東京の繁華街を死角なくカバーする「防犯カメラ捜査」の知られざる実態
初動捜査の鍵は「防犯カメラ」
殺人など凶悪事件の解決に向け、鍵となるのが「初動捜査」。いま、その成否は防犯カメラの画像捜査に懸かっているとも言われる。
一方で、現場に出向いて情報収集する「地取り」と関係者に聞き込みする「鑑取り」など従来の手法の重要性は変わらない。早く、的確に犯人にたどり着くため、それらの手法をどう融合させるのか。それとともに、防犯カメラについては、社会に根強い「監視社会」への警戒感もあり、国民の理解が重要だ。
警視庁の防犯カメラの画像捜査が最初に大きく脚光を浴びたのは、2011年に起きたある殺人事件。複数の都県境をまたいだ犯人の移動経路を割り出して容疑者を特定し、解決した。これほど広範囲に及ぶ犯人の足跡をリレー捜査で解明したのは、初のケースとされる。捜査における防犯カメラの重要性を日本中の警察と社会が認識した事件とも言え、より初動捜査に力を入れるようになった刑事捜査の在り方に影響を与えたのは間違いない。
2011年1月10日午後4時すぎ、東京都目黒区の閑静な住宅街にある元会社役員(87)の自宅玄関チャイムが鳴った。元役員は、大手百貨店の配送だと告げられ、対応しようと玄関を開けると、男にいきなり刃物を突き付けられた。もみ合いになって元役員は胸や腹など数ヵ所を刺され、病院に運ばれたが出血性ショックで死亡した。
男は元役員の妻にも切り付け軽傷を負わせて逃走した。元役員は搬送時に「知らない男だった」と説明したが、男は悲鳴を聞いて駆けつけた通行人らに引き離された後も元役員に襲いかかるなど犯行が執拗なことから、一方的な恨みが動機で、「鑑」(顔見知り)の可能性があるとみられた。
事件当日に不審人物を特定
この日は成人の日で、捜査1課長だった若松敏弘が官舎から現場に到着したときには、鑑識活動とともに、「捜査支援分析センター(SSBC)」と捜査1課初動捜査班の合同チームによる防犯カメラの画像収集がすでに始まっていた。特別捜査本部が設置された重要事件なので、刑事部長だった高綱直良も自ら現場に駆けつける。合同チームはリレー捜査で夕暮れに消えた犯人に迫ろうとしていた。
現場近くに凶器とみられる刃物が捨てられており、合同チームの捜査員はその辺りから中目黒駅までの間の住宅街や商店街の防犯カメラの画像を一斉に調べた。ボストンバッグを持った不審なジャンパー姿の男の画像は、事件が発生した当日のうちに見つかった。
中目黒駅を出て住宅街を通り元役員宅の方向へ歩く姿が事件前の「前足」で、商店街を抜け中目黒駅へと入る姿が事件後の「後足」だった。ところが、後足で男の姿はいつまでたっても駅ホームに現れない。男はどこへ消えたのか。
実は後に判明するのだが、男は駅のトイレの個室に入って犯行時の服を着替え、そこに数時間にわたって身を隠してからタクシーで逃げていた。前足では駅ホームにいる姿が確認できたため、チームは後足を追跡するのではなく、前足をさかのぼることにした。男はどこから中目黒駅に来たのか。
「リレー捜査」を展開して容疑者を追跡
3週間後、高綱は警視庁6階の刑事部長室で、若松から容疑者とみられる男の写真を見せられた。JR東京駅日本橋口の高速バス降り場から駅改札に向かう男の写真だが、すぐにはどこに男が写っているのか分からなかった。「これです」と説明された写真の中の男の顔は米粒よりやや大きい程度で、高綱は「こんなのよく見つけたな」と感心したという。
この写真の画像が防犯カメラで撮られたのは事件発生日と同じ1月10日。男は福島県いわき市在住の60代で、発生時に目撃された犯人と特徴が一致した。どうやって突き止めたのか。
合同チームは集めた防犯カメラの画像を徹底解析し、中目黒駅から同心円状に周囲の駅へとリレー捜査を展開して男の前足をさかのぼった。中目黒駅の次に見つかったのは東京メトロ日比谷線の神谷町駅で、ホームの防犯カメラが電車内にいた男を捉えていた。
さらに、日比谷線には日比谷駅から乗っていたことが判明し、そこまではJR有楽町駅から地上を歩いて移動していた。有楽町駅までは東京駅からJR山手線を使ったことを確認。東京駅の防犯カメラをくまなく調べると、男は高速バス降り場でバスを降り、駅構内に入り改札へと向かっていた。ここで撮られた画像の写真が、高綱が若松から見せられたものだ。
