破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:あなたの個性がキラキラと輝く」
今日の破・常識!
素直にあなたの個性を表現してください。
あなたの中からエネルギーがどんどん出て来て、
あなたの個性がキラキラと輝きます。byアシュタール
アシュタールからのメッセージ
今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「あなたの個性がキラキラ輝く」by アシュタール
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
表現をすることを怖がらないでください。
表現するというのは、自分の考えを話したり、感性を伝えたり
感情を出したりすることです。
あなたはあなたの個性を表現するためにテラに生まれて来たのです。
素直にあなたの個性を表現出来るとき、あなたは満足感
よろこびを感じることが出来るのです。
こころがフルフルと震えるような
高揚感を感じることが出来るのです。
それを幸せな状態と呼ぶことが出来るのです。
表現をする・・それはあなたの個性を輝かせるということです。
でも、あなた達はそれを怖がります。
なぜでしょうか?
違う意見を言われることが怖いと思うからです。
自分を表現すると、他の人から何か批判を受けたり
否定されたりすると思ってしまうから
なるべく表現せず小さくなっている方が
安全だと思ってしまうからです。
でも、小さくなって何も表現せずにいたら
あなたのこころはどんどんツラくなって行きます。
こころのバランスを崩してしまいます。
安全に見えますが、それは安全なことではないのです。
表現することは怖いことではありません。
思考の角度を変えてみてください。
100人いたら100通りの考え方があります。
そうですね・・それぞれの個性によって考え方
価値観、表現の仕方は違います。
あなたが表現したことに違うと思う人も出てきます。
それは、その人の問題であってあなたが気にすることはないのです。
あなたの表現が自分と違うと言っているだけにすぎないのです。
だから、あなたがあなたの素直な表現に対して罪悪感?
悪いと思う?ことはないのです。
何を言われたとしてもその意見は
あなたには関係のないものなのです。
たとえあなたが表現したこと(話をしたこと)に対して
怒りを感じる人がいても、それはあなたの責任ではありません。
あなたの言葉にその人が持っていた怒りのタネが
刺激されただけだということです。
同じ話をしてもタネがない人は怒りません。
その人が持っていたタネの問題だということです。
だから、あなたが気にする必要はないのです。
(もちろんその人が怒ることを知っていて
悪意を持ってその話をする場合は違います。)
そして、あなたの表現はダメです、私の意見を取り入れなさい
・・・というのは自由への介入になります。
それはコントロールになるのです。
どんな表現をしてもその人の自由なのです。
誰も自分以外の人の表現を批判し
表現を変えさせようとすることは
自由への介入になってしまうのです。
あなたがあなたの個性を表現するのは自由なのです。
だから、怖がる必要はありません。
どんどんあなたは素直にあなたの個性を表現してください。
そうすれば楽しくなります。ワクワクします。
生きることが素直によろこびになります。
自分の表現を押し殺してしまうから
生きることが楽しくなくなるのです。
ツラいとさえ思ってしまうのです。
毎日が同じことの繰り返しでつまらないと思ってしまうのです。
あなたの個性を素直に表現してください。
誰の目も口も世間も気にすることはありません。
そして、素直に楽しく表現していれば
反対に誰も何も言わなくなります。
あなたの表現を楽しんでくれるようになるのです。
怖がったり、萎縮したり、素直ではない表現をするから
いろいろな意見を言われてしまうということもあるのです。
素直にあなたの個性を表現してください。
あなたの中からエネルギーがどんどん出て来て、
あなたの個性がキラキラと輝きます。
まわりの人たちもそのエネルギーと共振して楽しくなるのです。
気持ちよくステキな関係を築くことが出来るのです。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう、アシュタール!
マイコメント
以前の私であればそうだっただろうと思います。
自分を表現することに怖れを感じていたし不安を感じていたkらです。
でも、今はそんなことはなく自由に表現しています。
自分の自由を表現することに他人に気を使わないということです。
もちろん、わかっていて相手を傷つけるようなことはしません。
それも、それは相手を見てのことです。
許されるであろうという範囲内にとどめています。
それはとても自由で窮屈な思いをしません。
私は私、他人は他人で価値観が異なるのは当然のことだと
考えられるようになったからです。
意見が合わなければそれhそれで仕方がないと思うからです。
そして、事前に合わないと思うならばそういう表現はしません。
それは相手もまた同じ自分だと思うので尊重しないといけないからです。
それが許される範囲内においてということです。
自由だから無頓着であっていいというものでもないのです。
自分に自由があると同じように相手にも自由があるからです。
それがあれば自分を表現することに自由であることに制限はありません。
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