JR中央・総武線各駅停車の運転業務を担当する「中野統括センター中野南乗務ユニット(以下、中野)」で続発した奇妙な出来事が話題になっている。2024年7月に東京新聞、2025年1月に朝日新聞が報じたところによれば、運転士に突発的な体調不良が相次ぎ、途中駅での運転士交代、居眠り、オーバーランなどのトラブルが2021年から2024年にかけて、計40件以上も発生したというのである。

JR東日本輸送サービス労働組合東京地方本部(以下、サービス労組)に話を聞くと、代表的な「症例」は、「本人に体調不良の自覚がない」「意識がもうろうとする」「視界がぼやける」「運転中の速度感が鈍る」「後日聞き取りを行っても記憶が曖昧、もしくは欠落している」といったもの。

乗務員詰所などで様子を見た周囲からも「会話はできるが、どこか噛み合わない」とか「目がうつろだった」といった証言があるそうだ。

直ちに事故に直結することはないが…

中央・総武線各駅停車にはもうひとつ「津田沼統括センター乗務ユニット(以下、津田沼)」が存在するが、こちらではそのようなトラブルは発生していないことから、運転士の間では旧職場名「中野電車区」に由来する「中電病(なかでんびょう)」と呼ばれている。

いかにもマスコミ受けする話であり、朝日新聞の報道以降、再度注目された格好だ(言うまでもなく本稿もそのひとつである)。

もちろん実際に何らかの病気がまん延しているわけではないし、中野の運転士のみ技量や心構えが著しく欠けているわけでもない。

中央・総武線は「ATS-P」という速度超過や信号無視を自動ブレーキで防止する信号保安システムが用いられており、トラブルが直ちに事故に直結することはないが、安全・安定輸送を脅かしかねない異常事態であることは間違いない。

なぜこのような事態になったのか。サービス労組担当者によれば、「さすがにおかしい」と考えて会社に対策を申し入れたのが2023年頃。団体交渉を経て2024年夏ごろから本格的な調査が始まったという。

意識がもうろうとする症状から、職場の水道やポットの水質、あるいは詰所や寝室の空気成分に眠気を誘発する物質が含まれているのではないかという疑惑が浮上し、昨年夏に職場内の水道水質検査、空気成分の測定など科学的な調査を行ったが、いずれも問題は認められなかった。

前述の通り、同じ路線を担当する津田沼に問題がないため、車両や駅、沿線など共通の環境は無関係だ。

ベテランから若手まで幅広い世代で「発症」

そうなると次に疑われるのが人的要因だ。近年、JR東日本は「乗務員勤務制度改正」や「職場・職種転換制度(ジョブローテーション)」を進めており、職場の働き方が大きく変わりつつある。

サービス労組はこれらの環境変化の影響を指摘するが、津田沼や他路線で同様の問題が起きていない以上、「中電病」の原因としては説得力に欠ける。

中野特有の条件で考えられるとすれば、事象が始まった3年前に着任した管理職など特定の人物に問題があり、「職場の空気」が著しく悪化した可能性だ。だがサービス労組に聞くと、中野統括センターでパワハラ通報があった事実はあるが、「中電病」との関連性は薄いと認識しているという。

体調不良の発症者は20年以上のベテランから1~2年程度の若手まで幅広い年代で発生しており、その他、年齢、性別、当日の乗務行路(どの列車を担当するかを定めたシフト)、発生区間、時間、車種、さらにはコロナ罹患(りかん)やワクチン接種歴、組合加入の有無にも共通点がないそうだ。

こうなるとお手上げで、ついには中野統括センター構内にある古井戸のお祓(はら)いまで実施された。お祓いというとあまりに非科学的に感じるかもしれないが、鉄道では職場に神棚を設け、年初などに安全祈願の祈祷を行うことは珍しくない。

環境的要因、人的要因のどちらでもないとすれば、「中電病」は同じ職場で働く人々の「不安」が共鳴して、思い込みが重なることで作り出された現象だった可能性もある。

祈祷は目に見えない不安を打ち消したいとの狙いだったと思われるが、その後も体調不良は止まなかった。

JR東日本「事態は収束」、労組「収束したとは断言できない」

労働環境をめぐる会社と組合の協議では、そもそもの現状認識に隔たりがあることがしばしばだ。

特にJR東日本では2018年以降、労働組合から脱退者が相次ぎ、2023年度末時点の組合加入率が15%弱という異常状態にある。ところが「中電病」をめぐっては、会社とサービス労組が調査結果を共有した上で、原因不明という結論で一致しているのである。

このミステリーをさらに深めたのが、2024年10月以降、同様の事象が突如、発生しなくなったという結末だ(JR東日本や各種報道は「11月以降発生していない」としているが、サービス労組によれば11月に発生した2件は「通常の体調不良」との認識だという)。

JR東日本は調査と並行して、ロッカールームや寝室のリニューアル工事など環境整備改善に着手してきたこともあり、「原因は不明だが、事態は収束した」との立場をとる一方、サービス労組は「原因がわからない以上、収束したとは断言できない」として、会社側にさらなる対応を求めている。

科学的な調査で解明できない、ある意味では「オカルト」としか言いようがない事象に、企業はどこまで対処すべきなのだろうか。

労働問題に詳しいベリーベスト法律事務所の松井剛弁護士は「合理的・科学的な対応では原因がわからない事象をめぐり、従業員と企業の間で争われた事例」は知る限り存在しないと述べる。

松井弁護士は「前提として、会社は労働者に対して安全配慮義務を負っており、これを怠ると損害賠償責任を負う可能性がある」とした上で、「会社が安全配慮義務違反を問われるかどうかは、合理的に会社としてどうすべきだったかによって判断される」とする。

その上で今回のケースは、「原因が不明であるため、『○○が危ないからこうしなければならない』という具体的な対策を講じることができない」として、「合理的な調査を尽くした結果、原因が不明であった場合には、それ以上会社が講じ得る手段はない。法的に見ても、それ以上とるべき義務はない」と指摘する。

とはいえ運転士が不安を抱えたまま乗務するのは望ましいことではない。

会社の対応に限界があるとしても、明確な原因がわからず、ただ事象が収束しただけでは、職場の不安が払拭(ふっしょく)されないのもまた事実だ。

会社も組合も個々の社員も、安全・安定輸送を実現したいという思いは一緒だが、その認識や方法の行き違いで、さらなる不安と不信が生まれては意味がない。

「中電病」のワクチンがあるとすれば、運転士が抱く「不安の芽」に会社と職場が一体となって、早期に対応するという相互の信頼関係なのではないだろうか。