破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:生と死への尊厳」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:生と死への尊厳」

今日の破・常識!

それが生と死への尊厳なのです。

個人の尊重なのです。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「生と死への尊厳」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

みんなで暮らせばいいのです。

いま世界で起きている問題は

みんなで暮らせばほとんどなくなります。

この問題も個人、個人が

孤立させられてしまっているから

起きてきているのです。

人々が手を繋ぎ合って

得意なことを提供しあえば

このような問題は起きてこないのです。

みんなで手を取り合って暮らしていれば、

いま感じている不安や心配がなくなり

ストレスも軽減します。

だから、病気にもなりにくくなります。

そして、寝たきりということもなくなるのです。

寝たきりという状態は

最近になって起きてきたことです。

寝たきりというのは医療ビジネスによって

引き起こされるものです。

いまの医療は長生きさせることを良しとしています。

だから、生に対する尊厳が

なくなってしまっているのです。

身体を動かせなくても

口から食べることが出来なくても

意識がほとんどない状態でも

とにかく呼吸さえさせておけば良いと思っています。

それが医療だと思っているのです。

そして、”安楽死”という考え方も

生に対する尊厳はありません。

ちょっと聞くだけでは

生に対して尊厳があるかのように思えますが

そうではありません。

死ぬという事に対しての尊厳もありません。

話を戻しますが、みんなで手を取り合って

生活していれば寝たきりにはならないのです。

年齢を重ねていけば体力的にできない事も

増えてきます。

でも、知識は増えていきます。

身体が若い頃よりも動かなくなっても

知識を提供する事が出来ます。

知識を提供することができれば

生きているという実感を持つことができ

生き生きと生活することが出来ます。

だから、寝たきりになる事もないのです。

いまあなた達は年を重ねると役に立たなくなって来る

という大きな思い違いをしています。

そう思ってしまうようにミスリードされているのです。

役に立たなくなった自分は何も出来ない

という気持ちが身体も衰えさせてしまうのです。

そして、年を重ねると病気になるのが当たり前で

痴ほうという症状も出て来るのも

当たり前だと思い込んでしまうので

自分でそういう現実を創造するのです。

年を重ねても元気で楽しそうな方は

自分が出来ることをしているのです。

年を重ねて出来なくなったことに

フォーカスするのではなく

年を重ねたから出来ることに

フォーカスして楽しめるのです。

年を重ねるという事にも

尊敬の気持ちがなくなってしまっているので

”安楽死”などという発想になるのです。

年を取って役に立たなくなった人は

社会のお荷物だと思わされているのです。

政府や国も社会保障に

お金をかけたくないと思っていますので

そのような風潮を作り出しているのです。

例え、身体が動かなくなったとしても

出来ることはあります。

知恵と知識を使えば

いくらでもやれる事はあるのです

それを考えることを放棄してしまうから

役立たずになったと思うのです。

そして、人々が分断させられ

孤立してしまっているので

その知恵と知識を使う機会が

なくなってしまったのです。

人々が手を取り合って暮らしていけば

まず寝たきりという人はいなくなります。

そして、役に立たないなどという

発想もなくなります。

必ず人に提供できることがあるのです。

それが分かれば自信が出来ます。

自信があれば”安楽死”を

望むことなどありえません。

そして、生き延びるためだけ

呼吸をさせるためだけに生かされることも

なくなりますので、家族が”安楽死”を

望むこともないのです。

楽しい社会では、死は自然に受け入れられます。

死ぬことを怖がることもありませんので

管につながれてもなんとか生きていたいとも

思わないのです。

それが生と死への尊厳なのです。

個人の尊重なのです。

支配者たちはあなた達を労働力としか見ていません。

だから、”安楽死”などという発想が出て来るのです。

そして、医療はビジネスです。

生活の質など関係なく

ただ長生きさせておけば儲かるのです。

それをみるのがツラいと思う家族が

”安楽死”を求めてしまうのです。

本人も役立たずになったからと思い

”安楽死”を求めてしまうのです。

そして、若い人たちも”安楽死”に

ある意味希望を持ってしまっています。

それは、社会から逃げたいという気持ちです。

死ねば楽になれると思ってしまっているのです。

自分で死ぬのは怖いし、無理だけど

その方法ならば楽だろうと

思ってしまっているのです。

”安楽死”という言葉が

きれいに聞こえてくるのです。

そのような問題も、人々が手を取り合って

提供し合って生きていればなくなります。

誰かがそばにいると思えれば孤独も感じませんし

自分も提供できることがあると思えば

自信もつきます。

自信ができれば生きることから

逃げようなどと思わなくなります。

みんなで提供しあう丸い社会になれば

いまの社会で起きている問題は

ほとんど解消されるのです。

今回は話があちこちに飛んでしまいましたが

すべての根っこは同じだという事を

お伝えしたいと思います。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

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