今年の夏、全国のスーパーの棚からコメが消えた。

 新米が出回り始めた後も米価の高騰は続き、コメ作りの現場は活況を呈しているかと思いきや、違う景色が広がっていた。

 12月上旬、秋田県中部の山あいの地域では日本海からの強い季節風が吹き付けていた。あぜ道を歩く五城目町の沢田石俊行さん(75)は背丈を超える雑草が伸びた自身の田んぼを指さし、「コメはもうからないんだ」とつぶやいた。一帯で4ヘクタールの田んぼを持つが、もう4年も耕していない。

 この夏、一時的な需給バランスの崩れから、コメは品薄状態となった。「令和の米騒動」と呼ばれ、その後も米価は高止まりし、JA全農あきたが農家に払うあきたこまち1等米の1俵(60キログラム)の当初の前払い金は1万6800円と、昨年より4700円高かった。ただ、沢田石さんは「値上がりではない。やっともうけが出るようになっただけだ」と話す。

 コメ作りを始めたのは約20年前、55歳の時だ。県庁を早期退職し、父親の代から続く田んぼに、競売などで買った農地を加え、多い時は20ヘクタールを耕した。当時、あきたこまち1俵の価格は1万5千円を超え、「JAに表彰されたこともあり、将来性もあり、やりがいもあった」

 ただ、その後は続落し、2014年には最低の8500円となり、作付けを減らすようになった。農家にとって、現在の生産コストは1俵あたり1万6千円とされ、コメ農家の約6割は赤字との農林水産省のデータもある。沢田石さんは「はじめの頃は、息子が手伝っていたが、将来性がないので継がせるわけにはいかない」と話す。

■「米騒動はコメ不足時代を告げる序章」

 五城目町に隣接する大潟村は、国策で国内で2番目の広さの八郎潟を干拓し、60年前に誕生した。大規模機械化農業のモデルとされ、500戸がコメ作りをする。

 ただ、東京ドーム4個分近い広さの田んぼで営農する今野茂樹さん(70)の表情は浮かない。高額な機材の更新で、一時やめようかと悩み、娘から「もう少し頑張ってみては」と励まされ、続けるが、「今年の米騒動はコメ不足時代を告げる序章ではないか」と心配する。

 根拠とするのが、コメの収穫量だ。2020年の主食用米は722万トンで、23年は661万トンと1割近く減った。農家が減る中、インバウンドなど急な需要増に、すぐに対応できる力は現場に残っていない。国は農業の法人化や大規模化で効率化を求めるが、今野さんは「日本の農地の4割は中山間地などの条件不利地。簡単に効率化できない」と話す。

■「コメ価格上昇、物価高考えれば不十分」

 大潟村から南に約200キロ離れた山形県長井市の菅野芳秀さん(75)は家族経営で約5ヘクタールの田んぼでコメを作る。長年使っていた穀物乾燥機が故障し、買い替えに約200万円必要で、40代の長男から「農業をやめていいか」と相談された。

 費用は何とか工面したが、先行きは見えない。農水省によると、日本の農家の平均年齢は68.7歳。10年ほど前には30戸以上あった周辺の農家は10戸を切った。このままではコメ作りのために必要な水を引くための水路を維持するのもままならなくなる。

 菅野さんは言う。「コメの値段は上がったが、物価の上昇を考えればそれでもまだ不十分だ。高齢化も進む。暮らせないのだから、コメ作りを農家がやめるのは当然だ」(座小田英史、山田暢史)