破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:愛とは?」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:愛とは?」

今日の破・常識!


愛とは何?・・あなたが楽しくて、ご機嫌さんで

満たされているときに感じる感覚なのです。

難しく考えないでください。

あなたからあふれ出る

楽しいエネルギーだということだけです。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ


今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。




「愛とは?」by アシュタール

 

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

 
自己犠牲は愛ではありません。

 
自己犠牲では人を愛することが出来ないのです。

 
自分は我慢して人のために尽くすことが


精神性の高い人の生き方だと教えられてしまっていますが


それは支配者にとって都合の良い考え方にすぎないということです。

 
自分を犠牲にして他の人のために尽くす・・


ということを良いことだと教え込めば、


みんなが不機嫌になりますし、犠牲的な精神を持って

 
自分達に尽くしてくれるようになるからです。

 
サービス残業・・人手が足りないからみんなで頑張りましょう、

 
他の人のためにも自分も頑張って残業しましょう・・


などと言われて人のため(仲間のため)にと思って


帰りたいのを我慢してみんなが残業すると


会社は人手を増やさなくてよくなります。

 
人件費が浮くのです・・あなたが人のためだと思って


サービス残業をしているから人手が増えないのです。

 
そして、みんながそう思ってしまうから


みんな残業を断ることが出来なくなって、どんどん疲弊し


エネルギーが枯渇していくのです。

 
エネルギーが枯渇した人は、人を大切にすることが出来ません。

 
そして、エネルギーバンパイアになって


イジメなどが起きて来るのです。

 
人のためにと思って自己犠牲したことで


反対にエネルギーバンパイアとなって


人からエネルギーをとってしまうことになるのです。

 

悪循環を断ってください。

 
自分が満たされていなければ、


人を愛することは出来ないのです。

 
自分を大切に出来なければ、


他の人も大切にすることが出来ないのです。

 
ガソリンの入っていない車は、


他の車にガソリンを分けてあげることは出来ませんね。

 
それと同じなのです。

 
先ずは自分を満タンにしてください。

 
自分を幸せにしてください。

 
自分を愛し、大切にし、ご機嫌さんでいてください。

 
そうすれば、分けてあげようと思わなくても


分けていることになります。

 
あなたのご機嫌さんのエネルギーが他の人にも共振して


その人たちもご機嫌さんになることが出来るからです。

 
自分の中にエネルギーがない人が(不機嫌な人)が


他の人をご機嫌にさせることは出来ないのです。

 
ご機嫌さんではない人は、ご機嫌さんのエネルギーが


出ていませんので、他の人に共振しないからです。

 
反対に不機嫌が共振してしまったりすることも起きてきます。

 
愛する・・と言うことは、相手を尊重し、感謝するということです。

 
自分を愛せない人は、他の人も愛することは出来ないのです。

 
自分が満たされていなければ、人を満たすことは出来ないのです。

 
自分にやさしくない人は、人にやさしくすることも出来ないのです。

 
先ずあなたが満たされてください。

 
あなたが楽しくいてください。あなたが最初です。

 
あなたが満たされれば、勝手にあなたの中から


愛のエネルギーが溢れてきます。

 
愛そうとか思わなくても、勝手に愛しています。

 
気が付いたらすべての存在を愛しています。

 
すべての存在に感謝しています。

 
愛さなくちゃ・・などと思わなくてもいいのです。

 
愛さなくちゃと思っているときは、


まだあなたの中が満たされていないということです。

 
愛とは何?・・あなたが楽しくて、ご機嫌さんで


満たされているときに感じる感覚なのです。

 
難しく考えないでください。

 
あなたからあふれ出る楽しいエネルギーだということだけです。


自己犠牲という考えを手放してくださいね。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

最近思うことですが、愛とは人に干渉しないことでもあります。

他人を尊重することが出来れば他人の自由を尊重できますので

他人が何をしようが気にならなくなります。

そのため他人の行動についてああでもないこうでもないとアドバイス

しているつもりになって何かを言うこともなくなります。

それはその人の自由だからです。

ある意味、黙って見ていることが出来ます。

ただし、相手が何かを求めてきたり、あるいはアドバイスを求めてきたり

する場合にはきちんと対応します。

そのときに初めて相手の行動についての自分の考えや意見を述べます。

それ以外の時には見ていることが多いです。

それもひとつの愛の姿だと思います。



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