世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ちょっとずつ手を貸しあう生活・・・」

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じょうもんの生活 アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ちょっとずつ手を貸しあう生活・・・」

じょうもんのような生活ってすぐには出来そうもない

丸い社会を創りたいけど、田舎の方に引っ越すのは
 
まだ無理だし、ピラミッドの会社から離れて個人で仕事を
 
するにはスキルも何もないし、農業的なことも無理なような
 
気がするし、同じような考え方の人もそんなにいなくて
 
私一人ではじめるには勇気が足りないし・・
 
丸い社会を創るって大変ですね・・創りたいけどどうしたら
 
良いのかわかりません。
 
 
・・的なご質問?お悩み?をよくいただきます。
 
丸い社会、じょうもんのような社会ってどうやったら
 
創れるの?

教えてアシュタールぅ~~

「ちょっとずつ手を貸しあう生活・・・」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。
 
大きく考えないでください。
 
そして、私はじょうもんと同じ社会を創ってくださいと
 
言っているのではありません。
 
 
都会にいても丸い社会は創ることは出来ます。
 
別に農業的な仕事をしなければいけないということもないのです。
 
 
丸い社会は特別な環境で、いまの生活とまったく違うもの
 
ではないのです。
 
特別な環境を用意しなければ出来ない事ではないのです。
 
 
ただ、提供しあうことが出来ればいいのです。
 
それも特別なスキルのいること、ものすごく得意なことを
 
提供しあってくださいと言っているのではありません。
 
生活の中であなたが提供できることで良いのです。
 
 
たとえば、同じマンションに住む人と提供し合えば
 
いかがでしょうか?
 
お隣さんに・・ちょっとおかずを多く作ったからどうぞ・・と
 
おすそ分けをする。
 
階下の赤ちゃんをちょっと預かってあげる。
 
お裁縫の得意な上の階の方に、裾直しを頼んでみる。
 
お隣の方にお醤油を切らしたからちょっと分けてと言われたから
 
少し分けて差し上げる。
 
 
 
このくらいの事で十分なのです。
 
これはちょっと前(50年くらい前)の方たちにとっては
 
普通の生活でした。
 
いまはいろいろと便利なもの(コンビニなど)があるから
 
そのような形のお付き合いがなくなりました。
 
便利な(と思っている)ものによって分離、孤立などが進んで
 
しまったのです。
 
テレビドラマなどによって大人数の家族は煩わしい、
 
隣近所の付き合いは煩わしいと思わされ、家族だけでの
 
(少人数での)生活が主となり何から何まで自分でやらなければ
 
いけなくなったのです。
 
そして、ちょっと誰かに頼みたいと思う時はお金が必要となり
 
気楽に頼むことが出来なくなってしまったのです。
 
だから、お金がないと何も出来ないと思うようになりました。
 
 
ちょっとずつ手を貸し合う生活・・そのくらいのスタンスで
 
まずは考えてください。
 
すごく大変なことをしなければいけないと思ってしまうから
 
一歩が出ないのです。
 
ちょっと手を貸し合うということが出来るようになれば、
 
そのうちお金を媒体としなくてもよくなります。
 
お金を使わなくても生活が出来るようになります。
 
 
ただ、すぐに出来るわけではないことは理解してくださいね。
 
少しずつです。
 
 
そして、じょうもんのような社会ということにこだわらないで
 
くださいね。
 
じょうもんのような生活と言っても、それは思考の事です。
 
考え方のことです。
 
いまのテクノロジーをすべてやめて自然の中で自給自足の
 
生活をしなければいけないなどと考える必要はありません。
 
 
先ほどもお伝えしましたように別に特別な環境を創る必要は
 
ないのです。
 
山奥でひっそりと暮らさなければいけないなどと考えないで
 
くださいね。
 
みんなが農業、林業、漁業などに従事しなければいけないと
 
いうことはないのです。
 
 
 
あなたの思考ひとつでどこにいても丸い社会(生活)を
 
創ることは出来るのです。
 
 
じょうもんの人たちのような思考、価値観を持ち、あなたの
 
思い描く新しい社会(生活)を創りだしてくださいということです。
 
 
じょうもんそのものの社会(生活)をいまのあなた達が
 
するのはムリです。
 
そこに執着してしまうと迷子になり、私にはムリですと
 
思ってしまいます。
 
じょうもんの人たちの生活はじょうもんの人たちの生活であって
 
あなたは別の新しく気持ちが良いと思う生活をしてください。
 
いまのテクノロジーを使って楽しく生活してください。
 
 
 
思考、価値観だけのことです。
 
場所は関係ありません。
 
あちこちで小さな社会(生活)が出来てくれば、大きな社会も
 
変わってきます。
 
いまのような巨大な社会ではなく、小さな社会の集まりになって
 
行きます。
 
社会がグルンとひっくり変えるのです。
 
大から小へです。
 
 
同じような考え方、価値観の方と一緒であれば、どこでも
 
丸い社会(生活)を創ることが出来ます。
 
ご理解いただけましたでしょうか?
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 

ありがとう、アシュタール!感謝します。

マイコメント

少しだけじょうもんの時代が求める社会の在り方がわかったのでは

ないのでしょうか?

竪穴式の住居を作り、そこで少人数で生活し、火を起こして(????)

なんて生活ではないということです。

まさか、いきなり縄文時代にタイムスリップしたような生活に戻る

なんてことは今の私たちには無理な話です。

中には自然に帰ろうという思想のもとに山間のふもとに土地を借り

志を同じくする人たちが集まり、農業を中心とした自給自足の生活を

始めた人たちもいたことはいます。

しかし、それもまた方向性が違うのでは・・・。

と、アシュタールやさくやさんが語っていたこともありました。

人が集まると、何が起こるのか?

それは規則です。

少人数とはいえ、一緒の生活をしていくのに次々とルールが生まれ

それが私たちの自由を奪っていきます。

朝7時に全員が起き、柔軟体操をした後で、食事やいろいろな雑務の

分担を行い、それが終わったころにまとまって食事を摂る。

これって今の生活をそのまま移行しただけで場所が変わっただけと

いうのがアシュタールやさくやさんが語っていたことです。

そういう規則づくめの生活をするならば、別にどこかに集まって

共同生活する必要はないんじゃないの・・・ということです。

別に規則なんか決めなくとも、互いに自由に好きなことをして互いに

干渉することがなければ規則は要らないということです。

互いに干渉しあう、つまり、あの人の行動が悪いとかいやとか

私はこれだけしているのにあの人は何もしていないという不満が

出てくるから、規則を作ろうという話になります。

それを互いに干渉せず、農作業をしたい人は農作業をし、何かの雑務が

特異な人はそれをやり、料理の上手い人が自ら食事登板をやるということです。

もし、そんなこともせずにただぶらぶらしていてもいいということです。

人はそもそも何もせずぶらぶらし続けることはできないので、必ず何か

やろうとします。それまで放っておけばいいことです。

それを「あの人が」ということになるので問題が生じます。

互いに自由でありながら干渉はしないけど助け合うというのが

じょうもん社会の考え方です。

それを現代に生かしていけばいいだけのことです。

じょうもん社会のようだったという江戸時代にしたって、江戸時代の

生活を止めてじょうもんのような洞穴生活になったわけではないと

いうことはわかると思います。

少し考え方が飛躍しすぎなのかもしれません。

じょうもん社会のような生活スタイルに戻らないとじょうもんの

ような生活になれないと思い込んでしまっているのかもしれません。

そこをよ~く考えてみてくださいということだと思います。



コメント

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