じつは「脳だけコピー」してもムリだった…ヒトの意識は「からだ」がなければ、「そもそも生じない」という驚愕の事実
脳は、感覚系あるいは神経系などからの絶え間ないインプットがなければ、意識を保てない構造になっている
電子化して不老不死となった脳、意識をデータ化して取り出せる脳、記憶が書き換えられる脳、眠らなくてもよい脳、「心」をもった人工知能。SF作品において「脳」は定番のテーマであり、作家たちはもてる想像力を駆使して、科学技術が進んだ未来の「脳」の姿を描いてきました。
SF作品に描かれてきた、それらの「脳」は、本当に実現する可能性があるのでしょうか?
脳の覚醒にかかわるオレキシンや、「人工冬眠」を引き起こすニューロンを発見した神経科学者で、大のSFファンでもある著者が、古今の名作に描かれた「SF脳」の実現性を大真面目に検証する『SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか』。注目の本書から、興味深いトピックをご紹介します。
今回は、意識がいかに複雑で、その複雑な情報を処理する「リアル脳の高度な機能」を、さらに深く検証していきます。はたして、脳の電子デバイス化は、ありうる未来なのでしょうか。
*本記事は、『SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
物理的な身体の必要性
「意識を機械に転送する」というと、どこかの部屋に固定された計算機の中で生きつづけることを想像する方も多いだろう。コンピュータに意識を移したのであれば、コンピュータ内に広がっているヴァーチャルリアリティ世界に生きればよい、という極端な考え方をする人もいるかもしれない。
しかし、動物というものは動くことで、自分の周辺にあるリアルワールドの情報を収集していくのが本来の姿であり、そうする本能をもっているものだ。やはり私たちは、この世界のあり方を動いて理解したいのだ。
脳は運動系を介して体を動かしているだけではなく、運動系からのフィードバックも受けている。また、脳は自律神経系や内分泌系を介して全身の機能を制御しているが、脳や精神の機能も、自律神経系や内分泌系からきわめて大きな影響を受けている。
このようなフィードバックを介した身体の情報は、意識にものぼる。「胸がときめく」「はらわたが煮えくり返る」「手に汗を握る」などの表現は、それをよく表している。
そして気分は、全身の状態の影響を強く受けている。有機的な身体と接続していないということは、体験がもとになって起こる身体の変化を体験できないということだ。心臓がなければ胸のときめきもないし、手がないなら汗を握りようがない。涙腺がなければ泣くこともできないし、内分泌器官がなければアドレナリンやコルチゾールなどの血液中のホルモン変化も起こらない。
![【写真】気分は、全身の状態の影響を強く受けている](https://d427pe4yuoaj6.cloudfront.net/yuxzf2ao8oy3uye7os1fy953.jpg)
だから、生体の脳の機能を完全に模倣できる機械をつくるには、このような身体の変化までシミュレートして、それがどう精神活動に影響を与えるかを演算することも必要になってくる。そのためには、ロボットのような物理的な身体を与えるほうが、本来の脳の機能により近づくことができる。脳とは本来、感覚系からきた外界の情報を処理する装置ともいえるのだ。
脳は、それだけでは機能し得ない
私たちは「自分の体」を動かし、「自分の体」で見て、聞いて、触れて、感じることによってこそ、世界を生き生きと認知することができるのである。
実際に、生きている脳も、身体から切り離されると覚醒状態や意識を失い、ノンレム睡眠に似た状態になる。覚醒の維持には、脳幹を中心とした下位構造から大脳皮質に向けての絶え間ないインプットが必要なのだ。
たとえば脳だけを身体から取り出したあと、感覚系からの入力がなくなると、覚醒は保てない。エール大学のグループは、ブタの脳を取り出して生かすという実験を行ったが、ニューロンは生きていても、意識や覚醒を保つために必要な統制のとれた脳活動は観察できなかった*。
つまり脳は、感覚系あるいは神経系などからの絶え間ないインプットがなければ、意識を保てない構造になっている。機械の中に転送されて生きる意識も、人間的な人格まで保持するためには、物理的な身体や、そうでなければ少なくともヴァーチャルリアリティによって、外界の情報やイメージをインプットするシステムが必要だろう。
ときどきSFには、身体から切り離された脳だけが、培養液のようなものの中で生きつづけていて、精神活動も行っているという設定がみられるが、この場合も同様に、身体がないことにより脳の活動は本来のものとは大きく異なるものになるだろう。
![【写真】身体から切り離された脳では、本来の活動とは大きく異なるだろう](https://d427pe4yuoaj6.cloudfront.net/sl45g9az1m8oav9knnze0vdg.jpg)