凶器とみられる刃物を購入した姿も確認
前足をここまでたどるのに3週間かかったが、ここから急展開する。さらにリレー捜査で男はいわき市の高速バス乗り場から乗車していたことが分かり、捜査1課はすぐにバスの乗客リストから男の身元を同市の60代と特定した。男は事件前日に実名で乗車券を予約していた。
いわき市から高速バスで東京駅に到着して山手線で有楽町駅に移動し、そこから歩いて東京メトロの日比谷駅まで行き、日比谷線に乗って中目黒駅にたどり着いた事件当日の男の200キロに及ぶ移動経路を、合同チームはリレー捜査で完全に捉え、解明した。
男の身元を突き止めた捜査1課は、容疑者の行動を尾行や張り込みで観察する「行動確認」に入るとともにリレー捜査を続け、事件前日に男が自宅近くの量販店で刃物を購入している姿が写った画像にも到達した。
行動確認を開始して1週間ほどたった2月10日だった。男は昼ごろ、福島空港へ向かい、韓国へ渡航しようとする動きを見せる。男にはいわき市で暮らす家族とは別に韓国に住む女性との間に娘がいたといい、韓国・仁川国際空港行きの航空券を予約していた。
初動捜査の中核は防犯カメラに変わりつつある
捜査1課は急遽、空港近くにある福島県警の警察署に男を任意同行し、任意の取り調べを始めた。当初、否認していたが、リレー捜査で凶器購入の裏付けもあったため、夜になり逮捕に踏み切った。逮捕の時点では、「韓国にいる娘の入院費用が必要だった」と容疑を認めている。
高綱は事件を振り返り、「これほど時間的な長さ、空間的な広がりを膨大な防犯カメラの捜査でつないで逮捕に至ったのはこの事件が初めてだ。防犯カメラの画像をひたすら見続けて解析に当たった合同チームの執念に感服した」と、その意義を強調する。
若松も「防カメ捜査はこれほど大きな威力を発揮するのかと驚いた。防カメは監視社会との批判もあったが、この捜査で世の中に認められたかもしれない。初動捜査に大きく比重を置くきっかけになった」と言う。
殺人など強行犯の捜査本部事件は、発生後3週間で犯人につながる糸口が見つからないと長期化すると言われる。時間がたつと目撃者の記憶は薄れ社会の関心も低くなり、証拠も散逸する可能性が高くなる。初動捜査で捜査員を大量動員して解決への端緒をつかむのが定石だ。
初動捜査は、現場周辺で情報を集める「地取り」が長らく中心だったが、現在の中核は防犯カメラの画像捜査(防カメ捜査)だ。「DNA型」「指紋」と並び捜査における“三種の神器”とされる。防犯カメラの設置密度の飛躍的な高まりを受け、画像捜査が果たす役割の大きさは計り知れない。
23区内すべての繁華街に“死角なし”で設置
警視庁は2009年4月、データの収集や解析を一元的に行う捜査支援分析センターを全国に先駆けて発足させた。防犯カメラの記憶媒体の性能向上に呼応するように、センターの防カメ捜査も進化し、そのノウハウは警視庁全体に浸透していった。
目黒区の殺人事件が起きた2011年の8月に警視総監に就任した樋口建史は捜査の効率化と強化のため、防犯カメラの設置促進とDNA型の資料採取を全庁的に推進した。
署長会議のたびに、防犯カメラが各警察署管内の街角、駅、商業施設のどこに設置されているのかをくまなく調べて地図に落とすよう求めた。さらに管内の地図でカメラが射程に捉えているエリアを斜線でつぶし、白地で残った地域をカバーするため都庁や区役所、商店会にカメラの設置を要請するよう指示した。
樋口が退任後の2018年に警視庁に確認すると、23区内の繁華街は防犯カメラの死角が解消されていたという。
防犯カメラのリレー捜査は、事件が発生すると付近の防犯カメラの画像で疑わしい人物や車両を特定した上で、同じ人物や車が写っていないかさらに周辺のカメラをチェックして逃走方向を絞り込み、追跡していく。
犯人が駅に入れば構内カメラでいくらの乗車券を買ったかが分かるため、次にその乗車券で行ける範囲にある駅の改札のカメラを調べる。写っていれば容疑者の自宅の最寄り駅の可能性があるため、現れるのを待ち構えて職務質問するという流れが一例だ。防犯カメラの設置密度が高い都市部では、確実に犯人に迫ることができる。
