世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:お手伝いという言葉」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:お手伝いという言葉」

ミナミAアシュタールRadio99


清廉潔白 純真無垢 聖人君子…


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「お手伝いという言葉」by アシュタール

微力ながらお手伝いさせていただきます。
 
大したことは出来ませんがご協力させていただきます。
 
 
・・的な言葉を世間でよく耳にします。
 
そのたびに自分と関係なくても、ん?って思ってしまう
 
ミナミです。
 
まぁ、きっと日本人的な謙遜の表現なんでしょうけど、
 
それはわかるんだけど、何か違和感を感じるんですよねぇ~^^;
 
 
では、アシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^


「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
主体でいてください。
 
何かをする時は、何かがしたい時はあなたが主体になって
 
ください。
 
主体でなければパワーは出ません。
 
現実を創造するパワーが出ないのです。
 
 
お手伝いは主体ではありません。
 
協力も主体ではないのです。
 
主体でなければアイディアも出ないのです。
 
 
主体になるということは、自分の事として考えるということです。
 
自分の事だから真剣になれるのです。
 
真剣になれるからパワーが出るのです。
 
分かりますね。
 
 
協力という言葉には二つのエネルギーがあります。
 
どちらのエネルギーで話をするかによって違ってきます。
 
ひとつはお手伝い的な協力。
 
もうひとつは平等の立場で力を提供し合いましょうという
 
エネルギーです。
 
後者は自立したエネルギーであり、主体となっています。
 
ですから問題はないのですが、前者のエネルギーは主体には
 
なりえないものなのです。
 
 
お手伝いという言葉はお分かりのように、お手伝いなのです。
 
自分が積極的にしたいと思っているわけではないのだけど
 
手伝ってもいいかなという感じですね。
 
それではパワーが出ないことはわかりますね。
 
 
ただの言葉のあや、日本的な感性、慣習ですと思うかも
 
しれませんが、言葉にはその人が思っているエネルギーが
 
乗ります。
 
意識して使っていなくても、お手伝い的な感じで考えて
 
いるとやはり無意識にお手伝いという言葉が出てしまうのです。
 
 
本気で一緒にやりたいと思っているのであれば、その言葉は
 
出ないのです。
 
本気で一緒にやりたいと思っていれば、一緒にやりましょうと
 
いう言葉になります。
 
 
ですから、何かしたいと思うならば、主体として考えて下さい。
 
自分が主となってやるという覚悟がなければパワーが出ないのです。
 
パワーが出なければ現実を動かす事は出来ません。
 
 
どんなことにおいても同じです。
 
仕事においてもそうです。
 
助手という立場であっても、助手にならないでください。
 
自分の事として考えていくように出来れば(自分ならばこうする、
 
ここはこうしたいと思えるようになれば)それが自分の仕事に
 
なります。
 
助手だからつまらない、などと思うことはなくなり、仕事が
 
楽しくなります。
 
 
子どものお手伝いも同じですね。
 
お手伝いしてちょうだいという言葉を使うとその子はお手伝い
 
だと思います。
 
つまらないと思うので嫌がるのです。
 
もし子どもに何かを頼みたいと思うのであればお手伝いではなく
 
これを任せるねという表現に変えてみてください。
 
その言葉に変えれば子どもにとってそれはお手伝いではなくなり
 
自分が主となってする作業になります。
 
ただ、言葉にはエネルギーが乗りますので、言葉だけを変えても
 
親の思考がお手伝いから変わっていなければ、子どもは敏感に
 
それを感じ、やっぱりお手伝いの感覚から抜けられなくなります。
 
 
子どもだけではなく、誰かに何かを一緒にしてもらいたいと
 
思うならば、その人が自分のこと、自分が主として考えられるような
 
言葉を使ってください。
 
そしてあなた自身もその人をお手伝いとして考えないでください。
 
その人にすべてを任せる覚悟を持ってお願いしてください。
 
 
あなた自身もそうです。
 
何かを誰かとやりたいと思うならば助手、お手伝いではなく
 
自分が主となってやる覚悟を持ってください。
 
 
お手伝い的な気持ちでその人と何かをしたいと思うのは
 
自分のパワーを制限するということです。
 
それはあなた自身にも、そのお相手にも失礼になるということです。
 
お手伝いという言葉はある意味逃げ道にもなってしまうのです。
 
逃げ道を作って(保険をかけて)しまうと本気になれません。
 
本気になれないと何度も言うようにパワーが発揮できないのです。
 
分かりますね。
 
 
お手伝い、(お手伝い的な感じの)協力という言葉は、
 
謙遜であっても使われることはおすすめしません。
 
謙遜など必要ないのです。
 
 
何かしたいときは、やりたい、やりますときっぱりと宣言して
 
ください。
 
そうすれば現実になります。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 
 



ありがとう、アシュタール! 感謝します。


マイコメント


なるほど・・・ですね。


私も「お手伝い」という言葉を深く考えたことはありませんでしたので

確かにその通りだと思います。

でも、私たちは日常的によく使っていて自分でもそういうことを意識して

いないのではないかと思います。

お手伝いはあくまでも補佐する補助するという意味合いなので主体的

ではなく、サブ的な意味合いを持ちます。

手伝うという言葉を「協力しましょうか?」という言葉に変えて相手に

伝えてみるだけでもずいぶん変わってくると思います。

自分が主体として動くというところには自分の意識を中心に持って

いくことになり、自ずと自分の未来も主体的になっていくだろうと

思います。

今後はお手伝いという言葉を止めて協力すると言った方が良いようです。






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