世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ご機嫌さんとお金の問題について・・・」
「ご機嫌さんを現実にするお金がクレカだと後でお金に困る矛盾をどうすれば・・・」
ご機嫌さんを選択するために
お金を使う事象が発生することがありますよね。
美味しいものを食べるとか、どこかへ旅するとか。
我慢は更に我慢の扉を開く、とアシュタールはいいます。
なので、自分を制限しないよう、
ある程度の出費を自分に許すわけですが、
カードなどを使ったりすれば必ず支払いはくるわけで、
翌月その支払いのために自由になる現金は減り、
どこかに我慢が生じます。
使う時は、ご機嫌さんのために使い心は
満足しますが、
翌月の支払いで我慢と節約の気持ちで自分を抑制する、
という矛盾のスパイラルになります。
では、お金を使わないご機嫌さんを選択すればよい、
という考え方になりますが、
その時はその消費が自分にとっての
ご機嫌さんになるために必要であり、
節約を考えて我慢することは
それこそ我慢の扉を開くことになるのではないか、
と思うのです。
この矛盾というかスパイラルについて、
ぜひ、アシュタールの意見をお聞きしたいのです。
どうかよろしくお願いいたします。
…というご質問をいただきましたぁ~~^0^
(このご質問は超次元ライブにいただいたものですが、
基本的に超次元ライブはさくやさんが答えるという
企画ですので、今回はアシュタールへのご質問ですので
ブログにてお答えさせていただきます。)
これは悩ましいことだと思います。
同じような疑問を持っている方もたくさん
いらっしゃると思います^^
では、アシュタール、よろしくお願いいたします。
「ご機嫌さんとお金の問題について」by アシュタール
そうですね・・
まず最初にお伝えしたいことは、私たちがお話している
ご機嫌さんは享楽的なことではないということです。
確かに美味しいものを食べたり好きなところへ旅行
したりすることも楽しいし、ご機嫌さんになれると
思います。
しかし、そうではないのです。
一時的にご機嫌さんになることをお勧めしているのでは
ありません。
一時的ご機嫌さんばかりを追求しているとかえって
エネルギーは不足していくのです。
一時的なすぐに手に入るご機嫌さん(享楽)を追求すれば
あなた達の社会ではお金は必要になります。
そのお金を我慢しないで使うことは、頭でこれをすると
あとで困ることになるのはわかっていますのでこころの
底から楽しむことはできません。
どこかに罪悪感などを感じてしまいますのでムリに私は
ご機嫌さんだと思い込もうとししまいます。
だから、反対にエネルギー不足になってしまい、もっと
お金が欲しい、もっとご機嫌さんになるためにはお金が
必要だ、という思考になってしまうのです。
わかりますか?
ご機嫌さんになるためにはお金が必要だという思考に
なってしまうとこころから満足できるご機嫌さんには
なれないということです。
ご機嫌さん=お金の額ではないのです。
ご機嫌さんは一時的にお金を使うよろこびではないのです。
お金を使うことにあなた達はよろこびを感じるように
教育されています。
たくさんお金を使うことですっきりした気分になれるのです。
それはエネルギーバンパイアのお金の使い方なのです。
もっと欲しい、もっと必要だと思えば思うほどお金は
あなたから離れていきます。
それはご機嫌さんを求めているのではなくお金を求めて
いるからです。
お金によって一時的にご機嫌さんになるというところだけを
求めているので心底満足できずにいる状態になります。
でも、何かしたいと思ったらお金は必要ですよね・・
というエネルギーが飛んできますが、確かにあなた達の
いまの社会ではお金は必要です。
でも、お金ありきのご機嫌さんではないご機嫌さんでいると
お金は入ってくるのです。
またぁ~・・って思うかもしれませんがそうなのです。
必要なお金は、必要な時に、必要なだけ手に入るのです。
好きなことを夢中で楽しんでいるとそれに必要なお金は
手に入るということです。
この場合の好きなことというのは(一時的な)享楽的な
好きなことではなく、積み重なっていく好きなことと
言えば理解していただけますのでしょうか?
