世にも不思議なフツーの話「アシュタール:他人の不幸は蜜の味??」
ミナミさん「悲しい感情も楽しいのです」への質問から
「悲しい感情も楽しいのです。」の記事についてご質問を
いただきましたぁ~~^0^
コメントさせていただきます^ ^
悲しみを楽しむことは、私にもありますが、
他人の不幸は蜜の味、と言うように、
例えば、誰かが口論や喧嘩をしているのを目撃したり、
誰かが血を流して倒れていたり、動物が轢かれて死んでいたり.
そう言う場面の、感情も楽しむと言う事なのでしょうか、、、?
家族や友達が、とても不幸な目にあって、話を聞いていて、
泣いてしまった自分を、素敵!だと思ったり、
こんな感情を味わえて楽しいと思う自分は、最低なのでは、、、?
と、思ってしまうのですが、、、、それとも、そもそも
その考え方がいけないのでしょうか?
この地球には良い、悪いがない、全てが軽いか、重いかの
エネルギーですから、自分を最低と思ったのは、
他人の不幸で喜ぶ自分は、悪いという価値観から生まれた感情だから、
人の不幸で喜ぶ自分は最低では無いと言う事になりますよね?
だから、悲しい気分や、苦しい気分を味わえてくれて体験
させてくれてありがとうと言うスタンスなのですか?、、、
すごく簡単な話だと思ったのですが、考えれば、考えるほど、
頭がパッカーンッとキャパオーバーしてしまいます笑。
もし出来ましたらアドバイスをお願いします。
では、アシュタール、よろしくお願いいたします^^
「少し整理して考えてみましょう」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
落ち着いて下さい・・・少し整理しましょう。
先ず・・>他人の不幸は蜜の味・・・
これはエネルギーバンパイアです。
エネルギーをバンパイアすることで一時的な快楽を得ることが
出来るということです。
これは感情ではないのです。
これは快楽です。
不足していたエネルギーを得ることで満足しているという
ことですので、楽しいという感情とは違うのです。
>誰かが口論や喧嘩をしているのを目撃したり、
誰かが血を流して倒れていたり、動物が轢かれて死んでいたり.
そう言う場面の、感情も楽しむと言う事なのでしょうか、、、?
家族や友達が、とても不幸な目にあって、話を聞いていて、
泣いてしまった自分を、素敵!だと思ったり、
こんな感情を味わえて楽しいと思う自分は、最低なのでは、、、?
これが思いっきり巻き込まれているということなのです。
自分のことではない他人の感情に巻き込まれてしまっている
からそのような感情が出てくるのです。
いわゆる同情という感情です。
他人の感情と同調して、同じ感情を持つことが良いことだと
あなた達は教育されてしまっています。
人に同情し、その人の悲しみや苦しみを一緒に味わい寄り添う
事が出来る人が優しい人、素晴らしい人だとされていますが
それは一緒に溺れているだけなのです。
何の解決にもなりません。
同情はいらないのです。
同情というのは、一緒に溺れているのと同じなのです。
溺れている人と助けようと何の策もなくただ飛び込んで、
一緒に溺れているのと同じことなのです。
分かりますか?
一緒に溺れてしまっては何も出来ないのです。
溺れている人がいたら飛び込んで助けようとするのではなく、
冷静に岸から何かの手段を使ったほうがその人を助けることが
出来る可能性が高くなります。
そうですね・・どんなに泳ぎに自信がある人でも溺れている人に
しがみつかれたら泳げなくなって一緒に溺れてしまいます。
同情して一緒に涙を流している自分を見てステキだとか
思うとしたらそれはエネルギーバンパイアです。
こんなに人のことを思える自分はステキって思うのは、
自己満足にすぎません。
それは私がお伝えしている”楽しい”ではありません。
そして、人の感情は人の感情であってあなたの感情ではないと
いうことをしっかりと認識してください。
そうすれば、同情することがなくなります。
同情しなければ引いてみることが出来ます。
巻き込まれることもなくなります。
だから、あなたの感情を”楽しむ”ということではないことが
分かります。
私がお伝えしているのはあなた自身の感情のことです。
他人の感情は関係ないのです。
>他人の不幸で喜ぶ自分は、悪いという価値観から生まれた
感情だから、人の不幸で喜ぶ自分は最低では無いと言う事に
なりますよね?
