破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:依存をさせない人」
今日の破・常識!
あなたが自立していると
そのエネルギーを共振して相手も自立します。
自立している人は、依存をさせない人だからです。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「依存をさせない人」
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
パートナーや親子などの関係を気持ちのいい関係にしたいと
思うならば、先ずあなたが自立してください。
自立するというのは、自分で自分を楽しませることが
出来るということです。
自分を楽しませることは、とても大切なことなのです。
人のことばかり優先させ、自分のことを後回しにしてしまうと
自立することが出来なくなります。
何故でしょうか?
期待してしまうからです。
期待すると、依存してしまうことになります。
私はこんなにあなたのことを考えています
こんなにあなたのためにしています・・
ですから、あなたも同じようにしてください
・・と要求したくなってしまいます。
そして、執着になってしまうのです。
執着すると、その人から離れられなくなってしまいます。
その人がいるから、私の存在価値があると
思ってしまうことになります。
ですから、自分のアイデンティティーのために
その人が必要となるのです。
そして、執着から、その人をコントロールしたくなってきます。
コントロールしたくなって
コントロールのエネルギーを出してしまうと
そのエネルギーを感じて
その人はあなたから離れたくなってしまいます。
ですから、もっと執着し、もっとコントロールしたくなり
関係は重く苦しいものとなってしまうのです。
人のことばかりを考え、人のためにばかり行動していることが
やさしい人と評価されるようですが、そうではありません。
それは、過ぎるとエゴになってしまいます。
自分だけを大切にしてください・・というと
自己中心的で、自分のことばかりで
人が困っていようと何も手を差し伸べない冷たい人
という誤解をしているかもしれませんが、そうではありません。
自立している人は、さっぱりと人に提供することが出来ます。
表現が難しいですね・・さっぱりと、と言うのは、
自分が出来る範囲で、自分がしたいと思ったときだけ
・・と言う意味です。
ムリはしないということです。
それは、冷たいことではありません。
出来ることはしますが、出来ないことは出来ません
・・と言えることを大切にしてください。
出来ないことまでムリして提供すると
先ほどもお伝えしたように期待と
執着の気持ちが大きくなってきます。
そして、手を差し伸べているようで
反対に依存してしまうということになります。
子どもから離れられない親は、
このような形になっている場合が多いです。
自分は子どものために生きている、子どもが一番です
・・という考え方になってしまうと
子どもが自立出来なくなるどころか
自立することを妨げるようになってしまいます。
子どもが親のアイデンティティーになってしまうからです。
パートナーとの関係も同じです。
自立している同士が一緒にいれば、
とても楽しくて風通しの良い関係を築くことが出来るのです。
自分で自分を楽しませることが出来るから
パートナーと一緒にいても楽しむことが出来るのです。
自分を楽しませることが出来ない人は、
パートナーに自分を楽しませてくれることを要求してしまい
パートナーとの関係が平等でなくなってしまいます。
あなたが自立していると、そのエネルギーを共振して相手も自立します。
自立している人は、依存をさせない人だからです。
ですから、依存されて困るのです・・という悩みを持っている人は
その人自身も自立していないからだということを理解してください。
人といい関係を築きたいと思うのであれば、
まずあなたが自立してください。
自分で自分を楽しませることが出来るようになってください。
ひとりでいることを楽しめるようになってください。
自分で自分のことが出来るようになってください。
そうすれば、自然にまわりの人ととても良い関係が
築けていることに気がつくと思います。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
自立した人という意味で世間的にとらえられるのは主に経済的な自立を指しますが
アシュタールの語る自立というのは違います。
他人に過度に依存はしないし、依存もさせない人です。
世の中いろいろ困っている人は大勢います。
そうした人たちに何から何まで手を差し伸べ助ける人は真に自立した人では
ないということです。
人それぞれ経済的環境が違い、自ずと他人を助けるにしても限界があります。
従って自分の限界を知りその範囲内で行う人が自立している人です。
それが過度の依存を防ぎます。
親子関係でもそうですが、老後の親の面倒を子が見るというのがこの世の常識
みたいなものですが、老いた親の手と足を取り何から何まで面倒を見ることが
この役割ではないということです。
親が自立していられるように見守るのが本当の面倒を見るという姿です。
親が自分で出来ることはそのままにし、出来ない部分を補佐し、自分で考え
行動できるようにサポーとし、健康にも留意し病気にならないような生活を
送れるようにするのが本当の意味での親孝行です。
いろんな自立した姿がありますが、他人に過度に依存せず助けてもらいたい
ときには頼み、それ以外は自分でするというスタイルです。
もちろん援助を頼まれたなら自分の出来る範囲で行うことです。
互いに自立していれば依存しあう関係というのは生まれません。
協力し合う関係になります。
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