世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:その姿を見せてください」
さくやさんは、
『吉良さんは真面目で人柄のいい人。
浅野のお殿様は、わがままで世間知らずの
ボンボン育ち。
小さな頃からやりたい放題で、
厳しく指導されたことも無かった。』
と言うけれど、アシュタールは、
『子どもは放っておいてください。
躾や教育などしなくて良いのです。
どうしても何かを教えたいのなら、
大人が愛を実行し、
その姿や行動で子どもに愛を教えて下さい。』
と言っていました。
このふたりの言葉をどう解釈して理解し、
子育てに役立てていけば良いのか、
もう少し教えて頂けると幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。
・・というご質問をいただきました^^
では、アシュタール、よろしくお願いしま~す^^
「その姿を見せてください」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
放っておく・という解釈がまるで違います。
放っておくということは、子ども達にやりたい放題
させておくということではありません。
大人たちの姿勢を見て子どもはその真似をします。
放っておくというのはへりくだるのとは違います。
大人に対して何をしても良いというのとは
違うのです。
他者に対して傍若無人にふるまってもいいと
いうことではありません。
そこには愛がありません。
周りの人たちに対しての愛を教えてください。
それには大人たちが自分を愛していなければ
出来ないのです。
放っておくのは服従するのではありません。
手をかけずに、目をかけて行くという事です。
いちいち手をかけていては子どもは自己を確立
することができません。
だから、放っておくのです。
好きにさせておくのです。
でも、しっかりと目をかけていてください。
子どもがしっかりと自己を確立するためには
どうしたらいいか、その道を自分で探すことが
できるように見守るのです。
自己を確立するというのは、自分を大切に出来る
ようになるということです。
自分の存在を尊重し、大切に出来る大人になると
いうことです。
だから、周りの大人たちもそうであってください。
好きにさせてください、放っておいてくださいと
いうのは、何から何まで子どものいうことを聞いて
ください、服従してくださいといっているのでは
ない事は理解してください。
そのためには大人もしっかりと自分の意見を
言ってください。
コントロールしようとするのではなく、
相手が子どもであっても、私はこう思っていますと
しっかりと話をしてください。
大人自身が自分を大切にしている姿を見せると
子どもも自分を大切に出来るのです。
自分を大切にすることができれば、他者も大切に
思うことができます。
他者に対して尊敬と尊重の気持ちを持つことが
できます。
その上で好きにさせてあげてください、
手をかけるのではなく、目をかけていてください。
前者の育て方はただチヤホヤして、その子どもを
怖がり好き放題させているだけです。
そして、大人は何も教えていません。
子どもを怖がり頭を下げ続けていると、
他者を軽んじるようになってしまうのです。
それは自分だけが特別で、他者に対しては
何をしてもかまわないと教えているのです。
大人自身が愛を実践した上で、子どもの気持ち
考えを尊重し好きにさせてあげてくださいと
お伝えしています。
いまのあなた達の社会は子どもをコントロール
しようとばかりしています。
大人たちの都合の良いように育てようとしているので
子ども達は委縮してしまい、自分の表現ができなく
なってしまうのです。
それは、大人たちが子ども達に対して愛を持って
接していないからです。
それは、大人自身が愛を実践していないからです。
放っておく、好きにさせておくというのは
何もせず野放しにするという意味ではなく、
愛を教えていった上でしっかりと目をかけて
好きな表現ができるようにするということです。
愛を知っている子どもは他者を傷つけたり
困らせたり、支配しようとは思いません。
子ども達にこんな人に育って欲しいと思うならば、
大人であるあなたがまずそういう人になってください。
その姿を見せて下さい。
それが手をかけずに目をかけて愛情を持って
育てるということです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
マイコメント
とても素晴らしい内容でしたね。
「放って置く」と「わがまま好き放題」とは意味も内容も異なり、イコールではない
ということです。
一般的に放って置くというと好き放題やり放題わがままし放題、何も注意しないと
意味に捉えられるので誤解しやすい部分です。
きちんとその子供の言動と行動を見守り、必要な場合は注意を与え、自分でその意味を
考えて判断できるように教えることです。
そのうえで子どもの自由を尊重しつつ、相手にも自由があり尊重しないといけない
ことも教えて行くことです。
中々難しいですね。
子どもはそのあたりの思慮が十分育っていないときには時として自分の好きなように
していいんだと受け取りがちなので、そこに目をかけて行くと言うことですね。
そして、今の大人は愛という概念を間違って捉えているので、聖書で言われる無条件の
愛をそのようにとらえ、何でも愛を与えればいいと誤解してしまっている部分もあります。
愛をLoveつまり恋愛的なものとして考えているのと、相手が自分の意のままに行動
してくれることを求めるのも愛であると考えています。
アシュタールの語る愛はそういうものとは違うようです。
もっと普遍的なものです。
粟生野当たりの理解が進んでくれば、私たちの愛の姿も少しは変わってくるだろうと
想います。
その愛に立脚した子育てがアシュタールの語る子育てだろうと思います。
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