脳は一つの臓器のように思われがちだが、脊髄と一体となって中枢神経系をつくっていて、脊髄を介して、あるいは直接、多くの末梢神経系にも接続している。そうした神経系のすべてが、さらにはその神経系に接続する全身の組織も含めた生命体が、一体のシステムとなって機能しているのだ。
最も難しいハードル
コンピュータやAIの技術がさらに進歩すれば、いつかは、脳の各部の機能をそなえた電子デバイスを並列に駆動することで脳を模倣した、情報処理システムをつくれるかもしれない。
ロボットのような身体にさまざまなセンサーを装備し、それらから得られた情報をシステムに入力し、電子頭脳からの出力をロボットのアクチュエーターに送ることで、生体の脳と同じように機能するメカニズムをもった「意識」をつくることも、夢ではないかもしれない。
しかし、こうしたことが可能になり、そのようにしてつくられた「脳」が仮に人格をもつに至ったとしても、それはヒトが生みだしたメカニズムに由来する、独自の新たな人格だろう。
![【写真】脳が仮に人格をもつに至ったとしても、それは独自の新たな人格だろう](https://d427pe4yuoaj6.cloudfront.net/r1ecj06nv6n6d7y1wocmc54y.jpg)
人格をもつロボットがつくれればそれだけでも大変なことではあるが、すでに固有の人生を歩んでいる私たちの脳の機能をその装置に転送し、生身の私たちと同じように世界を感じ、みずから思考し、行動できるようにするには、つまり個人の人格が機械の中で半永久的に生きられるようにするには、さらなる、そしておそらく最も難しいハードルがある。これを越えられないかぎり、「私が私である」という自我を機械に移植することは不可能だろう。
それは、脳ではどのような情報処理が行われているか、そしてどのように情報が「記憶」として蓄えられているかを、正確に読みとることである。
ヒトの大脳皮質の情報処理機構は、いまだにほとんど解明されていない。それを正確に読みとるには、神経科学の革命的な進歩が必要だ。しかし、生体の情報処理機構と、コンピュータの情報処理機構はまったく異なる原理を使っている。
以前の記事でも述べたように、ニューロンや、ニューロンの集合したモジュールであるカラムの作動原理を理解し、そこで行われている情報処理を外部から読みとる方法が確立されなくては、脳から情報を読み出すのは難しい。
冒頭の作品から……
意識(精神)のデータ化・デバイスへの転送を描いた作品たち。
ポールはうなり声をあげながら、体を床におろした。
(わたしは、〈コピー〉なのだ)
どんなに記憶が継続していようとも、自分は“もはや”人間ではない。
グレッグ・イーガン『順列都市』(1994年)
本テーマ初回で、オーストラリアのSF作家グレッグ・イーガンが1994年に著した『順列都市』(原題 Permutation City)をあげたが、それ以外にも、精神転送を扱った作品は多い。
同じグレッグ・イーガンの『ディアスポラ』にも、同じような「コピー」という技術が出てくるし、先の記事でもふれた『攻殻機動隊』でも、人間の意識をネット上に転送するというテーマが扱われている。全世界で大ヒットした映画『マトリックス』(1999年)も、仮想空間でのイベントが題材だ。リチャード・モーガンの『オルタード・カーボン』(2005年)も、人間の意識がデジタル化され、身体を交換することで死を超越した27世紀の未来を描いている。
これ以外にも興味深い作品があるが、詳細は本書『SF脳とリアル脳』を読んでほしい。
*参考:Vrselja Z, Daniele SG, Silbereis J, Talpo F, Morozov YM, Sousa AMM, Tanaka BS, Skarica M, Pletikos M, Kaur N, Zhuang ZW, Liu Z, Alkawadri R, Sinusas AJ, Latham SR, Waxman SG, Sestan N(2019), Restoration of brain circulation and cellular functions hours post-mortem. Nat 2019 5687752 568:336-343 Available at: https://www.nature.com/articles/s41586-019-1099-1[Accessed August 2, 2024]
神経科学者として、脳の覚醒にかかわるオレキシンや、「人工冬眠」を引き起こすニューロンを発見する一方で、大のSFファンでもある著者が、古今の名作に描かれた「SF脳」の実現性を大真面目に検証! そこから、私たちの「リアル脳」の限界と、思いもよらなかった可能性が見えてくる!
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