破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:食べてはいけないリンゴ」
今日の破・常識!
あなたは何をしてもいいのです、自由なのです。
善であろうが、悪であろうが、何をしてもいいという
究極の自由なのです。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「食べてはいけないリンゴ」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
食べてはいけないリンゴはありません。
我慢しないでください。
目の前にあるのに食べてはいけない・・
そのようなものはないのです。
それを食べれば罰が当たる・・そのようなこともありません。
誰もあなたに、こうしてはいけない、こうしなさい
・・と言う権利はないのです。
ましてや、言うことを聞かなかったからと言って
罰を与えることが出来る人(存在)などいないのです。
罰・・そのような概念は手放してください。
そのような概念を持ってしまうから
自分で罰のような現実を創造してしまうのです。
もし、何か悪いことをして罰が当たった・・など考えたのなら
それは自分が創ったものです。
これをしてはいけない・・と自分で制限をかけ
その制限を超えてしまったという罪悪感から
自分を罰するような現実を自分で創ってしまうのです。
あなたにしてはいけないことはありません。
あなたは何をしても自由なのです。
こういうと、殺人や窃盗などでもいいのですか?・・
というご質問が来ますが、誤解を恐れずにお伝えするならば
それも自由ですとお答えします。
あなたがすることに、善も悪もありません。
あなたは自由に何をしてもいいのです。
善悪の判断は誰かが創ったルールです。
主に宗教的な概念によって刷り込まれてしまったものです。
神がリンゴを食べてはいけないと言ったのに
愚かにも食べてしまったから神によって大きな罰を与えられ
そしていまもその罰によって人類は苦しめられている・・
という物語は支配層に都合の良いストーリーになっているだけです。
支配層が都合よく決めたルールを守らせるために
創りあげた話しなのです。
あなた達が自分で自分の思考に制限をかけ
支配層に都合よく行動するようにミスリードしているのです。
殺人も窃盗もいいのですか?・・
それも絶対無限の存在においては貴重な体験なのです。
絶対無限の存在には、して良い体験と
してはいけない体験はありません。
すべては素晴らしい体験なのです。
なぜなら、それは夢だからです。
??????ですか?
あなた達は私もそうですが実体ではないのです。
意識なのです。
殺人や窃盗は実体があると思うから悲劇に思えるだけであって
実体がなければ実被害もありませんので悲劇にはならないのです。
映画の撮影のように考えていただければ理解しやすいかと思います。
撮影中に例え戦闘シーンで殺されたり殺したりしても
撮影が終わったあとはお互い仲良く、良いシーンが取れましたね、
気を付けたんですが痛くなかったですかと声を掛け合いますね。
そのようなものなのです。
身体を脱いで個性のエネルギーになると
身体を持って体験していた現実は撮影中の出来事で
撮影が終わったという感覚になるのです。
難しいですね。
夢の中、もしくはバーチャルリアリティーのゲームの中で
あなたがひどい目にあっても、夢がさめたり
バーチャルチアリティのゴーグルを外せば
何の実被害はありませんね。
夢の中で怪我をしても、実際の身体には影響はありません。
絶対無限の存在である私たちは、
夢の中にいるようなものなのです。
あなた達は身体を持っていますので
夢もリアルになるのです。
だから、夢をみているのに、夢だと思えなくて
深刻になってしまうのです。
バーチャルリアリティーで遊んでいると知っていると
その中で何が起きても大丈夫だと思えますね。
感覚的にしっかりとそのバーチャルな世界を感じていても
それはバーチャルであってゴーグルを脱げばそれは終わる
と分かっていれば怖いことが起きても安心して
怖さを楽しむことが出来るのです。
あなたはある意味夢の中にいるのです。
だから自由に何をしてもいいのです。
食べたいもの、やりたいことを我慢するという体験も
面白いものですのでそれを楽しむことはいいと思います。
でも、誰かに命令されたり、罰を与えられるからという理由で
我慢するのはナンセンスだということです。
罰を受ける・・それは自分で創りだした遊びだということです。
そう思い込まされているので
そういう現実を創造しているだけです。
今日は話があちこちに飛びましたが、お伝えしたかったのは・・
食べてはいけないリンゴは無い・・ということです。
あなたは何をしてもいいのです、自由なのです。
善であろうが、悪であろうが、何をしてもいいという
究極の自由なのです。
もともと、善も悪もないのですから。
あなたがどういう体験をしたいか・・それだけ決めてください。
楽しい経験も悪夢のような経験も悲惨な経験も
素晴らしい経験です。
それはあなたの思考が創っているのです。
あなたが創っているということが理解出来れば、
現実はいくらでも変えることが出来ます。
変えるコツを私たちはお伝えしているのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
今回のアシュタールのメッセージは一般の人に読ませたらとんでもないと言われる
だけでなく強くてきついお叱りを受けることでしょう。
そんなことは人間として許されることではないというものです。
そして、そのような存在からは今すぐ離れなさい!
あなたは道を誤り極道のような人間になってしまいますとさえ言われるでしょう。
でも、それは悪の方だけ見ているからです。
反対に愛に溢れた行動を取ることも自由なのです。
どちらを選択するかはその人の自由であり誰もそのことに干渉できません。
悪いことをする、たとえば人を殺したりすることも自由ですが、その場合犯罪者として
刑罰を受けるのがこの世界のルールです。
禁固何年、執行猶予何年、罰金○○円が科されます。
そして多く人から非難と軽蔑の眼で見られるでしょう。
その体験もまた自分で受け止めないといけないのです。
禁固刑を受ければその期間はこの世界で本来なら体験できた楽しいことも
体験できず人生を終えることだってあります。
だから、それが嫌なら人を殺す選択をしなければいいだけです。
ところが戦争は違いますね。
特に上官の指示で戦地に赴き敵を殺しても罪には問われません。
それが何の計画もなく上司の指示もない状態で人を殺めたりすれば戦争犯罪人として
裁かれます。無益な殺生を行ったからです。
でも同じ人を殺すという行為にどこに差があるのでしょうか?
本来は差がないものなのです。
戦争という名目のもとに正当化されているだけです。
そして戦争は国民が始めるものではなく国の政治家や支配者が決めて始めるものです。
したがって、それを正当化しているのは国の重鎮や支配者だということです。
決して戦争は美化されるものではありません。
話が飛んでしまいましたが、結局は何をするにも自由だということです。
ただし、生きている間のその代償は自分が払うことになるというだけです。
それもひとつの貴重な体験かもしれませんが・・・。
コメント