1929年と同じ「木曜日から始まった」大暴落で、週明けの月曜と火曜の事態を見守る2025年

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世紀の大暴落再び 政治・経済

1929年と同じ「木曜日から始まった」大暴落で、週明けの月曜と火曜の事態を見守る2025年

週明けの月曜日と火曜日が要注意日。もし続落すればその流れをせき止めることは困難になるかもしれない。

暗黒の木曜から暗黒の火曜日まで

まあ、世界中の株価が急落しているわけですが、下がっているのは株価だけではなく、商品なんかも同じで、4月4日には、エネルギーや金や銀や銅なども暴落と呼ぶことのできるような下落を見せました。

4月4日の貴金属関係の商品相場

tradingeconomics.com

「これからどうなるのか」ということについては、いろいろな見方があると思いますが、米マーケット・ウオッチが、

「史上最大の株式市場暴落からの教訓」

というタイトルの記事を、今日アップしていました。

この史上最大の株式市場暴落というのは、1929年10月の株価大暴落のことで、これを契機として、世界は恐慌に突き進んでいくのですけれど、「今回はどうなのか?」という話となります。

もちろん、先はわかりようがないのですが、一般的な見解では、「これは一時的なもので、すぐに株価は回復する」というものも多く目にします。

アメリカのトランプ氏を支持する投資や経済の専門家なども、「この痛みは一時的なもので、結局、米国は強く浮上する」というような論調が多くて、まあ…とにかく、トランプ支持者たちの「信仰」は強く、どんな政策が発表されても、「結果的には米国を繁栄させる方向に進んでいく」と確信しているようです。

 

それはどうなのか私にはわかりませんが(場合によっては、あまり興味もないですが)、ただ、今回の株価の急落と 1929年には、妙な共通点があります。

それは、「 1929年も、木曜日に下落が始まった」ということです。そして、

「翌週の火曜日に下落のマックスに達した」

のでした。

ウォール街大暴落 – Wikipedia にも以下のようにあります。

この株式の崩壊を表すために、「ブラックサーズデー」、続いて「ブラックフライデー」、「ブラックマンデー」および「ブラックチューズデー」の4つの段階が通常使われている。

大暴落は1日の出来事ではなかったため、この4つの定義はすべて適切である。

最初の暴落は1929年10月24日(木曜日)に起こったが、壊滅的な下落は10月28日(月曜日)と10月29日(火曜日)に起こり、アメリカ合衆国と世界に広がる前例のない、また長期にわたる経済不況の警鐘と始まりに急展開した。株価大暴落は1か月間続いた。


2025年の今回も、木曜日に下落が始まり、トランプ氏の関税政策が発表された後の金曜日(4月4日)には、さらに米国の株価指数の下落が激しくなり、そして、今日の土曜日と明日の日曜日の取引のない時期を過ごしているのが今です。

来週の月曜、火曜と「仮に」また下落していくことがあるのなら、1929年とわりと近い形とになるのかもしれません。

なお、大暴落の 1929年の時には、「平均株価が暴落前に戻ったのは、1954年だった」ということがあります。つまり、25年間、株価が戻ることはなかったようです(個別の株はそんなことはなかったでしょうが)。

実際のところは、株価がいくら下落しても、そのことだけなら、株を持っている人や、株と関係している人たちだけへの影響となるのですが、1929年のときは、たとえば、今回ご紹介するマーケット・ウォッチに以下のような部分がありますように「時間と共にほぼすべての国や人に影響が出てくる」ということが懸念なのだと思います。

マーケット・ウォッチより

この暴落は、さらにもっとひどい事態、つまり大恐慌を引き起こした。

ヨーロッパから日本、南米に至るまで、あらゆる場所で10年にわたる経済低迷が感じられた。その打撃は誰に対しても差別はなかった。


当時と今では経済の体制が異なりますから、こんなことになることはないのでしょうけれど、少なくとも「 1929年にはそうなった」と。

なお、この 1929年の大暴落については、以前、NHK 映像の世紀の「大恐慌 欲望と破滅の1929年」で、わりと詳しく伝えられているのを偶然見たことがあります。2022年10月放映とありますね。

