破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:どうして?と考えてください」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:どうして?と考えてください」

今日の破・常識!

あなたの権利である(制限のかかっていない本当の)


自由を手に戻すためには、

どうして?と考えてください。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。  


「どうして?と考えてください」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

 
あなた達を支配・コントロールしている存在たちは


直接あなた達に何もしていません。

 
しているのは、思考の操作だけです。

 
あなたの思考を、彼らの都合のよいように操作しているだけなのです。

 
あなたが自らすすんで彼らに従うように、思考を操作しているのです。

 
あなた達は自由に自分で考えていると思っています。

 
でも、そこには大きな制限がかけられているのです。

 
透明な見えない檻、手枷足枷をかけられていることに


気がついていない状態になっているのです。

 
自由だと思っていますが、それは制限の中で許された範囲の中の

 
自由だということです。

 
彼らが設定した制限の中では何をしてもいいですよ


・・と許されただけの自由なのです。

 
自分で考えて行動していると思っていますが


それは刷り込まれた常識や考え方、倫理観、道徳観などを


はみ出さないように行動している時点で


自由な行動ではないということなのです。

 
社会にでてちゃんと働くのは当たり前・・


それは自分で考えていると思っているのですが


働くのは当たり前だと思い込まされているのです。

 
分かりますか?

 
働かない自由もあるのです・・


でも、働かなければ生きていけません。

 
という思考も、そう思い込まされているだけなのです。

 
朝起きて学校(会社)に行って、先生が教えることを


おとなしく勉強して(上司の命令に従って仕事をして)


時間が来たらお昼ご飯をいっせいに食べて


夕方(夜)になったら家に帰って、お風呂に入って寝る


という規則正しい生活が、良い生活であり、良い人生だと


刷り込まれてしまっているので


それを疑問に思うことも出来なくなっているのです。

 
朝起きなくても、働かなくても


夜寝たくなければ寝なくてもいいのです。

 
食べたいときに食べて、寝たいときに寝て


やりたいことをやりたいようにする・・


自由に自分で好きにすることが出来るのです。

 
自分で考えて自分の生活をどうするかを


選択する自由は与えられていないのです。

 
あなた達の思考を操作するために一番効率的なのが脅しです。

 
恐怖を与えることで、思考は操作しやすくなります。

 
働かないと食べていけない、ちゃんとした生活をしないと


社会人として認められない、学校に行かなければ将来困る


小さい脅しも、大きな脅しも数限りなく設定されているのです。

 
恐怖、心配、不安、怖れを与えておけば、


思考は停止し考えなくなります。

 
これをしておけば安心ですよという保障の範囲をみせ


そこに閉じ込めようとするのです。

 
この檻から出ると怖いことがたくさんあります


いつ誰に襲われるか分かりません、命を落とすかもしれません


・・だから、安全なこの檻の中にいなさい・・と言って


あなた達の思考を操作し、自分たちにとって(搾取しやすい)


檻の中に自分から進んで入るようにしているのです。

 

”待て”と言われて待つ必要はないのです。

 
命令に背いたらひどい目にあいますよ・・と言われても


それでもかまいませんという勇気があなたにあれば


彼らは何も出来ません。

 
走り出したあなたに何も出来ないのです。

 
後ろから大声で叱る?声を上げるしかないのです。

 
後ろでいくら怒鳴られても、あなたは何もされることは無いのです。

 
危険はありません。

 
”待て”と言われて待つというのが当たり前だと思っているから

 
待ってしまうのです。

 
なぜ待たなければいけないの?・・と考えてください。

 
待つことで私に何か良いことがあるんですか?


・・と考えてください。

 
あなたがご機嫌さんにならないと思ったら


待ちませんと言って走り出してください。

 
あなたは自由なのです。

 

あなたの権利である(制限のかかっていない本当の)


自由を手に戻すためには、どうして?と考えてください。

 
どうして待たなければいけないの?


どうして働かなければいけないの?

 
どうして学校に行かなければいけないの?


どうして授業中はただ黙って一方的に教えられることを


丸暗記しなければいけないの?

 
どうしてご飯を食べる時間が決まっているの?

 
どうして?と考えられるようになると


たくさんの疑問がわいてきます。

 
その疑問があなたを自由にしてくれるカギになります。

 
それは当たり前だから・・という言葉を手放して


どうして?と考えるようにしていってください。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 


ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

私たちが「どうして?」という疑問を持つことなく暮らしているのは世間一般のことが

常識であり、当たり前のことであり疑う必要がないと思わされているからです。

子供のころから親からこれはしていいけどこれはダメと言われたようなことだけでなく

一番大きな原因は学校の教育です。

ほとんどの教科が暗記中心であり、その暗記したことをいくら思い出せるかがテストで

競われるので自然と暗記中心の考え方になっていきます。

もちろん数学や物理などでは論理的な推論を持って回答を導き出す問題もあるので

それでものを考える習慣が身に着くかと言うとそんなことはありません。

なぜなら問題が数学や物理などの公式を使って解く問題なので、日常起きてくる

問題をどう考えるかと言うものではないので応用が利かないからです。

中にはそうした壁を乗り越えて自分なりの考え方を身につける人もいますがごく

少数に限られます。残りはただ与えられた課題をこなすだけで終わります。

昔は道徳の時間があり、日常の問題をどう考えるか自分で考えてその内容を解答

として書きなさいというやり方がありました。

まだ小学生の頃でしたのでなかなか書けないものでしたが、本当はそういう

問題を解くのが頭の訓練に最適なのです。

教師は文部科学省の学習指導要綱の通りに生徒に教えることが第一でそれを

逸脱したものは出来ないようになっています。

だから、先生が悪いというより先生を縛り付けている学習指導要綱に問題が

あるのです。概して言えば日本人の教育内容は文部科学省が決めていると

いうことです。

最近、日本人の学力低下が著しいですが、これも暗記偏重主義の結果でしょう。

そのため、なぜと考える習慣を自らが持つようにしないといけないのです。

そして今はネット検索であらゆる解答が見つかりますので、それを手あたり次第

調べて自分なりの考え方を持つことです。

それが出来ればいつも「なぜ?」考えることが出来るようになります。

数回やったからできるというものではないことはご承知おきください。

数か月に及ぶ自己訓練になります。



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