元オウム信者の逮捕でも活躍
一方、防犯カメラは善良な市民のプライバシーにも関わるとの懸念の声があり、慎重論も根強かった。犯罪捜査とプライバシー保護や通信の秘密との兼ね合いは常に課題となる。樋口も「人権の抑制を伴う対策の必要性は国民の理解が不可欠。国民の理解と協力がなければ実効性は上がらない。世論を醸成するための努力が非常に重要だ」と慎重論にも理解を示す。
その上で、警視総監だった2012年6月に潜伏していた元オウム真理教信者の高橋克也受刑者を逮捕できたことを例示し、「防犯カメラの画像をリアルタイムで公開したことが大きい。国民の関心が高く、最後は漫画喫茶の店員の通報が決め手となった。防犯カメラが広く受け入れられるきっかけとなり、世論の流れが変わったと感じた」と話す。
警視庁の重要犯罪(殺人、強盗、放火、強制性交等、略取誘拐・人身売買、強制わいせつ)の検挙率は2010年の63.4%からほぼ毎年、数ポイント単位で上昇を続け、21年はついに100%を超えた。この年の重要犯罪の認知件数は1223件で、数字上はこのすべてを摘発してさらに過去の事件も解決したことになる。
東京の重要犯罪はすべて解決されている
全刑法犯の1割以上が集中して発生する首都・東京において、1000件を超える重要犯罪をすべて解決するのは驚異的と言える。警視庁の元刑事部長で現警察庁長官の露木康浩は「防カメ捜査に由来する」と断言する。単に犯人に到達するだけではない。「とにかく早い」と胸を張る。
犯人が被害者や現場と面識も縁もない「流し」の場合、犯人と被害者に接点がないため地取りや聞き込みでたどるしかなく、捜査は困難となり検挙率も低かったが、現在、都市部では防犯カメラやドライブレコーダーに何らかの犯人の痕跡が残っている可能性が非常に高く、流しの犯行でも早期検挙が可能になった。
全国の警察が防犯カメラの重要性を認識した目黒区の事件で、逮捕された男は「金目当てに高級住宅地だから襲った」と供述した。テレビでたまたま目黒区の住宅街に豪邸があるのを見たのが犯行場所に選んだきっかけだった。
「流し中の流し」(捜査関係者)の犯行で、しかも遠隔地に住んでいた。若松は「防犯カメラでたどれなかったら、いまだに捜査を続けていたかもしれない」と推測する。
ただ見逃せないのは捜査の過程で伝統的な手法も徹底されていた点だ。若松はリレー捜査に加え、地取りや鑑取り、見つかった刃物の流通経路の捜査などを尽くすように指示していた。
従来の操作方法も重要性を失っていない
発生から1週間ぐらいたったころ、地取り班の捜査員から「事件当日、現場近くで犬の散歩をしていた女性が男に『うちのダックスフントはトマトを食べますよ』と話しかけられていた」との情報が上がっていた。いわき市の男の身元が割れた後、行動確認していた内偵班からは「家にダックスフントがいます。トマトをかじっています」との報告があった。地取りのネタは「裏取り」の結果、有力な状況証拠となった。
犯行の形態から当初、捜査幹部らのこの事件に対する見立ては「鑑」の線が強かったが、発生から2週間ぐらいたったころ、捜査本部に入っていた管理官が「流しかもしれない」と若松に進言している。
被害者の周りに事件につながるようなトラブルが見当たらなかったためだが、ここからリレー捜査をより中心にすえる捜査方針が決まった。その後、東京駅での男の前足が見つかり、身元特定へと捜査は一気に進展する。
管理官は豊富な経験に基づいて「流し」の可能性を指摘し、それが事件解決に寄与したと言える。ベテラン捜査官の経験に基づく推察は、捜査の局面を変える大きな武器になることがある。
実はリレー捜査でも、従来の捜査手法は必要不可欠な武器となっている。カメラの追跡で犯人画像が途切れれば、聞き込み捜査にシフトして目撃者を捜し、その繰り返しで犯人を追い詰める。若松は「伝統の手法の上に立った初動があくまで基本。それをおろそかにした捜査などない」と強調した。
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