いずれにしても、マーケット・ウォッチの記事は、なかなか参考になるものでもありますので、ご紹介させていただきます。



史上最大の株式市場暴落からの教訓:事態はさらに悪化する可能性がある

A Lesson From the Biggest Stock Market Crash in History: Things Can Get Much Worse
marketwatch.com 2025/04/04

ドナルド・トランプ大統領の「解放記念日」関税発表後の(株の)売りは、どの基準で見ても大規模なもので、ブラック・サースデーとブラックフライデーといえるものだった。これに続いて、来週、ブラックマンデーとブラックチューズデーが来れば、誰もが困ったことになる。

1929年10月、暗黒の木曜日に苦しんだトレーダーたちは、新しい週に何が起こるかを考える週末を過ごした。その結果は惨事だった。

市場は月曜日の取引開始のベルから急落した。売りは火曜日遅くに一時的に止まったが、それは何よりも疲労によるものだった。ブラックマンデーとブラックチューズデーは、2日間で市場価値の約 4分の1を消失させた。

 

これが大暴落の劇的な始まりとなり、 ダウ工業株 30種平均は、株式ブローカーから作家に転身したフレッド・シュウェッド・ジュニア氏の、彼の古典的な市場研究『顧客のヨットはどこにあるのか?』の中で、3年でその価値の 90%を失うことは「我が国の歴史上起こったことと同じくらい鮮明で、悲劇的で、劇的な出来事だ」と書いている。

この暴落は、さらにもっとひどい事態、つまり大恐慌を引き起こした。ヨーロッパから日本、南米に至るまで、あらゆる場所で 10年にわたる経済低迷が感じられた。その打撃は誰に対しても差別はなかった。

「暴落は信用取引で普通株を買った人々に打撃を与えた」とシュウェッド氏は書いている。「その後の不況は、当時生きていたほぼ全員、そしてまだ生まれていなかった人々にも打撃を与えた」

悲惨な状況が広がるにつれ、各国は、すでに高かった貿易障壁をさらに引き上げて国内産業を保護する対応をとった。

1930年のスムート・ホーリー法により、米国の関税は 1909年以来、現在に至るまで最高水準にまで引き上げられた。

(※ 訳者注)スムート・ホーリー法とは以下のようなものです。

1930年に米国のフーバー政権下で成立した関税法。1929年に始まった大恐慌の際、国内産業保護のため農作物など 2万品目の輸入関税を平均 50パーセント引き上げた。報復措置として多くの国が米国商品に高い関税をかけたため、世界貿易が停滞。恐慌を深刻化させたとされる。 デジタル大辞泉


今日、スムート・ホーリー法を直接覚えているトレーダーはほとんどいないだろう。しかし、関税が報復的な貿易戦争を引き起こし、それが不況を深刻化させ、第二次世界大戦前の敵対行為の一因となったと非難されたことを経済学の教科書で覚えているトレーダーは多いようだ。

今日のトレーダーたちは、1929年と同様に、月曜日に何が起こるのかを考えているかもしれない。

「株式パニックで数百万ドルの損失、『暗黒の木曜日』で主要銘柄が記録的安値に」は、1929年10月25日金曜日、イリノイ州ディケーターのヘラルド紙の、52人が死亡したフェリー事故のニュースの上に載ったトップ記事だった。

当時、株価は 1920年代初めから着実に上昇し、永遠に上昇し続けると多くの人が考えていたため、この下落は衝撃的だった。

暴落のわずか 1週間前、経済学者のアーヴィング・フィッシャー氏は、株価が「永久に高い水準にとどまるように見える」と宣言した。

それは一種の米国例外主義に対する共通の信念であり、記録的な 1290万株が取引された猛烈な株価暴落によってそれが試された。

木曜日の朝遅く、国内の主要銀行の頭取らが JPモルガンに集まり、 JPモルガンに救済措置を手配するよう要請した。

ウォールストリート・ジャーナル紙は、「膨大な清算の波」を阻止するために、10億ドルもの資金が「市場に投入された」と報じた。一部の関係者は「これで真の回復が続くはずだ」と信じていた。