だから、悲しい気分や、苦しい気分を味わえてくれて体験
させてくれてありがとうと言うスタンスなのですか?、、、
何度もお伝えしますが・・
他人の不幸を楽しむのはエネルギーバンパイアです。
それは感情を楽しむということとは違います。
そして、他人の感情に巻き込まれて、その感情を自分の感情と
間違えてしまって、その感情を感じさせてくれたこと、
体験させてくれたことにありがとうなどと言う必要はありません。
あなたはその感情を楽しんでいるのですね・・でもそれは私の
直接の感情ではありませんと思ってください。
そうでなければその方の感情を自分の感情と一緒に考えてしまい
巻き込まれる(一緒に溺れる)ことになってしまいます。
人が悲しいという感情を持ち、そしてその感情から離れたいと
思ってあなたに相談しているならば、あなたは岸から(引いた
感情で)アドバイスをしてあげてください。
その時に気をつけていただきたいのは、その方が本当に相談したいと
思っているかということです。
その感情を解決したいと思ってかどうかということです。
ただ、聞いてほしいと思っているかもしれません。
ただ聞いて欲しい、共感してほしいと思っているときには
何もアドバイスする必要はありません。
そして、あなたに一緒に泣いてくださいということになれば
それはその人がエネルギーバンパイアだということなのです。
これは難しいことだと思いますが、あなたがその方の感情に
巻き込まれず冷静でいることが出来ればわかると思います。
いろいろお伝えしましたが、大切なのはそれがあなたの感情で
あるかどうかということです。
良い感情も悪い感情もありません。
すべて素晴らしい感情なのです。
ただ、その感情に巻き込まれないでください。
感情を引いて(俯瞰で)見ることが出来れば、冷静にあなた自身の
感情を感じることが出来ます。
引いてみることが出来ればその感情自体を楽しみことが
出来るのです。
感情を楽しむことと、エネルギーバンパイアとは違うのです。
そして、誰かに同情する必要はないということです。
あなた自身の感情をしっかりとみてくださいね。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール!感謝します。
マイコメント
正直言って、質問者の語っている内容を読んでいて私自身も混乱していましました。
なぜなら、そういうことは多々あるからです。
ただ、アシュタールの語っているように、自分の感情をどこまでがエネルギーバンパイア
なのかをしっかりと区別できないから起こるものだと思います。
他人の感情と自分の感情をごっちゃまぜにしてしまうのは、「同情する人はとても
心優しい人であって称賛されるべきものである」という世間一般常識がそこに存在
するからです。
世間一般常識が正しいと思ってしまうと
泣いてしまった自分を、素敵!だと思ったり、
こんな感情を味わえて楽しいと思う自分は、最低なのでは、、、?
と、思ってしまうのですが、、、
それが素敵なことであったり、否、そんなことはない自分は最低なんだという思いが
出てくることになります。
かなり矛盾する考え方ですね。
一方では自分を素敵な人物だと言いながら、他方では最低な自分と卑下しています。
いったいどちらが正しいのでしょう。
まず、自分が素敵だと思っていることに問題があります。
そこには他人に同情できる人は素晴らしいという世間一般常識があります。
もし、その世間一般常識が間違っていて、本当は同情することではなく
その人が立ち直れるように助力することが正しいとしたなら、自分は一緒に
悲しむこともないので、最低だと思うこともないのです。
例えば、誰かが口論や喧嘩をしているのを目撃したり、
誰かが血を流して倒れていたり、動物が轢かれて死んでいたり.
そう言う場面の、感情も楽しむと言う事なのでしょうか、、、?
「他人の不幸は蜜の味」と誰もが言います。
言わないまでも思わない人はゼロでしょう。
それだけ、私たちにとって他人の不幸は自分の幸福感を上げる意味での
対比となるからです。
あのひとはあんなに不幸なのに私はそれよりも不幸ではないという意味です。
ある意味、自分がいかに幸福であるかという満足感に浸っていることになります。
エネルギーバンパイアとして見た意味では他人の不幸を栄養素にしていると
言うことになります。自分の幸福感を上げるための栄養です。
この栄養は実に始末に悪くて、何度も味わいたいと思わせる毒薬の様なものが
ありますので、そういう感情が湧いてきたら無視すべきでしょう。
無視することに慣れてくれば、ただ傍観者として俯瞰した状態で見ていられると
思います。
ただ、見ていると言っても助けが必要な状況ならそれなりの対応は必要です。
ここのところを間違えないようにしないといけません。
そして、自分が出来る範囲とその人にとって本当に必要なことなのかという
ことも同時に判断しないと巻き込まれてしまいます。
難しいですね。
でも、そこはハートが教えてくれるでしょう。
ここまではいいけど、これ以上は無意味という意味で・・・。
溺れそうになっている人を助けようとして飛び込んだはずなのに
岸までたどり着きそうになったときに、腕をさらにつかまれて
自分も引きずり込まれそうになるということはあります。
そのあたりの判断が微妙に難しい時もあるということです。
冷たい言い方かもしれませんが・・・
場合によっては自分が溺れないようにするために突き放すことも
あり得るということです。
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