破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:反省する必要はありません」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:反省する必要はありません」

今日の破・常識!

自分自身もわけがわからないことで


自分が悪いんだと反省しようと思うと


セルフイメージを低くするだけです。yアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。  



「反省する必要はありません」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

 
あなた達が叱られるときの反省という言葉についてでしたら・・

 
反省する必要はありません。

 
あなた達の社会でよく使われる反省という言葉の裏には・・

 
決められたルールを守れなかった


従わなかったことを反省しなさいという意味が込められています。

 
立場の上の人の命令?言いつけ?に

 

従わなかったことは悪いことだから

 
自分を自分で罰しなさい‥ということですね。

 
自分で自分を悪いことをした人だと思いなさい

 

‥ということですね。

 
そして、それを命令した人に謝りなさい‥ということですね。

 
服従することがよいことで


服従しなかったことは悪いこと・・ということです。

 

目上の人だけではありません。

 
常識、宗教的な教え、倫理観、道徳観など


社会のルールに反したことは悪いことだから


もうしないと自分に誓いなさいということです。

 
ですから、反省をする必要はありません。

 
常識と違う考え方をすることは、悪いことではないのです。

 
誰かの言いつけを無条件に受け入れる必要はないのです。

 
あなたには何か理由があって


それを受け入れたくなかったのです。

 
だから、従わなかったのです。

 
そして、反省しなさいという言葉はとても便利に使われています。

 
たとえば、こういう理由から従いませんでした・・


とあなたが反論したとします。

 
あなたが従わなかったと怒っている人は、

 
その人自身もルールに縛られているのです。

 
ルールの本当の目的、ルールを作った理由が


しっかりとわからないときに


あなたの従わなかった理由を聞くと反論できないのです。

 
そういう時に、なぜ怒られているのか


自分でわかるまで反省していなさい・・

 
という言葉でごまかしてしまうのです。

 
怒っている理由がはっきりとわかっていれば、

 
その人はその理由をあなたにわかるように伝えます。

 
でも、自分でもわからなくて説明できないので


自分で考えなさいということになるのです。

 
自分が悪かった理由を考えたり、理由はわからないけど

 
自分が悪いから怒られているんだ・・と思ってしまうと


セルフイメージが低くなってしまいます。

 
そして、考えてもわからないですので、

 
ただ、悪いことをしたから自分は怒られていると


思考停止になってしまうのです。

 

教育するという言葉には、上の立場の人の意見を


受け入れさせるという考えがあります。

 
上の立場の人間が正しくて、その正しさを受け入れさせ

 
その正しさをまた継承させていくのが


教育だと思われているのです。

 
ですから、下の立場の人の意見は必要ないのです。

 
意見を言う人は、めんどくさい人


反乱分子として排除しようとするのです。

 
没個性、素直に言われたことだけをする子に育てる

 
・・それが教育だとされているのです。

 

反省する必要はありません。

 
ただ、自分がなぜその人に怒られているのか


(なぜその人が怒っているのか)・・は考えてください。

 
そして、怒られている理由がわからなければ、聞いてください。

 
そして、その人が怒っている理由がわかれば


どうすればいいかがわかります。

 
それは、どうすればその人の意見を受け入れられるか?ではなく

 
その人の意見と自分の意見をどうすり合わせていくかを


考えることが出来るということです。

 
話し合いをするということです。

 

子どもであっても同じです。


親の言いつけを守らなかった・・


だから反省しなさい‥というのは

 
親が正しいと親の意見を押し付けているだけなのです。

 
どうしてそれをしてはいけないのか・・


しっかりと理由を伝えてください。

 
そして、そのことに子供がどう考えているかを


しっかりと聞いてください。

 
ただ、みんながそうしてるから、常識だから


だから偉い人(神と言われている存在なども含めて)が


そうしなさいと言っているからなどという理由で


怒る(叱る)のは、親自体が思考停止になって

 
理由がわからず従わせようとしているのだと理解してください。

 
そして、悪いと思っていない人に


反省しなさいといったところで


何も変わらないということです(笑)

 
子どもや立場が下の人に反省を求めても


形だけになってしまいます。

 
そして、自分自身もわけがわからないことで


自分が悪いんだと反省しようと思うと


セルフイメージを低くするだけです。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」


ありがとう、アシュタール! 

マイコメント


反省という言葉はとても便利な言葉です。

何か悪いことをした時や至らないことをしたときに親に限らず友人や同僚に

言われることがあります。

仕事でも反省することを期待して賞罰や降格ということもあります。

上にとってはとても都合のいい言葉だと思います。

しかし、反省するという言葉は本来自分の過ちをただし、修正することで

次に過ちを繰り返さないようにするために行われるものであり、他人から

強要されるものではありません。

自らが反省するならば、それは間違いを起こさないために役に立ちます。

しかし、それでも反省ばっかりしているようなら進歩はないでしょう。

正しくと言えば語弊があるかもしれませんが、正しい反省をすることが次への

新しいステップに進めるものならそれを生かすこともいいのではないかと思います。

反省というのは自らの行動を修正するものであり、その過ちを責めることでは

ないということです。

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