。
また、スマホを始めとするIT機器も、そもそも多くが登場していなかったし、同じ性能の製品を手に入れようとしたら、天文学的数字の金額を支払わなければならなかった。「自動車電話」の時代の、百科事典数冊分はあった「携帯電話」を思い起こせばすぐにわかる。
さらに、最近のインフレで値上がりしているが、マクドナルドのハンバーガーが59円、吉野家の牛丼が280円という時代もあった。
それでも、「生活が苦しい」と感じたのは国民負担の増加、特に社会保障費負担の大幅な上昇によるところが大きい。
前記「(資料6)国民負担率(租税負担、社会保障負担)の推移」において、1970年度の社会保障負担率は、5.4%にしか過ぎなかったが、バブル崩壊前後の1990年度には11.3%、そして前記「独立行政法人労働政策研究・研修機構」の資料によれば、2022年度は18.8%である。
1970年度から比べれば、4倍近く、バブル崩壊時から比べてもおおよそ2倍もの社会保障費の負担をしているのであるから、デフレで物価が下がっても生活が苦しかったのは当然だと言える。
財務省の「国民負担率の比較(OECD36カ国)」によれば、前記「5月20日公開 7公3民、21世紀のフランス革命は起こるか、そして5公5民の日本では?」で言及したフランスの国民負担率はおおよそ7割であり、他の欧州諸国も概ね日本よりも高い。
だが、欧州諸国の多くは高福祉国家であり「還元」も日本よりも多いと考えられる。
恐ろしいのは、財務省が「還元を増やすことを考えずに、日本を7公3民国家に追い込もう」としているように見えることである。
キリギリスが多すぎる
アリのようにコツコツと働く人々が、日本の経済を支えてきた。
しかし、バブル崩壊後、バラマキの恩恵にあずかることや、一攫千金を狙う人々ばかりが増えたように思う。
日本の将来にとってもっとも大事なのは、「真面目にコツコツ働く」ことを尊ぶ文化に基づく政策だ。生産年齢人口の日本人は優秀だが、悪政のせいで勤労意欲をそがれ、将来不安のために子供を産むことを恐れるようになっている。
「働けど働けど『政府に召し上げられる』」ばかりでは、夢も希望もない。
弱者救済は絶対に必要だが、アリがコツコツと働いて得た富を奪って、キリギリスにばらまくことだけはやめてほしい。
昨年8月17日公開「補助金、支援金はありがたいが間違いなくインフレを加速させてしまう」冒頭「政府がインフレを加速させている」で触れた「幼稚園児のケーキ問題」というものがある。
幼稚園児に「おやつのケーキを1個から2個に増やしたい人は?」と問いかければ、「満場一致で採決」されるであろう。購入資金や健康の問題など考えないからだ。
同じことが日本の国会で行われている。「バラマキに賛成な人は?」と問いかければ、票が欲しい政治家は、財源のことなど考えずに賛成する。
だが、いくら財源の問題を先送りにしても「結局誰かが払わなければならない」のは明白である。
そして、その「つけを払うべき時期が迫っている」から、政府は大慌てで、(取りやすい)勤労者からの徴収強化に必死になっているのだ。
政府がマイナンバーカード普及に血眼になる真意は
「甘い話には裏がある」というのは普遍的真理だ。
政府がマイナンバーカード普及のために、1人当たり2万円、4人家族なら8万円ものポイントを大盤振る舞いするのも、もちろん「裏の目的」があるからだ。
その目的には色々あるが、本稿のテーマに直接関係があるのが「国民の財産の補足」である。
日本経済新聞6月6日「口座開設の本人確認、マイナカードに集約 懸念払拭急務 26年にも新型導入、普及へ用途拡大」と報道されているが、「銀行口座とマイナンバーの紐づけ」こそが財務省の裏の目的である。これによって国民の財産を丸裸にして、「自由に徴収」しようというわけだ。運転免許証などでの本人確認の廃止など、国民に不便なことを強いることからもその真意は明らかである。
日本人の個人金融資産だけでも約2000兆円ある。さらには個人の住宅などに対しても、新たに課税可能である。これらを召し上げれば、1200兆円といわれる日本政府の借金など簡単に帳消しにできる。
