校長室より・・・(ご心配をおかけしました その2)日光市立足尾中学校
当校では下記の3条件を満たさない場合マスク不要です
(前の記事からの続きです。ひとつ戻ったところからご確認ください。)
某小児科の貼り紙を見た後で~。
「外出先でマスクをするのは何故ですか?」
先日、社会で広く実施されたアンケートですが、その結果、約8割の人が「まわりがしているから」と答えたそうです。
「皆がしているから~」
日本人の強いところ(「民度が高い」と言った方もいました)でもあり、危険なところでもあります。
今のそんな状況を揶揄してこんなことを書いている方がいました。
テレビで重用される(?)な専門家が、大した科学的根拠もないのに、聞きかじった情報をもとに「新型コロナは頭皮からも感染するらしい、回避するには頭にサランラップを巻くしかない」と言ったとします。
次の日には、スーパーやコンビニからラップが姿を消し、市中は、頭にラップを巻いて歩く人達であふれかえる・・・そんなおぞましい光景が街を支配するのでは・・・と。
マンガのような話ですが、私には今の日本で起きていることとそれほど大きく違はないと思えてしまうのですが、いかがでしょう。
さて・・・本校では、入口に以下の張り紙をしました。
「感染症を甘く見るな」とのお叱りをうけるかもしれませんが、表示に書いたとおり、これは私の勝手な判断ではありません。厚労省や文科省の方針に沿ったものです。
では、なぜ多くの施設で「感染症拡大防止のためマスクの着用にご協力~」と書かれた貼り紙が掲示されているのでしょうか。
もちろん、“商業施設(店舗)”であれば「自分の店からは感染者は出せない~」という考えが根底にあって、感染症に対する危機感は、(例えば)一般の会社員などとは違うことも十分に理解できます。
ただ、心の奥底には、
「どの店もそうしているから」
との考えも少しはあるのでは、と思うのです・・・が・・・スミマセン、これは私の憶測です・・・。
さて、ここからは学校の立ち位置です。
「教育の場が街の小売店と同じでいい」とは、私は考えません。
大切なのは、感染症対策と教育の質は「トレードオフの関係にある」というところ・・・どちらかを高めればどちらかが下がるという点です。
対策の是非を判断するときには、「落とし所をどこにするか」つまり「その学びの質を犠牲にするのに相応の効果が期待できるか」「その対策には、それほど学びの質を犠牲にするだけの緊急性(重要性)があるか」といった視点を忘れてはならないということです。
(例えば、現実的にそんなことは不可能ですが)予防策を100%にすれば感染リスクは限りなくゼロにできるかもしれません。しかし一方で教育の効果も限りなくゼロに近づいてしまいます。それでは学校としての役割は果たせません。
つまり、学校には商業施設等とは決定的に違う視点が必要だと思っています。
「人間力を育てる場」として。
本校にお越しくださる皆様には「みんながしているから」とか「学校内の人を不快にさせては悪いから」といった理由で、マスクを着用する必要などないことをご理解いただければ幸いです。
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