ダウ平均株価は金曜日に上昇し、市場が木曜日の調整後に軌道に戻ったとの見方を強めた。その後、工業株 30種平均は、依然として通常通りの土曜日の半日取引で再び下落した。

バロンズ誌の 「ザ・トレーダー」コラムを執筆しているハリス・J・ネルソン氏は、早期の(株価の)復活に疑問を投げかけた。

「 5年間にわたる乱暴な投機の後遺症は悲惨な光景であり、購買力の回復が遅いことを意味するだけだ」と彼は 1929年10月28日号で書いた。

そして、月曜日の朝の取引開始はネルソン氏の予想が正しかったことを証明した。

追証に応じるために売る人もいれば、損失を抑えるために売る人もいたが、売りを止めることはできなかった。

JPモルガンは救済を試みなかった。ダウ平均株価は 12.82%下落し、下落幅としては当時の 1日の最高値となった。

火曜日には売り狂いが加速し、1600万株以上が取引され、ダウ平均株価はさらに 11.73%急落した。

「パニックに陥った国民が最悪のセッションを引き起こす」と、ニュージャージー州アトランティックシティ・プレス紙は 10月30日水曜日に報じた。

誰もが心配していたわけではない。経済学者のフィッシャー氏は依然として、この暴落は単に「株価の新たな高原における極端な変動を表しているに過ぎない」と主張していた。

木曜日、フーバー大統領はついに声明を発表し、スムート・ホーリー関税法案の可決を促した。

「経済状況の変化により支援が必要な農業や産業には十分な保護が与えられるべきだ」とフーバー氏は述べた。

フーバー氏はトランプ大統領同様、常に関税政策にこだわる人物であり、1920年代がまだ好景気だったころからスムート・ホーリー法の導入を推し進めていた。そして、関税を不況の特効薬とみなしていた。

国際的な反応は迅速だった。

「多くの諸国が(新たな関税法案により)深刻な打撃を受けたが、アメリカの輸出貿易にも同様に大きな打撃を与えた」とバロンズ誌は 1932年の分析で述べ、この行為は「非常に深刻な結果をもたらした」と結論付けた。

その結果、フーバー大統領は 1932年にフランクリン・ルーズベルト氏に選挙で大敗し、ルーズベルト大統領は 1934年にスムート・ホーリー法の廃止に貢献した。

被害はすでに出ていた。

1929年から 1934年にかけて、米国の輸出入は減少し、世界貿易は 3分の 2も減少し、世界的に不況が深刻化した。

この貿易戦争はヨーロッパ、アジア、アフリカで武力紛争を引き起こした。関税が経済手段として使われなくなったのは、第二次世界大戦後になってからだった。

トランプ大統領は解放記念日の発表で、低関税が実は大恐慌を引き起こしたと主張し、まったく異なる見解を示した。

「もし高関税政策を維持していたら、大恐慌は決して起こらなかっただろう」と同氏は語った。

トランプ氏の物語における本当の悪役は、1913年の民主党議会であり、同議会は「人類に知られていない理由により」恒久的な所得税を制定した。

所得税は当初から累進課税で、1,000ドルを超えると 1%、50万ドルを超えると 6%の課税となり、最も裕福な納税者に最も重い負担が課せられた。

消費税は関税と同様に逆進課税で、支出額に対して全員に同じ税率を課し、所得分布の中間層と下位層に税負担を転嫁した。

おそらく、今回のブラックサーズデーは、JD・ヴァンス副大統領が言ったように「単なる悪い 1日」だったのかもしれない。あるいは、ブラックフライデーを含めると、これから好景気がやってくる前の 2日間だったのかもしれない。

いずれにせよ、トランプ大統領は関税が不況を遠ざけるという自身の理論を試す機会を得ている。

月曜日の朝にお会いしましょう。

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