まさに、昨年11月9日公開「マイナンバーカードは、いつか来た道『財産税』取り立てが目的か?」ということだ。2021年10月25日公開「日本は外国に借金していないからデフォルトしないというのは本当か?」で触れた、巷にあふれる「日本はデフォルトしない」という説の根拠は、簡単に言えばこのような類のことである。
確かに、官僚・役人は(形式上)デフォルトの責任を負う必要が無くなるが、コツコツとアリのように資産を貯めた国民にとっては大災害である。また、ハイパーインフレによって「事実上政府の借金が帳消し」になる場合も、国民が大きな被害を被る。
この他にも、マイナカードを普及させる目的には、共産主義中国の「社会信用システム」や民主党のESG投資(米国ではすでにマイナンバーに相当する社会保障番号が普及している)による「イデオロギーの押し付け」などがあげられる。4月17日公開「核戦争、少子高齢化、食料難、監視社会、SF小説の描く未来は正しかった!?」の「ビッグブラザー」による監視にもつながる恐ろしいものだ。
「生かさぬよう殺さぬよう」統治されている、まじめに働く勤労者は、今こそ声を上げるべきではないだろうか?
まいこめんと
予算規模はいったん増えたら元に戻らないピーコック=ワイズマン(Peacock and Wiseman)の転移効果仮説
予算規模は本当にコロナ前に戻るのか
しかし、財政の歴史を振り返ると、歴史にも残るような大きな出来事があって、一旦予算規模が拡大すると元に戻らない、という仮説がある。その仮説は、ピーコック=ワイズマン(Peacock and Wiseman)の転移効果仮説という。2人が1961年に刊行した“The Growth of Public Expenditure in the United Kingdom”で、イギリスの予算規模の経緯を踏まえてこの仮説を提起した。
戦争や災害や大きな不況などが起きるとそれに対応するために歳出が顕著に拡大するが、それが終わって(財政需要がなくなった後で)も、予算規模はそれらが起きる前には戻らず拡大したままとなり、こうした大きな出来事が起きる度に予算規模が拡大してゆく、という仮説である。
そこで、再び冒頭の図をみよう。1990年度以降のわが国の一般会計歳出を振り返ると、バブル絶頂期の1990年度は69.3兆円だったが、1990年代前半のバブル崩壊に対する景気対策で1995年度には75兆円を超えた。これ以降、75兆円を下回ることはなかった。
その後、1997年秋には山一證券や北海道拓殖銀行など大手金融機関が連鎖的に破綻する金融危機が起き、再び大規模な景気対策が講じられ、1998年度には84.4兆円と80兆円を超えて増えた。この景気対策が終わった2000年代には、景気対策に要した歳出は不要となったのだが、結局一般会計歳出が80兆円を下回ることはこれ以降なかった。
さらにその後、リーマンショックに端を発した世界金融危機が起き、景気が大きく後退したことから、2009年度には再び大規模な景気対策が講じられた。2009年度には101.0兆円と、一般会計歳出は初めて100兆円を超えた。その後、東日本大震災も起き、震災復興の対応も求められた(初期対応は一般会計で行うも、後の対応は一般会計から東日本大震災復興特別会計に移管された)。
これ以降、一般会計歳出は100兆円前後で推移し、リーマンショックや東日本大震災の前の規模に戻ることはなかった。
そして、今般のコロナ禍である。
もちろん、当否は厳密な分析が必要なのだが、簡単な概観でいえば、日本の一般会計歳出は、まるでピーコック=ワイズマンの転移効果仮説が当てはまるかのように、歳出規模の拡大を繰り返している。
コロナ後の予算規模はどうなるか
では、コロナ後の一般会計歳出の規模は、コロナ前に戻るだろうか。
まだ新型コロナが完全に収束していない本稿執筆時点での情報に基づいても、当面はコロナ前には戻らないと言える条件がそろっている。
