世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:”わたし”はずっと”わたし”なの ?
「わたし」はずっと「わたし」なのか ?
興味深いご質問をいただきましたぁ~^0^
「わたし」はずっと「わたし」なのか ? ということです。
今認識している「わたし」という存在は絶対無限の存在から別れた時から
ずーっと存在している ?
今はテラに「自分」として来ていますがある時はさくやさんやアシュタールの
ように意識体として存在していたりある時は別の惑星での体験をしたり
もちろん情報の海の中で「素のエネルギー」として存在している時もあると
思います。
いずれも「わたし」としては途切れないんですよね ?
過去のブログを拝見すると情報の海に戻っても「自分が存在している」と
いう意識はあるようですが「わたし」としてずーっと存在するのかは
よくわからなくて。
もしかしたら「わたし」という意識は消滅しないけれどこの生を終えて情報の
海に入ってしまうとどれが自分の記憶、体験だったかわからなくなるだけ ?
あるいは水のように雫は消滅してひと固まりになって新たな個性のエネルギーにな
る時に雫のように飛び出て新しい(全く別の)「わたし」になる ?
だからこそ「今」を味わい尽くしてくださいと言われている ?
確かレプちゃんたちはワンネスに戻ると自分がなくなると思っていてそれが
怖くて愛から遠く離れていると伺った記憶がありますが
もしかしてわたしも「わたし」が消えるのが怖いのかな ? など、ここのところが
気になっています。教えていただければありがたいです。
では、アシュタール、よろしくお願いします^0^
「わたし」はずっと「わたし」なの ? by アシュタール
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
マイコメント
私も同じような疑問を持っていましたので、今回の質問主さんの質問は大変
すばらしくとても良い質問だったと思います。
アシュタールの回答は私が考えていたこととほぼ同じでしたので安心しましたが
素というのは創造主のことで、情報の海と言うのは私たちが戻る世界のことです。
だから、私たちは死後「素」に戻るのではなく情報の海に戻るということですね。
創造主である「素」が自分を多数(多数というより膨大な多数ですね)に分離
させて生まれたのが情報の海のようです。
おそらく情報の海も多数存在するのでしょう。
情報の海の中では多くの(膨大な数の多くです)意識が取り込まれていて
そこではすべての体験が自分の体験として持っているということです。
つまり、自分が体験したことだけではなく他の自分あるいは赤の他人が体験
したこともすべて自分の記憶として持っているということです。
そこは時間も空間もなくただ意識だけが存在する場所(場所と言えるかどうか?)
であり、ただ自分があるという意識だけがある場所です。
そこでは他の意識が存在していたとしても、それは意識の違う自分なのです。
すべてが共有されていてすべてが自分であるという感覚になるかと思います。
仮に共同アパートに何人も住んでいて男女老若問わずいたとします。
ある人は大企業で仕事をしていて、ある人は中小企業、ある人は自営業を
営んでいて、ある人は学生、ある人は水商売、ある人は物乞いのようなことを
していたりします。
それぞれが夕方になると帰って来て、全員集まった夕食のときに今日一日
自分の回りであったことをリアルに報告し合い、それぞれがそれを自分が
体験したかのように感じるとします。
そして、次の日にはAさんとBさんが違う体験をしたいからと仕事を代わり
体験をするようなこともします。そうするとAさんはBさんと違う見方をする
ので、夕方の報告の時にはこのような体験をし、こう感じたと報告することに
なるだろうと思います。
簡単に言えば情報の海と言うのはそんなものです。
私たちが情報の海に戻れば自分と言う個の意識はなくなり共有意識として共有
されますが、自分の体験はその中で残りますので、それを認識することは可能
だろうと思います。ある意味自他の区別のない世界だということですね。
そう考えると今いる世界での体験はとても貴重なものだと言えると思います。
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