世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:無理に感謝とか尊敬の気持ちを持とうとしない・・・」
「無理に感謝とか尊敬の気持ちを持とうとしない・・・」 by アシュタール
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
まず、感謝と尊敬の気持ちを持たなければ、
もっと増やさなければと思わないでください。
~しなければと思えば思うほどムリが出てきます。
感謝とか尊敬の気持ちは勝手に出て来る気持ちです。
ムリに出そうとかしたら反対に出てこなくなります。
頭でムリに感謝しよう、尊敬しようとしているのです。
それでは感情は出てきません。
感情というのは頭では出せないのです。
フッとハートから出て来るものなのです。
分かりますか?
そのためにはまずあなた自身に対して尊敬と感謝の気持ちを
持ってください。
感謝と尊敬の気持ちを持たなければいけないと考えるということは
私は尊敬と感謝の気持ちも持てないダメな人だと自分自身に
言っているのと同じです。
まだまだダメだ、こんな私ではダメだと言い続けているのです。
それではいくら頭で感謝しよう、尊敬しようと思っても
ハートからは出てこないのです。
自分自身を尊敬し、感謝出来ない人は自分以外の存在に対しても
その気持ちは持てないのです。
自分自身を尊敬し、自分の存在に対して感謝出来るからこそ
他の人の存在に関しても感謝し、その存在を尊敬することが
出来るのです。
ですから、まず自分自身を大切にしてください。
そのためにはイヤなことをやめ、好きな事を楽しんでご機嫌さんで
いるようにしてください。
そんな事でいいのですか?と思うかもしれませんが、そんな事では
なく、それしかないのです。
自分の好きなことを夢中でしていれば、自分が好きになれます。
(ここで、大切なのは好きな事です、そしてその好きなことに
対して比較しないということです、過去の自分、自分以外の誰かと
比較してしまうと純粋に楽しめなくなります)
好きなことに夢中になれる自分が愛おしく感じられ、自信ができて
来ます。
自信ができるとセルフイメージがもとに戻るのです。
自分に自信ができると人の目が気にならなくなります。
人の目が気にならないということは、さっきも言いましたが比較
しなくなるということですね。
比較しなくなれば、自分は自分、人は人という気持ちになれます。
そうなると、例えば絵が好きで書いている人が他の人の作品を
見てその絵が素晴らしいと思ったときにも嫉妬や妬みなども感情は
出てこないのです。
純粋に素晴らしい作品ですねと思えるのです。
自分よりも優れている、悔しい、自分はまだ劣っているなどという
思考は出てこないということです。
こんなに素晴らしい作品を書ける人はすごいですねと純粋に
尊敬することが出来ます。
そして、その作品に刺激を受けることで自分の作品にも工夫を
することが出来ると感謝することが出来るのです。
ムリに感謝や尊敬の気持ちを持とうと思わなくても、勝手に
その感情が出てきます。
それがハートからの尊敬であり感謝なのです。
まずは自分自身に対して尊敬と感謝の気持ちを持ってください。
こんな私・・では絶対に尊敬と感謝の気持ちは持てません。
こんな私・・の根底は比較です。
私は私、他の人は他の人・・ここがとても大切です。
他の人の表現は他の人の表現なのです。
あなたが卑下したり、真似したりする必要はまるでありません。
他の人の表現を見て、刺激を受けることが出来る自分をほめて
ください。
自分自身の表現とは何でしょうか?
それは生き様です。
生きている姿です。
生活です。
生活そのものがあなたの表現なのです。
生きている姿勢(どう生きるか、どう楽しむか)があなたの表現
なのです。
あなたにはあなたの考えがあり、その考えに沿って行動しています。
それはあなたにしか出来ない事なのです。
あなたにしか出来ない表現なのです。
それを誰かと比較していたら、自分の表現は出来なくなります。
そして、楽しくなくなります。
そして、人の表現を見て嫉妬したり妬んでみたり、見下してみたり
してしまうようになります。
好きの事を純粋に夢中で楽しんでください。
それが自分の表現を好きになる方法です。
自分の表現が好きになれば自信ができ、他の人の表現も比較ではなく
見ることが出来るようになります。
そうなると相手に対しての尊敬と感謝の気持ちが自然にフッと
ハートから出てきます。
これが高次元の尊敬と感謝です。
頭でムリに相手を尊敬しようとか、感謝しようとか考えても
そのエネルギーは出てこないということです。
尊敬しなければいけない、感謝しなければいけないなどと言う思考は
すっぱりと手放してください。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
マイコメント
感謝とか尊敬というと何となく世間で何らかの事故で被害者を救った話の中で多くの
感謝が寄せられた事例とかを見ているので、あのようなことをしないと感謝という
気持ちが持てないのではという疑問がよぎることがあり、自分はそのようなことに値
しないという気持ちが湧き感謝の念を持てないでいることもあります。
つまり、感謝というものを美化しすぎているように思います。
いわゆる世間でのモデルケースばかり見てしまっているので自分のセルフイメージを
低くしてしまいがちなところがあるのです。
そのため感謝とか尊敬というとものすごく尊大なことだと考えがちでそういう気持ちを
素直に出せなくなってしまうということもあるだろうと思います。
感謝とか尊敬と言ってもそんなに大げさに考える必要はないと思います。
日常のちょっとした行為に「ありがとう」と一言いえるなら立派な感謝の言葉です。
よくよく考えてみれば日常の中でそうした一コマというのは何度も経験しているはずです。
だから、もっと自分自身に自信を持っていいのです。
しかし、自分自身の虚栄心が邪魔して素直にありがとうを言えない自分という場面も
あるだろうと思います、相手が嫌いな人だったり、目下の人だったりするとそういう
ことが起こりがちです。
そうした場合は当然素直な気持ちではないので感謝というのには値しません。
そんな場合でも素直にありがとうと言えるのが感謝です。
だから、感謝とか尊敬というのは相手の立場とか地位とかに関係なく出るものです。
また、それは自分自身を意識しすぎていることもあります。
自分がしてより偉いとかという気持ちもそうです。
そういう時はそんな気持ちが邪魔します。
相手と自分を比較してしまうのは自分に自信が持てないからです。
自分に自信があれば相手のと関係がどうであっても素直になれるはずです。
そのため感謝とか尊敬という気持ちを持てない人は自分自身の有り様を振り返って
見る必要があるでしょう。
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