防衛関係費が、2023年度で2022年度当初予算と比べて1兆4192億円も増えており、拙稿「43兆円の防衛費、結局どう決着したのか。2023年度からの5年間の防衛政策を占う」でも記したように、今後も増えることが見込まれる。
さらに、岸田文雄内閣が今後具体策を検討するこども予算も、将来的な倍増を目指している。
これらだけでも、予算規模がコロナ前に戻らない形で膨張することが予想される。
加えて、高齢化に伴う社会保障費の増大もある。もちろん、冒頭の図に示した期間でも、高齢化に伴って社会保障費は増大し続けてきた。
ただ、ピーコック=ワイズマンの転移効果仮説では、予算規模は、緩やかに増加するのではなく、大きな出来事があるとその時に顕著に増加し、それが終わった後に(必ずしもその出来事とは関係ない要因で)後戻りしない形で増加する、という。
防衛費やこども予算は、コロナ後は要らなくなるコロナ対策の経費とは直接関係ない費目として、コロナ後に登場する。つまり、コロナ禍によってコロナ前より予算規模が顕著に増えたが、その増えた要因となったコロナ対策の経費が要らなくなった後に、別の理由でコロナ前には戻らない形で予算規模が膨張する。そのことが、新型コロナがまだ完全には収束していない本稿執筆時点でも、予想できてしまう。
わが国の財政は、そんな状況に置かれているのだろう。
→https://news.yahoo.co.jp/byline/takerodoi/20230329-00342964
このようにわが国予算はコロナ対策で大幅に増え、その予算を国債に大幅に頼っている状況に
あるが、問題はコロナ関連予算がコロナが終焉した今も減っていなことです。
むしろ、今年は防衛費、少子化対策などでさらに増やそうとしている。
勘繰るわけではないが、防衛費や少子化対策は増えた予算を減らさないようにして官僚の意の
ままに使えるようにするために考え出された案ではないかということです。
実際にコロナ禍で増えた予算はすべて使い切れず次年度に繰り越されています。
今年もまた、その予算を繰り越されていますが、このままだと予算をすべて使い切れないので
使い切るれるようにするためには新たな予算の使い道を考えなければならない。
そのための方策ではないかということです。
官僚の予算に対する考え方として予算は使い切り翌年度はさらに多くの予算をもらえるように
するというものがあります。そのため、年度末が近くなると余った予算の使い道をあれこれ
考えだし、すべて使い切ってしまいます。
本来なら余った予算は国に返さないといけないのですが、もし、ここで余った予算を国に返す
と、次年度はそれほど必要がなかったのだからと予算要求額を減らされます。
各省庁ともこれが怖いのです。予算を減らされると官僚の降格人事が成されるので彼らも必死
というかあくまでも予算の増額を求めてきます。
したがって、決して無駄は減らず予算増額のための予算になり一般会計予算は増えて行きます。
そこに国民の生活の安定のために税金の使い道を減らすという発想は皆無なのです。
彼らの生き残りが第Ⅰなのです。
これは私が若いころ半官半民公共団体に所属して体験していたことなので間違いないです。
必ず年度末になれば何か必要な機材がないか?あれば購入してやると上から来るわけです。
これが予算の無駄遣いの温床になっているのです。
要するに天下り公共企業への補助金と言うものです。
これが特別会計や一般会計から出てくるのです。
だから、予算は毎年上がり続け、増えた予算は決して減らない理由です。
つまるところ、国民負担はじわじわと増えて行き、終わりがない袋小路になります。
これを何とか出来るのは政治家しかいませんが、現在の岸田政権は財務省にがっちりと
囲まれ(血縁も含め)ているので抵抗できないのです。もはや財務省に反対路線を貼る
政治家に総理大臣になってもらわないと困るわけです。
もっとも、前総理が暗殺された背景には反財務省というものがあったのですが・・・。
そのため、残された手段は国民が大反対することです。
それしかありません。
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