世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:丸い社会は交換ではないのです」

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ボランティア精神 アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:丸い社会は交換ではないのです」

ミナミさん:ボランティアって

アシュタールたちはボランティアはおすすめしませんって

言うけど、提供しあう社会を創ってくださいとも言いますよね。

ボランティアと提供とどう違うんですか?


・・・というご質問をいただくことがあります。

では、よろしくお願いします、アシュタールぅ~~^^

「丸い社会は交換ではないのです」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

ボランティアは一方通行なのです。

一方通行にエネルギーが流れます。

高いところから低いところへ流れるエネルギーなのです。

ですから平等ではないのです。


しかし、提供しあうのは他方でなのです。

あちこちでエネルギーがまわるということです。

みんなが平等なのです。


難しいですか?


ボランティアは困っている人に手を差し伸べるという感じ

でしょうか?

困っている?助けを求めている?人に手を差し伸べるという

事は、一方的なエネルギーの流れになります。

困っている(助けを必要としている)人は他にエネルギーを

まわしません。

そうですね。

たとえば、介護施設でのボランティアだと、介護される人と

介護する人という二つの立場が出来ます。

そこにはエネルギーの流れが一方通行となるのです。

介護されている方は他の方にエネルギーを流すことはありません。

エネルギーをいただくだけになります。

言葉で説明するのは難しいですね。

そして、ボランティアをしている人より弱い立場になるのです。

(気持ちも弱くなります)


でも、提供しあうということは一方通行ではなく他方でエネルギーの

やり取りをするということなのです。

ボランティアはAさんがBさんにエネルギーを差し上げるという

形ならば、提供はAさんがBさんにエネルギーを差し上げたら、

Bさんは今度はCさんにエネルギーを差し上げ、CさんはそれをDさんに

まわすという形なのです。


そして、ボランティアをおすすめしない大きな理由はお金の流れです。

ボランティアはただ働きです。

そうですね。

たとえば先ほどの介護施設でのボランティアを例に出しますと、

介護施設では介護される方からお金をいただいています。

その方からお金を直接いただいていないとしても補助金という形で

政府などからお金が出ています。

そこはしっかりとお金のやり取りをした経済活動です。

そして、経済活動で必要であり一番大きな経費になるのが人件費です。

その人件費を無料に出来るのです。

これは経営者にとってはとても都合のいいことです。

無償で働いてくれるのですから、願ったり叶ったりですね。

それは労働力の搾取ということです。

もっといろいろボランティアをおすすめしない理由はあるのですが、

ここでは長くなるので止めておきますが、大きな理由としてご自分の

労働力をワザワザ搾取される必要はないということです。


提供はエネルギーの循環です。

そして、提供しあう社会ではお金は使いません。

お金を使いませんので搾取もないのです。

労働力の一方的な搾取は起きないのです。

好きなことを提供するだけのことでエネルギーが社会に循環

するのです。

提供しあう社会は平等です。

二つの立場の間でエネルギーの流れを作るのではなく、たくさんの

人の中でエネルギーが循環するのです。

ですから、丸い社会になるということです。


一方的に受けるだけの人がいないということです。

エネルギーを受け取ったら誰かに渡す(くれた人に返すのではなく

それを必要としている人に渡すのです)

それを受け取った人もまた別の人にまわす・・そうしているうちに

一番最初に渡した人のところに戻って来るということです。

そのエネルギーの循環が何重にも重なってたくさんのエネルギーが

グルグルグルグルとまわるのです。

だから誰も足りないということがなくなります。

すべての人が満たされるのです。

搾取という概念がありえない社会になります。

これが提供しあう社会なのです。


あなた達の社会ではお金という概念(物々交換という概念)が

すごく強く行き渡っているので、提供しあうということが

理解しにくいと思います。

何かをしてもらったらその人にお返しをしなければいけないと

強く思ってしまっているので、双方のエネルギーのやり取りしか

イメージ出来なくなっています。


丸い社会は交換ではないのです。

交換はしません。

ただ提供するだけなのです。

それがまわって返ってくるのです。

難しいですか?


双方のエネルギーのやり取り(やり取りというより一方通行的な)

がボランティアなのです。

そして、他方のエネルギーの循環が提供しあうということなのです。


なかなか理解するのは大変だとは思いますが、そんな感じ?くらいで

大丈夫ですので、感覚で受け取っていただければと思います。


提供しあうということが少しづつでも理解できるようになれば

丸い社会をイメージすることが出来るようになります。

イメージ出来れば現実化することが出来るのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」



ありがとう、アシュタール!感謝します。

 

マイコメント

私たちの概念からすればなかなか理解しがたいことでしょう。

特に提供し合うというところがアシュタールが考えるところと私たちの考える

ところに違いがあります。

提供し合うという概念は主にAさんとBさんというように一対一のやり取りです。

そこに第三者は入りません。

なぜ?そう思うのかというと、利害関係の当事者ではないからです。

AさんがBさんに世話したとして、BさんがAさんにも何もしてくれず

それと同じことをCさんに行うととても腹が立つでしょう。

これが私たちの考え方です。

 

アシュタールはそうではなく、AさんがBさんに世話をして、BさんがCさんに世話をして

そして、CさんはDさんに世話をして、DさんがAさんに世話をすると言う形で自分に

戻ってきます。これがエネルギーの交換というやり方です。

 

そして、ボランティアはAさんとBさんの間だけの行為であり、Bさんが誰かに今度同じ

ことをするということはありません。そこで終わってしまいます。

なぜかというと、それが当然であり自分はお金を払っているので受ける権利があると思って

いるからです。だから、お礼を言う人もいるかもしれませんが儀礼的なものです。

 

ボランティア精神と言われとても大切にされますが、本当の目的はどこにあるのでしょうか?

もし、誰もがボランティア精神を持ち見返りを持たない社会になったとしたら、誰がいちばん

慶ぶのかという疑問です。

それは提供し合う社会ではなく、提供するだけの社会になることであり、そこには個人の

尊厳は無いということです。

どうもNWOの求める社会のように思えます。

何の疑問も持たずに自分の知力や労力を提供するということです。

そこには個人の意思はありません。

なぜなら、それが当然であり当たり前という価値観が形成されているからです。

無思考のロボ音のようであり、ひとつの全体主義社会です。

つまり、いちばん喜ぶのは支配者だということです。

アシュタールの言いたかったもうひとつの隠れた理由がそこに在るような気がします。

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