たとえば一時的に美味しい食事をするためのお金ではなく、
料理などが好きで自分の満足する料理を作るために(研究の
ために)いろいろな料理を食べに行くお金という感じ
でしょうか?
言葉で表現するのは難しいのですがなんとなくそんな
感じくらいでいいですので違いを分かっていただければ
うれしいです。
この場合のお金は入ってくるのです。
どこからかわかりませんがなんとなく困ることはないのです。
誰かに食事券をいただくという形で入ってくるかもしれませんし
臨時収入が入るかもしれません。
お金がなんとなく回っているという形になるかもしれません。
これがあなた達にとってはとても理解しにくいことだと
思いますが、それが波動エネルギーなのです。
それが思考が先、現実はあと・・の世界なのです。
あなた達はお金がなければご機嫌さんに
なれないという思考が強いのだと思います。
お金がたくさんあって好きなこと(享楽的な好きなこと)
をすることががご機嫌さんになれることだと思って
いらっしゃるようですがそうではないということを
お伝えしたいと思います。
お金を使うことがご機嫌さんになる最終的な目的ではなく、
好きなことを探求?工夫していく?ためにお金を使うのです。
そのようなお金ならば、必要なときに、必要なだけ入って
きます。
ご機嫌さんになることと、お金があることは違うのです。
ご理解いただけましたでしょうか?
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
マイコメント
今回の質問は多くの方が「そうだ!そうだ!」と相槌を打たれる内容ではなかった
かと思います。
なにせ、この世の中何をするにも先立つのがお金です。
今回の質問のポイントは何をご機嫌さんと取るかですね。
食事を楽しむことも自分に取って味わうという楽しみを作るものならば
ご機嫌さんになれるひとつの機会ではないかと思うのは当然だと思います。
しかし、それはアシュタールに言わせると「一時的な喜びのひとつであり
ご機嫌さんになる継続的な楽しみではないということのようです。
このあたりの違いがよくわかならないかもしれませんね。
ご機嫌さんとなれる継続的な楽しみ方と一時的な楽しみの違いとは?
そこにお金がかかわってくるわけです。
そこで例に出されているのが料理の研究のために食事に行くという場合です。
料理の研究と旨いビーフステーキを食べに行くということの違いはどこに
あるのでしょうか?
それを考えるポイントとしては継続的な楽しみという観点です。
何かをやり遂げるという一つの目的がそこにあり、それが楽しみになるという
場合を考えてみると料理研究にかかわらず、全国の鉄道を乗り歩き各地の行事や
建造物を訪ねそれを写真に収めるというのも継続的な楽しみのひとつです。
最初はただ旅を楽しむという目的だったのが、撮りためた写真を出版社に持ち
込んだら写真集の発売が決まり、あるいは偶然目にした写真を誰かが写真集に
したら?と勧められる場合もあると思いますが、出してみたら大ヒットした。
というような流れを考えてみると、最初は旅が目的だったのが進められるままに
写真集を出したらヒットし、それでお金も入ってきたという流れになります。
この場合、旅を楽しむというご機嫌さんがお金になって、それ以降の旅の資金が
できて、継続的に旅ができるようになったというものです。
おそらくアシュタールが語りたかったのはこうした楽しみ方ではなかったのかと
思います。
ご機嫌さんでいたら、お金が後からついて来たという流れです。
しかし、そうはいっても私たちの楽しみといえばやはり質問にあるような楽しみ方が
ほとんどではないかと思います。
私だってそうですね。
だから、ものの考え方をほんの少し変えてみる必要がありそうです。
今お金をかけて楽しむものはそれはそれでお金がかかるのだから仕方がないものと
思い、それ以外に継続的なご機嫌さんになる楽しみを見つけ、それにお金がついて
来たという状況を創ればいいだけのことのようです。
みなさんも考えてみましょう。
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